触れられたくないこと

 店に入ったレオナたちは入り口付近にある椅子に座った。レオナの前にはテーブルがあり、それに向かい合う形でカレルとポポリンが座っている。

 まだ夕刻を少し過ぎたぐらいだが、すでに店内はほぼ満員といっていい状態だ。客のほとんどがアルコールが入っているからか、騒がしい。カウンターでは酔いつぶれた客が突っ伏していた。


「好きなもの頼んでいいよ」

「……て、言われてもなぁ」

 

 カレルは居心地が悪そうだ。もう何度か一緒に食事しているのだが、いつもカレルはどこか遠慮がちだ。きっとレオナに遠慮しているのだろうが、いつも快活な様子をひそめるのが面白いと思う。そんなカレルに対して、


「す、すいません。これとこれと、これ。あと、これもお願いします」

 

 店員を蚊の鳴くような声で呼び、ポポリンはどんどんメニューを頼む。


「お、おい。いくら何でも頼みすぎじゃねーか?」

「えっと、好きなだけ頼んでいいんだよね?」

 

 上目遣いでレオナを見るポポリン。それに深くうなずくレオナ。ポポリンはぱっと表情を明るくさせて、カレルに親指を立てる。


「食えるときに食う」

「えぇ……。いや、すまないレオナ」

「いいって、わたしがあんたらに食べさせたいから誘ったんだし」


 テーブルはあっという間に、ポポリンが頼んだメニューでいっぱいになった。料理が来るや否や獣のごとく貪り食うポポリン。カレルも最初こそ、遠慮していたが食欲には勝てなかったのか一心不乱に食べている。

 

 よほど腹が減ってたんだろうね。まっ、無理もないか。


 禁止区では十二歳を超えると、それぞれ仕事について収入を得る必要がある。そうしないと生活していけないからだ。しかし、精一杯働いたとしてもらえる額はせいぜい六万エルほど。この額では生活費を除けばほとんど残らない。

 一方でレオナは男に体を売ることで、月に二十万エルは稼いでいる。おかげで、生活には余裕があった。


 レオナがそんなことを考えていると、カレルが何かを取り出した。手には白いカプセルが握られている。それを見て、レオナはあきれた。


「あんた、まだ飲んでなかったの?」

「仕事で疲れて、忘れてたんだよ。今から飲めば問題ないだろ?」

 

 カレルはバツの悪そうな表情を浮かべて、カプセルを飲み込んだ。

 禁止区の住人は教団から支給される薬、通称タレスを毎日飲むことを推奨されている。推奨というか強制といってもいい。なぜなら、それを飲まないとわたしたちは。

 ふと、レオナはあることに気づいた。レオナはじっとカレルの顔を見つめる。


「な、なんだよ……」


 カレルはどこかうろたえたように声を上げた。心なしか顔がほんのりと赤くなっている。見つめること数秒後、レオナは立ち上がりカレルの顔に手を伸ばした。レオナの手がカレルの口元に触れた瞬間、


「うわあああっ!」


 カレルは勢いよく立ち上がった。その衝撃でテーブルに置かれている食器が何枚か浮いた。


「いきなり、何するんだよっ!」

「やっ、ちょっと気になったからさ」


 レオナは手に持っていた布巾をテーブルに置いた。それを見てポポリンがくすくすと笑っている。


「レオナちゃんて、なんだかお母さんみたいだよね」

「そういうことなら、それを先に言えよな。ったく、驚いて損したぜ」


 ぶつぶつと悪態をついて、カレルは再び乱暴に椅子に腰かけた。

 そんなに怒ることないのに。カレルの態度にレオナは少し傷ついた。


「……お前は、食べないのかよ」

 

 ぼそっと、カレルがつぶやく。レオナの前に置かれている料理はあまり手が付けられていなかったからだ。

 こういうところ、けっこう目ざといんだよね。


「わたしは少食だからいいの」


 嘘である。本当はもっと食べたいのだが、体型を崩すと客受けが悪くなってしまう。レオナにとってそれは生活の破綻につながってしまう可能性があった。

 そうかよ、と納得したようなしてないような顔でカレルは頬杖をつく。

 それから、レオナたちは談笑を楽しんだ。とりとめのない話。けど、楽しかった。

 

 やっぱり、わたしはこの二人が好きだな。そんなことを考えていると、ふと、レオナの目に店の時計が目に入った。もうこんな時間か、とレオナは驚いた。名残惜しい気持ちはあったが、そろそろ帰らなければ。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか」


 レオナが立ち上がろうとしたときだった。


「レオナ」


 カレルが声を上げた。

 

 なに、と聞こうとして――


「もう、今の仕事やめろよ」


 重い声で、カレルはそう言った。一瞬、レオナは何を言われたのかとわからずにぽかんとした。やがて、言われた意味を理解してさっと冷や水を頭にかけられたような気分になる。

 ポポリンはあー、言っちゃった、というようななんとも微妙な表情を浮かべている。


「前から言おうとは思ってた。いつか辞めるだろうとそう考えてたから。でも、お前一向にやめる気ないしさ。この禁止区での生活が苦しいのはわかるよ。だけど、いつまでも続けられないだろ、その生活? そろそろ潮時なんじゃねえか? もし、仕事が見つからないようなら、俺が紹介するから――」


 だんっ! カレルの言葉を遮るようにレオナはテーブルに両手を叩きつけた。頭に血が上り、カレルを睨みつけた。


「ずいぶんと偉くなったもんだね、カレル。わたしに説教をしようっての?」


 レオナは座っているカレルを上から見下ろす。どす黒い感情がレオナを支配している。歯止めがきかずに、それは言葉となってあふれ出す。


「わたしが何をしようがわたしの勝手じゃない? なんでそれをあんたに指図されないといけないわけ? 偉そうなことを言うんだったら、せめてわたしより稼いでみれば? そしたら、言うこと聞いてあげてもいいけど?」


 カレルは黙ってレオナの言葉を聞いている。何も言い返してこないのが、余計に腹が立った。


「さっき、生活が続けられないとか言ってたけどさ、そんなのここにいる全員がそうじゃないの?」


 やめろ、と頭の中で大きく警鐘が鳴っている。それは言っては駄目だ。だが、レオナはその警鐘に従う理性は残っていなかった。


「どうせ、わたしたち三十歳ぐらいには死ぬんだから」


 頭の片隅で、ああ、言ってしまった、と思った。同時にどうだ、とためていたものを吐き出した達成感めいたものもあった。が、それもつかの間。

 はっ、とレオナが我に返ると店内にいる人すべての視線がレオナに注がれていた。感情のこもらぬ機械的な目線。それは虚無、といってもいい。

 店の空気に耐えられずに、


「お金、置いてくから」


 レオナは逃げるように店から出て行った。


 


 





 

 

 

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