TS令嬢、追放先でオオカミを拾う②


『エレン・マクラーレン!』


ラフォン王国主要3都市の1つ、クイーンビー。中心部には汽車が乗り入れ馬車が走る。建物はどれも立派で荘厳、道行く人は洒落ていて、大通りには店が立ち並び休日には多くの賑わいを見せる。流行の発信地であり、華やかで洗練された雰囲気が特徴の大都市である。


『貴様の悪行、すべて聞いたぞ!』


そして舞台は選ばれし貴族たちが集う社交界。告発は大衆の面前で行われた。皆の視線の先で令嬢は笑う。


『お言葉ですが、全く身に覚えがありません…』

『しらばっくれようとも無駄だ!キャロル嬢の髪を切り服を裂いただけでは飽きたらず、階段から突き落としたな!他ならぬ被害者からの証言だ!もはや言い逃れはできないぞ!エレン!』


エレン・マクラーレン。こっちの世界で付けられた、俺の名前である。俺は大袈裟に頭を抱え、用意していた台詞を口にする。


『バレちゃあ、仕方ねえ…!』


なにを隠そう。前世の俺は、時代劇が好きだった。人生で言いたい悪役の台詞3位を言えた達成感に浸っていると、騒動の発信者はギリギリと歯を食い縛る。


『見損なったぞ!醜い嫉妬に駈られた君の所業でキャロル嬢は深く傷付いている!思えば、君と初めて会った時に受けた君の視線!あれは私に完全に心を奪われ私を離さんとした狂愛の決意だったのだ!それに気が付かず君を野放しにしたこと…!このクライド、一生の不覚!』


目の前の男は長々と思いの丈を述べている。その間俺は、人生で言いたい悪役の台詞のトップ2「ぬしも悪よのう」の方も言いたかったなあなんてひとりごちる。1位?そりゃ「野郎ども、やっちまいな!」だろ。


『エレン・マクラーレン!貴様に私との婚約破棄を宣言する!そして父の名を元に、今後一切、社交界へ顔を出すことも認めん!』


そうして勝利宣言を背中に聞きながら、俺は華やかな都を後にしたのだ。






ところ変わってエイミス地方。ルコック山脈の南に位置し、温暖な気候と見渡す限りの大自然が一番の魅力。そして誰もが認める田舎だ。


更に言えば、俺の住まいは山奥である。たとえ騒ぎを起こそうが全裸になろうが誰にも咎められることはない、一番近い隣人は野生動物な自他共に認めるド辺鄙な場所に俺は住んでいる。


そして今日はとても良い天気だ。空には雲一つなく、家の真上近くにまで昇った太陽がキラキラと辺りを照らす。


「エレン。君が都を後にして、三年が経ったな」


そしてそんな美しい庭の光景を家の窓から見ながら、俺は男と向かい合って座っていた。食卓には淹れたばかりの紅茶が二つ。さっきまで踏んでいた生地はそっと脇に移してある。主人に人払いをされ、ゾロゾロといた取り巻き連中は玄関の外で待機している。


紅茶は俺の方だけ良いやつにした。客に出したのは殆ど色の付いたお湯と言っても過言ではない代物だが、目の前の男がそれに気が付く様子はない。


「お前が追放したんだろ…」


ため息を吐くと、いい匂いの煙も一緒に動いた。俺はできるだけ視線を合わせないようにしながら、居心地悪くお尻を動かす。


「私はその件で来たのだ」


その一言にぎくりと心臓が鳴った。おそるおそる顔を上げると、男はこちらを真っ直ぐに見ている。


クライド・スターリング。金持ちの多いクイーンビーでも有数の資産家・スターリング家の長男坊だ。きらきらした金糸に青い瞳。正義感も強く顔も良い。地位も名声も若さも声のでかさも全て持っているような男だが、致命的な弱点がある。


「なんていうか、その、バカなんだ…」


本人に聞こえないよう、そっと呟く。クライドの唯一の弱点は、超が付くほどの単細胞であることだ。


俺が追放されるきっかけとなった事件の話をしよう。まず俺がクライドを巡って嫉妬する訳がないし、髪を切っただの服を裂いただのそんな事実も存在しない。


当然階段から落ちた件も完全なる濡れ衣。即ちキャロルの自作自演だったわけだ。けれどクライドの小さな脳ミソとキャロル嬢の策略は、死んでも男と結婚したくなかった俺にも都合が良かった。だからまあ正直、利用させてもらったのだ。


