TS令嬢、追放先でオオカミを拾う。

エノコモモ

1部

TS令嬢、追放先でオオカミを拾う①


「……げ」


自分でもどうかと思うが、いつもの山道で行き倒れている男を見た時。第一声はそれだった。






「……」


扉の前。息を吐いて、もう一度大きく息を吸う。足元には大量の開いた錠前。さっきまでこの扉を封印していた鍵の数々だ。覚悟を決めて、最後の一つを開ける。最後の錠前が落ちるのと同時に、ドアノブを掴み扉を開けた。


「……」


狭い室内にはベッドが1つ。横たわっているのは先日救助した男。男の太い右手首には、ベッドと繋がる手錠。昨日の光景から何も変化はない。


(まだ目を覚ましてないか…)


ほっと胸を撫で下ろすのもそこそこに、油断なく足早に部屋の中に入る。さっと窓を開け換気をして、室内を軽く掃除、枕元の水差しを入れ替える。


(よし!あとは包帯を代えるだけ…!)


意を決し、水の入ったバケツと包帯を手に取る。慎重にベッド上の男に近付いた。


(絶対に起きませんように…)


懸命に祈りながら傷口を洗い、新しい包帯を巻く。


「……?」


ふと気になったのは男の体。胸の上、太い首をぐるりと囲むように走る刺青のような黒い紋様。


(やっぱりこれ…)


記憶の片隅に該当するものを見つけかけた次の瞬間、伸ばした手を下から掴まれる。


「え…」


あり得ないはずの事態に、一瞬で頭がパニックに陥る。


「ギャッ!」


そのままベッドに押し倒される。木製のベッドが重みに耐えかね、ぎしりと軋んだ。


「お、起きて、」


体の上に跨がるのはさっきまで寝ていた男の姿。右手首に繋げていた筈の手錠が、開いた状態で顔の横に落ちてくる。男の口から赤い舌と、鋭い牙みたいな歯が覗く。


「死んだと思ったが…ラッキーだったな。屋根もあるし水もある上、女もいるなんて」

「っ…!」


言いながら上着を捲られた。腹を上るのは武骨な手の感触。背中をひやりと汗が迸ると同時に、慌てて叫ぶ。


「まっ!待て!後悔するぞ!」

「ぁあ?」


男の手が止まる。押し倒された美少女は、思い切り言った。


「俺、男なんだよ!!」


精一杯の主張は、狭い室内に響く。しばらくして、男が首をかしげた。


「……あ?」






安積あづみ東里とうり。俺の名である。が、これは正しくは前世の名前だ。現代日本に暮らすごくごく一般的な会社員だった生活が一転、突然の交通事故に因り異世界へと転生する運びとなった。


そう、異世界転生だ。期待するだろう。大いに期待するだろう。底無しの魔力にモテモテハーレム展開を期待すると言うものじゃないか。だがしかしそんな俺の淡い期待は、ものの見事に打ち砕かれる。


「おかしいだろ、こんな姿で転生なんて…!」


一体何がどうしてこうなったのか、俺は美少女としてこの世界に生まれ落ちてしまった。


「よく分からねえが萎えた」


そして俺の悲惨な身の上話を聞いた男と言えば、心底興味なさそうにベッドに足を投げ出す。


「……」


俺は彼に付属したふさふさの尻尾と頭の上の三角形の耳を恨みがましく見やる。


「マジで拾わなきゃ良かった…お前がいる間、飼ってる鶏とヤギは怯えるし、自分の為に保管してた薬は殆ど使っちまうし、挙げ句の果てに襲われかけるし」


矢継ぎ早に恨み言を述べていると、男はじろりと睨んでくる。


「あ?なら殺せば良かっただろうが」

「それが助けられた奴の態度か…」


俺は深いため息を吐く。頭を抱えた。


「堅気じゃないとは思ってたけど、よりによって、賞金首だなんて…」


彼の名前はジュード。姓はないそうだ。よく見ると整った顔立ちに逞しい体つきの反面、顔や体は疵だらけ。今回の怪我も明らかに誰かとやりあった跡だった。


掛けられている高額な賞金と言い、おそらく傭兵や盗賊紛いのことをして生活してきたんだろう。飾りじゃない耳や尻尾は彼が狼の半獣人であることを物語っている。


「動けるようになったなら出ていけよ…面倒は嫌だぞ」


言いながら、俺が彼の前に出したのはスープ。一杯のそれをじっと睨んで、ジュードは言った。


「足りねえ」

「あ、あのなあ、無理だって。丸一日意識がなかったんだぞ。胃腸を慣らしてかないと」


これまで獣人の知り合いはいなかったが、俺の言葉にふさふさの耳を倒してウーと唸るあたり、どこか既視感がある。


「ほら。スプーン」

「指図は受けねえ」


そう言って、彼は俺が渡したスプーンを放る。器を持ち、ぐいと口に流し込んだ。






「はあ…」


小さな家に響くため息は海より深い。


「犬助けなんて気軽にするもんじゃないな…」


ぼやきながら、俺はのろのろと小麦粉を練った生地を布の上から踏む。たまに水分量や硬さを確認、伸びた生地を折り畳んでもう一度上に乗る。うどんを作るのに非常に重要な行程である。


「……?」


(なんだ…?)


3回目に生地の上に乗った時、不意に違和感に気が付いた。窓の外、カーテンの向こう側に複数の影が見えたのだ。


「っ…!」


咄嗟に俺に緊張が走る。主に立地のせいで、この家を訪ねる相手は限られている。


(まさか、ジュードの追っ手が来たんじゃ…)


一番高い可能性を想定し、ひやりと冷や汗が浮かぶ。


(落ち着け。あいつは離れにいる。食べてる隙に鍵も掛けたし、多少家を調べられたぐらいじゃ分からない)


俺の中では離れと呼んでこそいるものの、実際は庭にある倉庫みたいなものだ。わざわざあそこを調べる程、追っ手も暇じゃないだろう。


(仮にバレても明らかに悪い奴だしすぐに引き渡そう。俺はあくまで人助けをしただけってことを全面に出して…よし、これで決まりだ!)


「何かありました?」


だから俺は、ただおいしいうどんを作りたいだけの善良な美少女を装うべく扉を開ける。


玄関の前に立つのは、複数の人間だった。皆腰に剣を下げ、一人の人間を囲むように立つ。その身のこなしや体格から武術の心得があるのは素人の俺にも分かる。けれど真ん中の一人、一等派手な男に俺は釘付けになる。


「げっ…!」


変な声が出ると同時に、慌てて扉を閉めようとするが、伸びてきた手に抑えられた。悲しいかな、美少女となった俺の細腕では勝てない。扉は半開きのままあっさり動かなくなる。


「く、クライド…!」


金糸の向こうで、碧眼と目が合う。多くの取り巻きを引き連れた、一番派手な青年が言った。


「捜したぞ。エレン」


そりゃ変な声も出る。訪問者はジュードの追っ手じゃなく、俺の客。


そこに居たのは、三年前まで俺の婚約者だった男だった。

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