001 ピコバール
理由はわからない。貯え過ぎた麦の光が解放されたせいか、魔法道具研究でつくられた“麦”に問題があったのか。世界は1000もの国に分割されたと、後から知ることになるが。
「キレイだ――空がどこまでも蒼い」
ピコバールは、空中にいた。もっというなら下降していた。正確にいうなら、重力の掟にしたがい絶賛、危険な高さを落下していた。
「どれだけ高いんだ。なにも見えないけど」
いつでも視界を塞いでいた高い城壁がないことから、最低5メートルと読むが、城そのものが見えないから、どれほどの高さにいるか想像もつかない。
ガオの肉体へ戻すために末姫が組んだ魔法陣が、機能不全になった。爆発はなかったから、なぜ空中にいるのかイマイチ説明がつかない。着てる侍女服をはためかせ、どこまでも落ちていく。
「時間が長いこれが走馬燈か。貴重な体験だな。姫様にも話して……」
その末姫も同じく落下してるのかも知れない。これまでの人生が駆け巡るのが走馬燈と聞いていたが、とりたててなにもない。姫のほかに気安く話せる相手もいない。自分の狭すぎる環境を思わず笑った。
「ばっちこーい!」
淋しい12歳のしめくくりは、せめて痛みなく逝きたいものだ。ピコバールは目を閉じ、地面にたたきつけられる瞬間を待った。
ばさ――。
「……」
落ちた衝撃はゆるかった。死ぬどころか軽い痛みがあるくらい。なにかほわっとしたものに受け止められたのだ。ごわごわしたものが口の中にはいる。
「ぺっぺっ また麦か」
運よく、軟らかな地面を覆う麦畑の中に落ちたらしい。よいしょと立った背丈より麦のほうが高い。ぴょこんと跳ねてみた。穂先の合間にみえたのは果てのないパノラマだ。
「……うそだよな」
何度も跳んで確かめる。正面、右、左、後ろ。視界一面。どこまでも麦だ。ゆるい丘があったが建物も、山もない。目印になりそうなものは発見できない。城の螺旋階段につまらない風景画があったが。あれを100枚並べればこうなるか。特徴のない、どこまでも広がった黄土色の草原。
「夢だよな。イテ」
ほっぺをつねった。手もつねった。太もももつねってみたが、どこも痛かった。
「なにがあった。いや。あれしかないか」
ガオがやらかした魔法陣の暴走と、魔石になったガオを救おうと末姫が組んだの魔法陣の失敗。
城も城下もなにもかもが消えて、代わって現われたのか、もともとあったところに飛ばされたのか。見渡す限り麦の草原だ。
「城も工房も町も消えた。まるでぼくだけ空から落ちたようだ」
空をみあげれば、落下中と変わらない蒼空。雲ひとつない潔癖ぶりに、落下したことさえ、夢に思えてくる。自分はずっとひとりで麦のなかにいたのではないか。男爵家に生まれ、末姫の遊び相手として、勉強をしていたことが、出来過ぎた想像物だったとしたら。
ふと置いた指先が固いものに触れた。工房にあったリボルバーだ。
「グッジョブ。ぼくの手癖」
誉められたことじゃないが、これで望みがでてきた。工房のほうが現実だ。ピコバールはリボルバーを抱きしめる。ほかにも落ちてるはずだ。姫もきっと近くにいる。
「姫! 死んでないなら返事しろ。死んだら死んだって返事しろ」
ピコバールが叫んだ。何度も何度も叫ぶ。
「姫! このアホすかたん! 歴史嫌いの魔法バカ!」
声を枯らして叫んだ。返事はない。ゆるい風がときおり吹いて、麦の穂をゆらした。
「ひめ! このー姫! ひめ。返事しないか。返事してくれ……」
頼りなく揺れる麦をかき分け、方向もわからず、進んでいく。どれくらい歩いたかわからない。疲れもピークを越えて、自分しかいない、そうあきらめかけたとき。遠くからかすかな音が、風に運ばれてきた。
「機械の音?」
ギリギリ、ガシャガシャ、などとマシンが鳴らす音がたしかに聞こえる。工房の道具か。もしかすると姫が鳴らしてるかもしれない。音の方向へ麦を漕いでいく。ぱっと開けた場所についた。
「こいつは、工房にあったなんとかいう軽戦車だ」
試作中だった軽戦車ぽつんと一両。履帯跡がないから場違いが。ゴムクローラが地面にめりこんで斜めに傾いてる。鉄の絡まりが落下したのだ。湿地だったら完全に沈んでみえなくなってた。
「おーい姫?」
慣れてしまった手つきで麦をかきわけ、軽戦車のまわりを一周した。姫も、誰もいない。疲れきって、戦車の操縦席に腰をおろした。
「ぼくひとり……か。こいつで旅でもしろってか。動くならそれもいい」
ひとり乗り用の席の正面はフタが開いており、中に丸い容物があった。そこには光る石が置いてあり、それは忘れようがない代物だった。
「これガオの魔石じゃないか。わっ」
魔石を隠すようにフタがしまる。開く仕掛けがあるようにみえないぴったりしまった上には、2面の薄い板がはめこまれていた。ひとつの薄い板上に機体車コンディションの文字と適応する数字。別の板には絵があった。
「どういう仕掛けなんだ……この絵はガオだろ」
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