第29話 嫌な胸騒ぎ

 全身の寒気にふと目を覚ます。俺は気づいたら自宅のベットの上で寝ていた。服は全て脱いで下着のみで寝ていた。


 壁に目を向けるとスーツは丁寧にハンガーに掛かっている。


 酔ってもちゃんとスーツをハンガーに掛けられるのは並列思考のおかげなんだろう。そんなことを思いながら、1階に降りてテレビをつけてくつろぐ。


 今日は仕事が休みのため、昨日は飲み過ぎてしまったようだ。


 朝食の準備をして机に持って行くと、知らない付箋が貼られていた。


 そこには桃乃からのメッセージが書いてあった。


――――――――――――――――――――


 酔っ払っていたのでタクシーを呼んで自宅まで送りました。手持ちで足りない分は先輩の財布からお金を借りています。勝手に財布の中を見てすみません。


 スーツは適当に掛けておきましたが、汚れているのでクリーニングに出した方が良いかもしれません。


――――――――――――――――――――


 俺は急いで部屋に戻り、スーツを見ると僅かに汚れていた。


 臭いからしてきっとどこかで吐いてしまったのだろう。こんな先輩の面倒を見てくれる後輩は中々いない。


 久々にあんなに酔ったのも、相当気が抜けていたのだろう。


 俺は桃乃にお礼を伝えるために連絡をしたが電話に出ることはなかった。時計を見るとまだ10時ぐらいのため、せっかくの休みをゆっくり過ごしているのだろう。


 昔の俺も仕事の休みの時は昼過ぎにしか起きなかった。


 俺は家事を終えいつも通りに異世界に行く準備をする。今回は特に別の株は購入せずにETFのみに絞って追加購入をした。


 パッシブスキルが強くなるかどうかの検討も踏まえて買っている。


 俺は覚悟を決めて玄関の扉を開けた。


「あら、慧くんおはよう!」


 覚悟していたが予期せぬことが起きると人は脳の整理作業のために、一旦無かったことにするのだろう。俺は玄関の扉を閉めた。


 それでもおばさんは何度もインターホンを鳴らす。


 俺はまた扉を開けるとおばさんは門扉もんぴから手を振っていた。


「おはようございます」


 俺は靴を履いて駆け寄ると、いつも通りおかずを持っていた。食費も浮くため文句は言えないが、毎回休みの日に持ってくるのは何か理由があるのだろうか。


「急に閉めたからびっくりしたわ」


 こっちからしたら門の前に居たことの方がびっくりだ。


「靴を履くの忘れて」


 俺は咄嗟に答えたが、中々相手を傷つけない良い発言だ。今日も思考加速が本領発揮している。


 おばさんからおかずを受け取ると、あまりの量の多さにびっくりしてしまった。


「今日はおかずも多めにしておいたわよ。昨日飲み過ぎたようだし、胃に優しいものと彼女の分も用意しておいたわ」


 俺の事情に詳しいことに気持ち悪さを感じるが、帰ってくる時にはしゃいでうるさかったのだろう。


 それにしても彼女の分って桃乃のことだろうか?


「彼女って……もう帰りましたよ」


 確か玄関に桃乃の靴はなかった。


「そうなの? 朝から掃除をしていて外にいたけど帰る姿を見てないわよ?」


 きっとそのままタクシーで夜中に帰ったと思ったが、おばさんの言葉にどこか胸騒ぎがした。


 再びタクシーで帰るなら俺を着替えさせないし、いくら近くに住んでいると言っても夜中に電車があるわけでもない。


 夜中に若い女性が一人で歩くことのほうが危険だ。


「そういえば、朝起きた時には1階の電気が着いていたような」


 俺はその時全身に鳥肌が立った。ひょっとしてあいつに何かあったのかも知れないと頭をよぎったのだ。


 微かに残っている記憶の中から、俺は酔っ払って無意識に穴の存在を話していた。


「おばさんおかずありがとね! ちょっと急用を思い出したからごめんね!」


 俺は急いでおかずを持って家に戻った。


「早く行かないと彼女死んじゃうよ」


 ボソッと何か言っていたが急いでいたため、聞き取れなかった。


「どうか何も起きないでくれ!」


 必死に願いながら桃乃に電話をかける。しかし、帰ってくる反応は呼び出しコールと留守番電話の案内だけだ。


 もう一度電話をかけると、静まる家の中でわずかに音が鳴っていた。自分の家でバイブ音が聞こえている。


 急いで音が鳴った方に向かうと、見覚えのある鞄がソファーの近くに置いてあった。


「これって桃乃の鞄だよな?」


 俺は鞄の中身を開け、身元がわかるものを探した。保険証をみつけると、そこには桃乃の名前が書いてあった。


 桃乃が異世界に行ったと想定すると、恐怖が押し寄せてくる。投資もしていない状態で、さらに時間もかなり経っている。


 向こうの時間とこっちの時間では進む速度がかなり違う。それを考慮すると頭に浮かぶのは、""の一文字だ。



 俺は急いでそのまま玄関を開けて、穴に向かって走って行く。


「くそ! 口を滑らせて言うんじゃなかった!」


 俺は後悔しても仕切れない。あんなに優しい後輩が今頃どうなっているのか、想像もしたくなかった。


 俺は急いで穴の中に潜った。トンネルの中は、俺の叫び声と啜り泣く声だけが静かに響いていた。

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