003-1 旅のはじまり1日目


 麦は、ピコバールの背伸びするよりも高く、視界のありったけをさえぎった。落下時は、あたり一面が麦のように感じたが、もしかすると麦はすぐそこで途切れてるかもしれない、なんて、一縷の望みを描いてみる。


「身長2メートルあるぼくの目をさえぎるとは、こいつ、鉄壁のディフェンダーか」


「誰が2メートルだ。ピコはホラふきだな。ホラピコだな」


 ちなみに車高は120センチだと、ガオは、興味のない仕様を付け加えた。


「念押ししておくが、ぼくはピコバールだ。略してつなげるな」


 ピコバールは足をあげようとしたが膝が、窮屈な衣装にひっかかった。このドレス調のメイド服はいつもそうだ。ガオと戦ったときもまとわりついて、いちいち動きづらかった。


 襟元に手を入れて、中にあるミニポーチをつかむ。


「さいほうセットーー」


 定番のかけ声で取り出したミニポーチは、裁縫セット。淑女のたしなみと、大人から言い含められて裏ポケットに仕舞まれたセットが初めて役にたつ。糸や縫い針がぎっしり詰まったセットから選んだ小ハサミを、メイド服にあてた。


「切ってる!? 淑女が足をみせていいのか」


「いいんだ。ぼくをとがめる大人は、ここにはいない」


 ドレスのヒザから下を、ジョキジョキ切り落とす。バサバサたくしあげてあげて風が通るの楽しんでから、快活そのものという身軽さで、ガオに乗りあがった。


「こうすれば、ほら2メートル強だ」


「このピコ! オレの上に立つな!」


 上から見ても横から見ても長方形のガオは、前3分の1が操縦席やエンジンなどの心臓部、後ろが下部に砲塔を格納するダンプ部だ。運転者を護るカバーなどはないが、雨をしのぐための頒布の屋根がついてる。ピコバールはその屋根に載った。


「ひゃー視界良好……でもないな。どこまでも麦だらけ。建物どころか山もない」


 どこまでも途切れない麦が、風でスタンディングオベーションしている。100万人でも養えそうな豊穣なる食物。貴族の端くれのピコバールは、本来、喜ぶべきところだが、治めるべき領も人もキレイに無くなってしまってる。


 爽やかな広陵という言葉はあたらない。不安を抱かせる景色だ。荒涼という表現が、似つかわしかった。


「座席につけよ。汚い足で乗るな」


「終わらない平野か。切れ間のない雲みたいで、もやもやしてくる。なんだか……」


「なんだか?」


 ぐぅと、音がした。


「お腹がすいた。昼食はまだかガオ。朝と10時のおやつしか食べてない」


「オレは召使か。勝手に用意しろ」


「そうは言ってもな」


 見回すまでもない。種類は不明だが、あるのは麦、麦、麦。着の身着のままで、放り出されてる、食べられるものなど持ってない。ピコバールは麦をひと房、引っ張ってみた。おもいがけず、根ごとすんなりと抜けてきた。


「この麦って、陽の光をさえぎってたのが繁殖したってことでいいんだよな」


 つぶやいて、うなづいた。


「そうなのか。それなら食べ物というより日よけだな。まさか喰うのか」


 同意を求めたものではないが、オの反応が薄い。親方が作ったんだと、少し前なら、自慢している。


「食べないさ。食べたらお腹を壊しそうだし。それよりもガオのパネルが気になった。地面の図柄らしきものが表示されているんだが。これは地図か?」


 二つある画表示パネルの片方に、地図にしかみえないものが表示されてる。地図が門外不出だったのは今は昔、統一されないまでも、ほぼグローバル化された現在世界は、安定した貿易を執り行うため、ある程度詳細な地図を交換していた。

 ピコバールも地理は勉強させられており、各地の特産品や戦略的価値をまぶたを閉じながら聞いていたものだ。よって詳細な地図など、二つの意味で見たことがない。


「よくぞ訊いてくれた! それは、オレの7つ自慢のひとつ。高所反射マップシステムだ! みたか!」


 がったんがったん。ダンプを鳴らし、パネルの少年が目を潤ませて満面に微笑んでる。


「みてるけど。どゆこと?」


「ふふん。あまりにすげー優秀システムを理解できないとみえる。これは、オレが動くのに合わせて変わっていくスゲー優れものだ。地図の中央の点がオレ、1キロ北に向かえば、地図は1キロ南にズレていく。しかも詳細から広域まで、縮尺変更もスゲー自在。店も宿も探しだせる。スゲーだろ!」