キャロル嬢から俺の悪行について告発を受けたクライドは、想像通り俺を糾弾。これ幸いとばかりに俺は都からもめんどくさい社交界からも退場。そうして無事に平穏な山奥生活を手に入れたと言うのに。


が、今さらになって、クライドはここまで俺を訪ねてやってきた。全ては過去の事件のために。つまりは。


「ふとしたきっかけで三年前の事件の証拠を見つけてな。急ぎ駆け付けたのだ」

「そっとしておいて欲しかった…」


思わず、俺の口から本音が漏れる。背中をひたりと流れるのは冷や汗。


(まさか、今あれが嘘だったとバレるなんて…)


焦る俺の心情などいざ知らず、クライドは続ける。


「エレン。君を捜し出すのは大変だったぞ。まさか名前すら変えてこんな田舎にいるなんて」

「ああ。こっちではトーリって名乗ってて…」

「クッ…!自分の名前を捨てる程、私との婚約破棄がショックだったのか…!」

「え?違うよ??」


即座に否定するも引き続き頭を抱えありもしない妄想に浸るクライドは言わずもがな面倒な奴だが、実はその父親が厄介だ。


元々スターリング家は落ち目の小さな警備会社だった。それを祖父から継いだクライドの父親は、人脈の広さと革新的な体制構築により瞬く間に会社を成長させた。一代で上流階級の仲間入りを果たした超やり手の実業家なのである。


そして警備会社の御曹司なだけあって、クライドが引き連れているのは国内外でも随一の精鋭部隊。その気になれば俺ごとき力付くで連れ去ることだって可能だろう。だから俺は、何とか口先で丸め込む道を探す。


「クライド。俺と婚約破棄した後、どうしたんだ?あの子、可愛かったじゃん」


確か名前はキャロル・アーネット。由緒ある家柄の令嬢だった、と思う。目が大きくて声も小さくて、小動物みたいな可愛らしい子だった。ちょっと腹黒かったけど、クライドにはそのぐらいがちょうどいいだろう。


「事件の後、私と婚約をしていたが…あの事件が自作自演だったと分かった今、婚約は続けられない。キャロル嬢にも責任を取らせる所存だ」

「そ、そう言うなって。やり方はまずかったかもしれないけどさ、それぐらいお前のことが好きなんだって。階段から飛び降りるのも、勇気が必要だったと思うよ」


俺からしたら何の魅力も感じられない単細胞だが、クライド自身も腕っぷしは強い。都で行われている剣術大会で優勝しているような男だ。そこへきてこの美貌。当然人気も高くファンも多い。彼女もその一人だったんだろう。


「お前と一緒に居たいから、そうまでして俺との婚約を破棄させたかったんだろ。そんなに好きでいてくれる娘、なかなか現れるもんじゃない。愛想尽かされる前に結婚するのが一番だって」

「エレン…」

「あとから後悔するぞ。あの時繋ぎ止めてれば良かったって」


俺の懸命な説得に、クライドは震え出す。やがて、大袈裟な素振りで天井を見上げた。


「エレン…!君はなんて慈悲深いんだ…!」

「…え?」


俺としては絶対によりを戻したくなかった故の必死の説得だったのだが、クライドの目には違く映ったらしい。固まる俺に、彼は机をガンと叩いて呻く。


「あの時君を糾弾し、舞踏会からも都からも追放してしまった自分が恥ずかしい!私が間違っていた!私は君との婚約を戻すべきだ!」

「え?いやそれだけは勘弁して…」

「もちろん、控えめな君は断るだろう…!だが、こんな犬小屋のような家で粗末な飯を食べる君をもう見ていられない!」

「悪かったな犬小屋で」


俺としてはこのまま放っておいてもらえることが一番幸せだったのだが、暴走したクライドは止まらない。


「君も知っての通り、私の家は一流レストランも経営しているんだ!毎日広い屋敷で最高の料理人による食事を振る舞おう!」

「だ、だから…」

「こうなったら無理矢理にでも連れていく!」


そう言うと、彼は椅子から立ち上がった。俺の腕を掴む。慌てて振りほどこうとするが、強い力で引っ張られよろめく。


「ま、待て!話を…」

「おい」


突如として降ってきたのは第三者の声。離れに置いてきた筈のジュードの姿だった。


「っ…!?な、なんで…!?」


離れの鍵は外から掛けたはず。しかし現に彼は涼しい顔をして俺達の前に立つ。


(ま、マズイ…!)


