030 蜘蛛の糸

「や、やった……のか」


 ズドォォンという音と共に真っ二つにされた巨大なエイの怪物の亡骸が大地に落ちたのを見てもなお、オルベインは目の前の状況が現実なのだと把握するのにしばしの時間を必要とした。

 そして周囲から驚愕とも歓声ともつかない声が聞こえ始めてようやくオルベインはガルダスティングレーが死んだのだと理解し、それから大きく安堵の息を吐いた。


『オルベイン様。やりましたぞ。あのハンターがガルダを倒しました』

「ああ、ああ。分かっておるさ。凄まじいな。アレがそうか。アレがドラゴンスレイヤーというものなのか」


 二十機以上のアーマーダイバーに虎の子の領主専用機まで表に出した。それでも歯が立たなかった相手を量産機がたったの一機で仕留めたのだ。驚くなと言う方が無理な話だろう。


『ドラゴンを仕留めたのだから同じランクAであれば討伐もできる……というのは理屈の上では理解できます。しかし、己がまなこで直接見てもなお、信じられませぬな』

「分かるぞジグマール。だが我らの目の前で起きたことこそが現実だ。見よ、イータークラウドが薄れていくわ。これで」


 オルベインの顔がクシャクシャに歪み、笑いながら涙をこぼした。それは絶望を越えた人間の顔だった。


「……これで民は、この天領は救われる」


 イータークラウドの源流であり、竜雲海から魔力を循環させて維持してきたガルダスティングレーが死んだ今、この場の霧は薄れつつあった。このまま島中でも徐々に同じ状況になるはずで、それは飛獣に供給されていたエネルギーが断たれたということと同じであった。


『飛獣も自由に飛び回れなくなりますな。丘に上がった魚の如く。状況を察すれば連中も竜雲海へと逃げていくでしょう』

「ああ。とはいえ、まだことは終わっておらん。すぐさま全軍に状況を通達し、住民の避難と飛獣の掃討を進めなければなるまい」


 そのオルベインの言葉にこの場にいるジアード天領軍の面々が頷き、動ける者から動き出した。

 状況が好転したとはいえ、未だ島には飛獣が闊歩し、人々はその恐怖にさらされている。これで終わりではない。今動かねば救えぬ命があるのだ。けれども……と、オルベインはガルダスティングレーの亡骸の前に降りた後、動かなくなった青と黒の機体を見て、こう口にした。


「だが我らは確かに助けられたのだ。ひとりのハンターの力によって」


 戦いはまだ終わってはいない。けれども趨勢は決し、ここから先は彼らの手番となった。


 なお、ルッタは痛みで気絶していた。




―――――――――――




「ふーん。やられちゃったねぇ。どうしよっか、これ」


 ルッタがガルダスティングレーを倒したのと同じ時刻、ジアード天領より離れた海域に一隻の雲海船が浮かんでいた。そしてその船の甲板には未だイータークラウドに包まれているジアード天領を舐めるように観察している男がいた。

 その男はクマのある目に痩せ細った体格をしていて、ボサボサの黒髪で、丸眼鏡をしていて、またヨレヨレの白衣を着ていた。

 まるでステレオタイプのマッドサイエンティストといった風貌であったが、それ以上にその男の頭に乗っているモノが奇妙であった。一見すれば司祭の被るミトラのような形をしていたが、それはよくよく見ればミトラではなく白い蜘蛛であったのだ。


「参戦したのは風の機師団、オリジンダイバーを擁しているクランですね。彼らがこの時期に来るということまでは想定できませんでした。彼らさえいなければ、ガルダスティングレーも天導核を得られていたでしょうに」


 男の後ろで立っている女性がそう口にする。実際、風の機師団がいなければ女の言葉の通りの状況になっていただろう。港町はシャークケルベロス二体の率いる飛獣の群れに蹂躙され、ジアード天領軍はなすすべもなくガルダスティングレーたちに壊滅させられ、天導核は奪われていたはずだった。


「そればかりは仕方ないさ。正直に言ってオリジンダイバーが出てきちゃったんならもうこちらの負けは確定さ。とはいえ、ガルダスティングレーをったのはオリジンダイバーじゃぁないんだよね。竜殺し? 鮫殺し? 今回でエイ殺しかな? そんなハンターだったみたいだよ。まったく残念だったね。ワールドイーターまで後一歩だったのに」


 そう口にする男だが、その表情には悔しさは感じられず、ニタニタとした笑みが顔に浮かんでいた。


「これじゃ僕だけが失敗……なんてこともあるかもだよね。けれどもなかなか面白いものも『視れた』。量産機でランクAを単独撃破ってあり得ないでしょ」

「その乗り手に興味がありますか?」


 女の問いに男が少しばかり考え込むが、薄く笑って首を横に振った。


「うーん、その操縦技術には敬意を表するよ。けれども『転移者じゃなければ』僕らの仲間にはなれないし優先順位を変更するほどでもない。それよりもさ。風の機師団って、確かゴーラと揉めてるんだったよね?」

「はい。双方ともに隠してはいるようですが、幾度か戦闘も行われているようです。何やらゴーラが風の機師団のオリジネーターにご執心だと言う噂がありますが」

「ゴーラね。ゴーラ。いくら隠そうとしてもオリジネーターに手を出すとかヘヴラトが黙ってないと思うんだけど……」


 そう言ってから男が目を細めて「ああ、そうか」と呟いた。


「あそこもそろそろヤバいんだっけ。権力争いの挙句、子供も作れないジジィがひとりしか残っていないとか。フォーコンタイプだっていつまで造れるのやら……って話だったか」

「愚かとしか言いようがありませんね」

「まったくだよ。だからこそ僕らなんだ。僕らこそが新しい人類。争いのない本当の」


 そう言ってから男が考え込むようにして、ポツリと口にした。


「しかしだ。となると、ゴーラがヘヴラトと敵対してでも欲しがる理由……あのオリジネーター、もしかすると『鍵持ち』かな?」

「その可能性は確かに。どの鍵を持っているか次第ですが、いかがしますか?」


 女の問いに男はニタリと笑った。


「うん。じゃあさ。アレ、僕らが横から貰っちゃおうか」

「はい、それがよろしいかと。それでは準備に取り掛かりましょう」


 男の頭部に取り憑く白蜘蛛の複眼が怪しく輝くのを見ながら女は感情のない顔でこう口にした。


「ドクトル・タナカ・ピカジロウ様」


———————————


 本名、田中光史郎。ご両親はこうしろうと名付けたつもりだが、当人はピカジロウを名乗っている。周囲はキラキラネームだなーと思っている。ご両親は泣いた。


 今章はこれにて終了。明日10時に紹介回を更新したら書き溜め期間に入ります。

 次章『島喰らいの章(仮)』は十二月内に再開予定。物語的には中盤に差し掛かったところで、ボリュームは今章と同じかちょい長めくらいになりそうです。

 それでは次回もよろしくお願いします。

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