 スゲーが多すぎて分かりにくいが、現代でいうところのカーナビだった。


「スゲーなそれ。なら、近くに食べられる場所があれば、スゲーわかるのか?」


 ピコバールがあおる。ガオの自慢は続く。誇らしそうにダンプをギッタンギッタンして、リクエストにお応えする。


「もちろんだとも……えー。ここから、東へ13キロ。進んだところに、ロゼアニという町がある。そこに舌なめずりするくらいスゲー美味い店がある、らしい。舌なめ店だな」


「“舌なめ店”て、ヤ-らしいな。それでどっちが東? こっちか?」


「東は東だろうバカなのか。進路なら一目でわかるぞ。高い山に設置した反射塔が現在地の座標をおしえてくれるから、それを起点にナビ開始……開始」


 しゅたっと、ピコバールは頒布の屋根に乗りあがり、手のひらをかざして四方の遠くを見回した。


「反射塔どころか山そのものがないのだが」


 太陽はやや傾いた真上。常識に照らせば、傾いたそちらが南で左が東だ。そんな簡単なことが理詰めの軽戦車には分からないらしい。画面では、ぐるぐる回って北を示さない方位磁針をアニメのガオが踏みつぶしていた。


「東西南北、どっちにも町がある! 店くらいある!」


 ガオが急発進。頂上で立っていたピコバールは、足を滑らせてダンプの中にダイビングとなった。


「いてて。出るなら出るって先にいえ。漏れそうなのか?」


「うおおおぉぉーーー」


 軽戦車は突進に忙しく、会心のボケは届かなかった。


「……スルーは、ハートに堪えるなあ……」


 リングのコーナーで真っ白な灰になりながらも、全力クローラ突進でふり落とされないようがっちりと縁にしがみつくピコバール。

 麦で視界不良。うっかりふり落とされて、行方を見失ってしまえば、再びガオと合いまみれることなど、困難にちがいない。

 もしかするとそれは死に直結するかもしれないのだが、当人にその意識はない。


「ぼくの後ろに道はできる。ん? ガオ、真っすぐ進んでないようだが」


 踏まれて折り重なった麦の跡。一時的なその道は激しく蛇行していた。直線にはほど遠い。


「これが、オレの真っすぐだ!」


「同じところをぐるぐる周回してないから、ま、いいか」


 そうやって体感では10キロくらい。時計はないが30分くらいは走ったろうか。小川に架かった木造アーチ橋のうえで、ガオは停車した。

 景色に大きな変化はない。橋と流れる川の外は、麦だらけのまんまだ。町も店も、目標にできる建物もない。


「してガオ君。いま、どこらへんなのかね? 町にはまだ着かないのかね?」


 ピコバールは、ここぞとばかりに、マウントをとりにいった。


「……ない」


 ふてくされてぼそっと、つぶやくガオ。

 ピコバールはわざとらしく、耳に手をあてた。


「はて? ちかごろ耳が遠ぉなっての。もういちど言ってくれんかの」


「わかんないんだ! 地図と場所が一致しない。うわーん!!」


 世界のどこいもない自慢したくなる、最先端の地図システム。それがまともに仕事をしないどころか、ガオ自身、どこにいるかわからない。迷子になった不安と、信頼した拠り所が一緒になくなった。軽戦車には泣くことしかできなかった。魔道具技術にあこがれて背伸びした少年に戻ったかようだった。


「泣きたいのはぼくのほうだ」


 ピコバールは許さない。


「着いたのは魚もいない川の上ときた。食事にありつけるかと、期待に胸を膨らませてたのに。言っておくが胸は比喩だ。お腹が減るたび胸が膨らんだら巨乳で歩けなくなる。さらに言っておくけど、けっして胸が無いからそう言ったわけじゃないぞ。ぼくはまだ少女だからこれから発展する息吹なのだ。いったい何を言ってるんだぼくは。ああ、めまいが……なんでもいいから食べないと……」


 なにを言ってるか自分でも不明なピコバールは、ふらふら麦に手を伸ばして、数粒、麦の外被をむいて口に入れた。ガオは驚いて、泣き止んだ、


「ぐえ……腹を壊すぞ。医者も薬もないのに」


 ゴリゴリ。というよりは、ぐぉりぐぉり。頑健な奥歯を総動員して、牛が反芻するように、ピコバールは数粒の麦を時間をかけて噛み砕いていく。


「ごっくん。ふむ……固い。殻だが皮が固いが、毒ではなさそうだ。食べられなくもない。ほんのり味もある。味蕾が美味しいと感じる条件を170度ほど曲げてやれば、このままでも三ツ星シェフ料理のような美味に……なるかっ!」


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