脱出

 禁止区内の道路をレオナは歩きつつ、たまにお腹をさする。一日ゆっくりと静養したおかげで、体のほうはだいぶ楽になっていた。それでも、胃のむかつきが多少残っているが。

 

 街灯がちかちかと明滅し、明かりの下に酔っ払いの吐しゃ物とごみが散乱しているのが見えた。人気はなく静かだ。こうしていると、この世界に自分しか存在しないのではないかという錯覚を起こしそうになる。


 今日でこの景色も見納めか。


 ろくでもないところだったが、カレルやポポリン、マリー、他にもいい人たちもいたのだ。そんなことを考えていると、なんだか感傷的な気持ちになった。


 柄でもない、とレオナは苦笑する。


 自分はここから立ち去る人間だ。今は脱出に集中しよう。


 気持ちを改めて、レオナは目的地へと進む。やがて、レオナは男が待っている廃棄区画へとたどり着いた。

 入った瞬間、レオナは顔をしかめた。とんでもない悪臭だった。空気が匂いを持っており、目に触れた瞬間涙目になった。刺激が尋常ではない。

 

 この環境の悪さのせいか、ここは滅多に人が寄り付かない場所だ。もっとも、そのおかげで自分がこの区域から脱出できるので、今は感謝せねばならないだろう。


「おい、こっちだ」


 奥のほうから声が聞こえた。顔を上げると、男が立っていた。レオナは男に近づいていく。


「やっと来たな。待ちくたびれたぜ」

「ここからどうしたらいい?」

「ああ、それなら――」


 突如、人ならざるものの雄叫びが響いた。身の毛もよだつ人間の原始的な欲求である恐怖を想起させる声。レオナは思わず肝を冷やす。


「な、なに?」

「凶獣の声だ。ここは禁止区の外に近い場所だからな。奴らが外ではうろうろしてるんだよ」


 凶獣――獰猛な肉食性の動物で、人を襲う。その戦闘力は人間を遥かに上回り、銃弾すら効かないという。レオナは禁止区から出たことがないので、見たことはない。なので、声を聞くのはこれが初めてだ。

 

「おっかないものがいるんだね。でも、わたしには関係ないか。って、どうしたのそんなに離れて?」


 いつの間にか男はレオナからかなり距離をとっていた。

 

 そして、男は腕を上げる。その手には何か持っている。それを男は押した。周辺にサイレンのような警告音が鳴り響いた。

 すると、ぞろぞろと教団兵が出てきた。

 その姿を見て、レオナはさっと血の気がひいた。


「昨日、俺が言ったのはあの女です。俺はあいつにこの禁止区から出せと脅されました。言うことを聞かないと殺すと脅されました。お、俺、怖くて本当は嫌だったのに仕方なく……」


 男は涙を流して、教団兵に訴えかけている。

 

「なっ、なに言ってんのあんた! わたしは脅しなんて」


 レオナははっとした。男がこちらに向かっていびつな笑みを浮かべていたからだ。教団兵たちの顔は無表情だ。レオナの話など最初から聞く耳などないように見えた。間抜けにもレオナはようやく気付いた。


 はめられたんだ、わたし。


 最初から男は自分を売るつもりだったのだ。おそらく、もう昨日のうちに男は教団兵に自分が有利なように情報を伝えていたのだ。

 それを理解してレオナは笑い出したいような気持に駆られた。

 結局、自分はエサにつられておびき出されただけ。禁止区から出て、自由に生きられるというエサにまんまと釣られてしまった馬鹿な人間。


 このままわたし、死ぬのかな。


 脳裏にこの前銃殺された若い男の姿がよぎる。


 いや、だな。このまま死ぬのは。どうせ死ぬんだったら――


「抵抗してやる!」


 レオナは意識を集中させて、神経を研ぎ澄ます。

 教団兵の数は五。まず、最初に向かってきた教団兵に突進する。ぎょっとした表情を浮かべる教団兵の顔に拳を打ち込んだ。殴られた兵士はくるくると回転しながら吹き飛んでいく。

 

 一人。

 

 まさか反撃してくると思わなかったのか、教団兵は立ちすくんでいる。その瞬間をレオナは見逃さない。あっという間に距離を詰めて、右足を蹴り上げる。兵士が一撃で二人吹き飛んでいく。


 三人。


「なっ、こいつ!」


 教団兵は銃を抜いて、レオナに向けて発砲する。

 常人ならば反応することすらたがわぬ武器だ。あくまで常人なら。

 レオナにはそれがスローモーションのように見えていた。すっ、と横に身を反らした。銃弾はレオナに当たらず見当違いの場所を打ち抜く。


 呆気にとられている兵士を殴り飛ばす。


 四人。


 四人もの仲間をやられて、教団兵はうろたえていた。そのすきにみぞおちに拳打を見舞う。

 

 これで五人。


 教団兵が立ち上がる気配はない。すー、とレオナは息を吐く。


 こんなに力を使ったのは初めてのことだった。が、案外といけるもんね、と思っていると。


「なっ、なななななな、なんなの、お前!」


 腰を抜かした男がレオナを畏怖の目で見ていた。


 そうだ、こいつがいたっけ。


 レオナは男の胸倉をつかみ上げて片手で持ち上げる。


「よくも好き勝手に話を捏造してくれたものね。覚悟はできてる?」

「ひぃぃぃぃぃ! 仕方なかったんだよ! 教団兵の数は増えてるし、俺も捕まるかと思ったんだ! それに、俺を責めているが、もとはといえばお前から持ちかけた話じゃないか!」


 レオナは男を睨みつける。男は委縮したようにがたがたと体を震わせている。

 数秒の間、男の顔を見つめて――レオナは大きく息を吐いた。

 そして、男から手を離した。


「脱出ルートに案内して」

「えっ、許してくれんの?」

「次、裏切ったら、ただじゃおかないから」


 レオナがすごむと、男は怯えた声を漏らして立ち上がった。

 別に許したわけじゃない。まだ頭に熱いものが残っている。しかし、男の言う通りこの話を持ちかけたのは自分であるし、厳しい禁止区の生活で金に目がくらむのは理解できないでもない。


 それに、とレオナは思う。この男に報復すると自分はこの禁止区から逃げる手段がなくなる。おまけに教団兵をのしてしまったのだ。このまま自分がこの禁止区で生活するのはかなり難しいだろう。


「こっちだ」

「今度は嘘じゃないでしょうね」


 レオナが疑いの声をあげたときだった。


 男が鮮血をあげて倒れた。地に倒れた男から血が広がっていく。


「――え?」


 レオナは男の姿を見て、呆けた声をあげた。


 

 


 

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