俺の背中からは汗が吹き出る。彼がいることをすっかり忘れていた。この状況で満を持しての登場。ややこしくなりそうなことこの上ない。


「なんだ君は。外の親衛隊には誰も通すなと言っておいたのに…」


当然、クライドは胡散臭そうにジュードを見る。上から下まで見て、心底バカにしたように鼻を鳴らす。


「エレンに拾われた犬と言ったところか」

「ぁあ?」


その怒気の籠った声を無視し、クライドは俺に向き直った。両手を取って俺の顔を見つめる。


「エレン。君の慈悲深さは知っているが、こんな見るからに厄介そうな男を引き入れるだなんて。よほど寂しい生活だったんだな」

「いや、たまたま拾っただけだし充実した暮らしだったし」


言いながら手を強めにはたき落とすが、そんなことで挫ける男だったら俺も苦労はしていないのだ。


「もう心配はいらない。私がついている」


そう宣言し、クライドは俺に背を向ける。


「私の名はクライド・スターリング」


ジュードを前に、彼が剣を抜いた。ぎらぎらと光る刀身を前に、心臓がどきりと鳴る。そのままジュードに近付く背中に向かって、俺は慌てて声を出す。


「く、クライド!馬鹿!せっかく治したのに…」


次の瞬間、激しい轟音が響く。


「っ…!?」


視線を戻した時、クライドは居なかった。正しくは壁まで吹き飛んでいた。そして彼を盛大に飛ばした当の本人と言えば、何ともないような顔をしてそこに立つ。


「じゅ、ジュード…」


呆気に取られていると、壁の方からガタガタと音が鳴る。


「き、貴様!思い出したぞ!確か逃走中の指名手配犯がこの近くに潜伏していると…」


見れば、食料棚に突っ込んだクライドが身を起こすところだった。頭に潰れたトマトを貼り付けながら、彼は玄関の方へ向かって大声を出す。


「こうなったら話は早い!親衛隊!この男を始末しろ!」


(ま、まずい!)


このままでは我が家が戦場と化す。俺は咄嗟に丹精込めて育てたうどん生地を抱えて逃げ道を探す。クライドの声を合図に、外から親衛隊がなだれ込んで――


「……?」


来ない。いつまで経っても、扉はうんともすんとも言わなかった。スターリング家の親衛隊はクライドに絶対服従の筈だが。不思議に思う俺とクライドに、ジュードが声を発した。


「外にいた奴らか?そいつらなら伸びてるぜ」

「は…?」


その言葉を受けて、俺は窓から外を覗く。見えたのは屈強な男共が一人残らず地面に転がっている姿だった。全員剣を抜いており、明らかに何らかの戦闘があった後だ。俺の表情からそれを察したクライドは、キッとジュードを睨んだ。


「き、貴様!我が精鋭達を…一体どんな手を使った!」

「あ?邪魔してくるから、ぶん殴っただけだ」

「っ…!?」


到底信じ難い台詞に、クライドは言葉を失う。しかしそこは腐っても警備会社の御曹司。すぐに戦意を取り戻した。すぐに立ち上がり、剣の切っ先をジュードに向ける。


「でたらめを!これだから獣人など信用ならんのだ!この私が成敗してくれる!」

「……」


刃と共に殺意を向けられていると言うのに、ジュードはまるで散歩するみたいに彼に近付く。そして二人がお互いの射程に入った時、クライドが剣を振り下ろすところまでは見えた。


その後はよく分からない。あまりにも早い動きの為に、俺の目では追いきれなかったと言う方が正しいだろう。


「っ…!」


気付いた時には、クライドは再びトマトの床に沈んでいた。


「おい」


呆然とする俺の元にジュードの声が落ちてきて、びくっと震える。何せ、俺にとっては対処しなければならない相手の首がすげ代わっただけだ。馬鹿なぶん、まだクライドの方がマシだったかもしれない。


(こ、殺される…!)


「っ…!」


ジュードの右手が動く。俺の顔面に向かってーー


「……」

「……」


目の前に差し出されたのは、スープが入っていた空の容器。よく見ると彼の口の周りはべたべたになっている。それを拭きもしないで、ジュードは言った。


「足りねえ。もっとよこせ」

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