003-2 旅のはじまり2日目


 麦は固いがエサにはなった。お腹を満たしたピコバールは、「のぞくなと」ガオに注意すると小川で水浴びすると、生まれて始めての野外とは思えないくらいぐっすり眠った。信じられない無警戒なリラックスぶりで、日が昇るまで熟睡した。


「この麦。眠り心地は悪魔のごときだな。生まれて初めて熟睡したかもしれない」


 ぴょんっと跳ね起きで地に立ったピコバールは川べりで洗顔する。ガオも目を覚ましてクローラとダンプをガタガタ震動させた。


「お、おはよう。ピコ起きるの早いな」


 動画ガオが目をこすってる。切ったドレス裾をタオルにして、顔をふく。


「リスやスズメじゃありまいし、生麦だけの暮らしは貧しすぎる。そういうことで料理にトライ。麦で味わう豊かな食生活の始まりだ」


「ポジティブは結構だけど、どうするんだ」


「パンて軟らかいだろ。あれは小麦の粉に食塩とバターを混ぜて焼いてるからだ。麦を粉になるまで潰して固い被を取り除けば、おいしい粉が残る。こねて焼けばパンができる」


「粉にするって簡単に言ってるけど、やれるのか。歯で噛んで潰すのか」


「水車小屋にはいったことある。ぎったんばったん五月蠅かったが、大きな鉢にいれた麦を、ほれぼれするくらい太い擂粉木すりこぎで、潰していたのをしっかり覚えてる。石臼だったかもしれないが」


「あやふやなしっかりだな。つまり水車小屋を建てるってことだな」


「そうだ。そうして小屋に住みすいたピコバールは孤独な隠遁生活を……だれが送るか! 未来ある“美少女”を麦の奴隷にするな」


「微乳少女?」


「おい」


「ピコの好きにすればいいけど、道具なんか無いだろ。どうするんだ」


「無いなら作ればいい。うりゃー! うりゃうりゃうりゃうりゃりゃあー!!」


「アホピコ。そんなんで作れたら職人はいらない。そもそも麦粉って――」


 ガオは、麦を常食にするために歩んだ人類の歴史を語りだす。


 噛んで飲み込んでいた小麦をあるとき、かたい殻を取って中身を食べることを思いつく。始めは石で叩いて割ってただけのが、すりつぶす発想に転換、道具が発明される。すり鉢とすりこぎ、洗濯板状の石に置いてすりつぶすサドルストーン、ついに石臼の発明へとたどりついた。


「――といったところだ。食の貪欲さはオレに理解できないが、永く困難な努力を惜しまない人類にはシャーシがさがる。技術の最先端にいるのがオレというわけだが。むふふ」


 壮大な文明進化のストーリーの最後に、自分のPRも忘れない。


「できたぞ」


「なにが?」


「土魔法で作ってみた。ガオが言ったのと、うろ覚えの記憶を合わせてすり鉢・・すりこ木・・・に、サドルストーンに、石臼だ。歴史は大嫌いだがやむを得ない。どうだ?」


 ピコバールの言う通り。そこにはすり鉢と擂粉木、サドルストーンに、石臼。あくまでもそれっぽい形だが、創り出されていた。ガオのライトがパチパチ点滅する。


「土魔法が使えるのか。ピコ」


「完璧に極めてる。初級限定で」


 ささやかな胸をエッヘンと張った。


「土魔法の初級っていったらアースウォール土 壁だぞ。これのどこが壁だよ」


「やってみて分かったがアースウォール土 壁の形に制限はない。丸くても、円柱でも、大きくても小さくても、ギザギザがついててもいい。壁だと思い込むことが大切なんだ。信じる者はつくられる」


「……なんの格言だといいたいけど。ピコには驚かされる」


「三つ全部試してみるさ。平らな場所は……ダンプを借りるぞ」


「ひとの車体カラダを勝手につかうな」


 よいしょと、ダンプに乗り込んだピコバールは、道具の中に麦を入れた。


「最初は、すり鉢&すりこ木だ」


 順番に試していく。すり鉢は腕ばかり疲れて、あまり潰せない。サドルストーンは、体重をかけてゴリゴリ押す。すり鉢よりはマシだが、腰と背中が悲鳴をあげた。やはりというか、最新である石臼は疲れにくくもっとも効率がよかった。すり鉢は粉の受け容器に転用した。


「ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる……」


 3時間ほど粉を挽く。お腹もいい具合に空いてきて、食への期待も高まってきたころ、鉢一杯分の粉を擦り潰し終えた。


「ふぃー。こんなものだな。次は分離。硬い殻をふるいで取り除いて粉を漉す。ふるいは作れそうもないから、ここは風魔法だな」


「風魔法も使えるのか! 見直したぞ」


「完璧に極めてる。初級限定で」


 ささやかな胸をエッヘンとはりだす。


「火も初級だったな。土も初級。風も初級。初級というけど魔法てふつう、ひとつの属性しか使えないぞ。2つあれば天才だって。まさかと思うがほかの属性もか?」


「企業秘密です」


 どこが企業なのか意味不明である。


「町食堂のオヤジネタか」


 ツッコミも意味不明である。


「じゃあいくぞ」


 麦粉の鉢を地面に置いた。上手くいけば、重さの違う粉と殻が分離される計算だ。


「ん? 風魔法の初級て」


 風魔法は攻撃技しかなかったはずだ。ガオの動画が、腕を組んで首をかしげたとき、ピコバールが風魔法を唱えた。


「それ! ウィンドカッター!」


 魔力を減らした風魔法。威力は、鉢を切断するには弱かったが、浮き上がらせるに十分だった。ひゅんと飛んだ鉢は空中でひっくりかえって逆さとなる。


 ばさばさーー。


「おわわぁ、ぼくのご飯!」


 精魂込めた貴重な粉が落ちてくる。腕をひろげてキャッチしようとしたが、風魔法が巻きあげ、すべてを塵にかえてしまった。


「……あぁ」


 雲ひとつない空に舞ったパンになるはずの白い粉は、数秒間、雲のように太陽を隠してから、そこらじゅうに散った。


 頭からすっぽりかぶり粉で、髪も紺のメイド服も、白く染まる。真っ白になったピコバールが両手をついた。


 Orz


「どんまいピコ」


 ぐぎゅるぅぅう。


「……も、もういちどだ」


 空腹をかかえたピコバールに、落ち込む暇などない。涙をぬぐうと、麦を再び引っこ抜き、穂を引きちぎり、石臼にかけ、ごりごり回しはじめる。


「ぼく。泣かない」


 石臼は、平たい円柱を2段重ねた、鏡餅のような構造をしてる。下に麦をおいて上を回す。粉ができて量が減れば、上の通し穴から麦を補充する。

 何度もやってれば改良点がみつかる。まったく同じものを2つ作ったのだが、回してるいるうちにズレていく。下側の上部を凸に、上側の下部を凹にして、やや尖らせる形にすることで、中心が安定しズレることがなくなった。


「ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる……目が回ってきた」


 麦づくりを生業とする農民が、交代で行う重労働。すり鉢より遥かに楽とはいえ、それを男爵家の少女が、ひとりでやるにかツラい仕事だ。焦点のあやふやになった目で、半つぶしになった麦をかじる。


「固いまんまかじるより美味」


「ピコ。オレに手伝えることはない?」


「頼みがある」


「なんだ。なんでもやるぞ」


「寝転がって休んでくれ」


「そんなこと? OKおやすい……おやすい? できるわけないだろ」


「なんでもやるんだろ。ガオならできるさ」


「うっ。わかったやってやる!」


 ダンプを勢いよく上げたり、急発進急旋回したり。ガオは躍起になって、なんとか車体を倒そうとする。


「誰かををからかうのは楽しいなあ。姫がなくなって、ぼくは誰をからかえばいいんだと落ち込んだものだが。ガオのおかげで、調子を取り戻したよ」


 水魔法の水で空腹を紛らわせながら、小悪魔の笑顔を浮かべたピコバール。調子があがり、どんどん、麦の粉ができていく。山になった粉で鉢はいっぱいになった。


「ふぅ。これくらいでよし。つぎはふるいか。今度は面倒がらずに作るぞ」


「ぐ……ふるいは複雑すぎて、ぐ……石臼のような理屈は通じないぞ。ぐ……」


「まだやってたのか、戦車が寝転べるはずないだろ」


「なん、だ、と?!」


 ガオは呆然として停車した。走り回って麦を踏み倒しまわったおかげで、あたりは、ちょっとした広場になっている。


ふるいだけど、底のない四角い鉢――枠――をつくる。それからこうして、余ったワラを縦と横にむすんでいく」


 例によって土魔法だ。土の盾アースウォールで、枠しかない四角い手持ち盾バックラーを生成、ワラクズのなかから、長く丈夫そうなものを選び、結んでいく。

 スキマが広く不均一。なんとも雑でふるいにみえない道具ができた。


「鉢の粉を入れてパタパタふって、粉だけ落ちる。ほーら!」


「へぇ。完璧じゃないけど分離はできたな」


 粉に少々の水を足すと半固形になるまでこねる。それを10cmほどの平たい円状に整えて、火魔法であぶること30秒。


「パンだ! ぼくのパン」


「パン……ちぐはぐに焦げた説明のつかない物体にしかみえないが」


 自称パン。実はナンと呼ぶほうが正しいが、ピコバールが言ったように、パンはバターと塩が必要だ。彼女は知らなかったがイースト菌も必要だ。時間をおいて発酵させてから、オーブンで焼きあげるのだ。

 食べ物の概念を外れた何かができあがった。


「生麦のほうがマシだった気がするけど。食べるのか。お腹壊すぞ、下手すりゃ死ぬぞ」


「うるさい。生まれて初めてのぼくの料理にケチつけるな」


「料理……ピコは味覚障害だったのか」


 不完全な生焼けナンは、後に、真赤に焼いた石の遠赤外線で焼く方法をみつけることで、多少マシになるのだが、それはまだ先のこと。


 ガオは、刺し違えても止めるつもりだったが、ピコバールは美味しそうにムシャムシャ食べているのをみて、留まった。


「うーん満足。ガオも食べられたらよかったのに」


「オレ。戦車でよかったと死ぬほど感謝してる」


 すこしだけまともな物を食べた幸福感。この夜も、満足して寝ることができたピコバールだった。


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