第3話 物貰

 目が覚めると煙草の灰と、垂れた酒の雫でベタつく不快なカウンターだった。

酔い潰れた私はカウンターに突っ伏して寝ていたらしい。

七尾ななお 小夜子さよこは、衣服に乱れがないか反射的に確認するが、デニムのロングスカートは体にぴっちりと沿って変わりなく、小さなハンドバッグも肩からかかったまま体の正面に抱え込んでいた。違和感がない事にひとまず安心する。


 目の焦点が合わない。

だんだん鮮明になる頭が、周囲の音を拾う。

静かにjazzが流れている、とても狭くて薄暗いどこかのバーのようだ。

客は数人はいるようだが、誰も会話はしていない。

カウンターの内側の隅に男が立っている。

どんなに目を凝らしても、男は鮮明に見えないが、黒いスーツに身を包みこちらに背を向けたまま、流しで何かを作っているようだ。声を絞り出す。


「あの、、、」


男はゆっくりと振り返り顔を見せるが、さっきからどうしてか目の焦点が合わない。カウンターの隅から動かずに男は静かに言った。


「まだいりますか?」


発言に合わせて一気に男の顔が鮮明になった。

何年も前にひどい別れ方をした、、、確か名前はカズだった。

そのまま意識はブラックアウトした。



気づいた時全く知らない路地裏で、外は夜だった。

ふらふらと歩いていていると、だんだんと喧騒が近づいてきて、高瀬川に出た。

ここはいつも飲みにきてる木屋町だ。

時間を確認するためにハンドバッグからスマホを取り出し、画面をタップするが全く反応が無い。

電源ボタンを長押しし、真っ黒な画面を見ている時、違和感があった。

スマホが立ち上がった。不思議と電池はそこまで減っていなかった。違和感を確認するためにインカメラを起動すると思わず、ヒッと声が出た。


画面に全く知らない顔が映っていた。




『第3話 物貰』




 七尾小夜子の生活は顔が変わってから一変した。


 元来、いいように言えばタヌキ顔の親しみやすい顔だったと思う。

自分ではコンプレックスだった丸顔は、全く逆のシャープな輪郭を持ち

どちらかというとキツネ顔ではあるが、惚れ惚れするような美人になっていた。

 医療機関でも確認したが外傷や薬物の痕跡もなく、なぜ顔が急に変わったのか、全く分からなかった。

 今の職場では、どう説明しても信じてもらえると思えず、整形したと影で言われるのが関の山だと怖くなり、逃げるように退職した。

 幸い一人暮らしで彼氏もおらず、親しい友達や家族には何も触れないで欲しいので少し時間が欲しいと言い距離を置いた。


 変化を一番に感じたのは転職活動の最中だった。

元の顔ではあれだけ苦労した就職が、トントン拍子に進む。同業者だが前職とは比べ物にならないような大企業に挑戦し、見事に就職できた。


 確実に世間が自分を見る目が変わったと実感した。

あちこちから食事や遊びの誘いが来て、どこに行っても話題の中心にいるような気がして楽しかったが、同時に見た目の破壊力が少し恐ろしくなった。

 新しい環境で過去を探られないようにしつつも、同時にあの夜私に何が起きたのかをすっと調べ続けた。


 あの夜のバーはいくら探しても辿り着けず、病院での精密検査の結果も整形痕等は一切見られず、超常的な現象をにわかに信じ始めた。とにかくネットで調べ続けた結果、同じ京都に超常現象の相談にも乗るという怪しさしか感じない 福禄谷探偵事務所 の初回相談無料を受けることにした。



〇  〇  ○



「つまり急に目覚めた時に理想の顔に変わっていたと、そういうことですか?」

「師匠、この人理想とは言ってないですよ。」

一息に相談内容を吐き出した私に福禄谷景光と助手は答えた。


 事務所とは名ばかりの、異世界のような場所だった。雑居ビルの2階、所狭しと水槽や謎の生き物のケージが並べられた廊下を抜けると、和装でちぐはぐな二人組に迎え入れられた。

 個性派俳優のような痩せたメタルフレームの丸メガネをかけた男は、目の奥に怪しい光を宿している。一方、湯呑みを運んできた雫ちゃんと呼ばれる女の子は、人形のように可愛いが一切感情が読み取れない。

私はまた記憶が飛ぶのではないかと、あの日がフラッシュバックし、意識を強く保った。


 真実が知りたいと時系列を追って現状を説明すると、訳知り顔で頷いて聞いていた福禄谷が口を開いた。

「依頼者の、、、七尾ななおさんと読むんですか?七尾さんはその時何か無くしませんでした?」

「カバンの中は全て確認したけど、多分何もなくしてないと思います。記憶くらいですね。」

「それは飲み過ぎたせいじゃない?」景光は含み笑いで言う。

「ちょっと色々むしゃくしゃしてて、、、記憶がないのは、、それって関係ないんですか?」

「うん。大抵街にいるこの手の奴らって、すぐ相応のものが取られるんだけど、聞いた所記憶もその時だけだし、七尾さんは何も失ってないからね。」


「この手の奴らって、、、どういうことですか?」

「十中八九 妖 と会ってるね。多分契約好きのあいつだと思う。」

横で雫がため息をつく。

「師匠、ちゃんと説明してあげてくださいよ。ほんと同世代の女性にはコミュ障ですよね。」

「コミュ障って何?じゃあ雫ちゃん試しに説明してみてよ。」


「妖とは、人にちょっかい出す妖怪のことです。ずっと昔からいるし、姿も形も時代によって様々です。注意しなくちゃいけないのは、何か影響があった時に知識と力のある人が仲裁に入ること。だからここに来た七尾さんは運が良かったと思います。」

「だいぶ主観入ってるね。おおむね間違ってないけど。」


 理解が追いつかない。


「で師匠、今回の妖は何なんですか?」

「人間大好きな 物貰ものもらいだね。ほっとけば向こうから会いに来ると思うよ。」


ものもらいとはあのまぶたが腫れることだろうか?会いに来る?

「どういうことですか、、、?」


「んー、、、じゃあ一緒にこっちから会いに行こうか?物貰ものもらいに会えたら依頼料金発生するけど大丈夫?」


願ってもない。

私はあの日の記憶で最後に覚えている、四条木屋町のタクシーに飛び乗った交差点まで案内した。



○ ○ ○



「さすが土曜日の夜だし混んでるね。」

福禄谷が伸びを終えて、秋の気配がする雑踏を呑気に眺めている。

時間は21時を少し過ぎたくらい。助手の女の子も着いて来ている。福禄谷は相変わらずの和装だが、雫はざっくりしたタートルネックのニットにスキニー姿というシンプルな格好で、全身黒だった。凛とした黒髪のショートカットがミステリアスで、佇まいは完全美少女そのものだった。見れば見るほど年齢がわからなくなる。

 男の目線が私たち二人を見た後に真ん中の福禄谷をみて驚いているのが分かる。本人は人の視線など一切気にせず、どこかに向かうように木屋町を四条通から北上し始めた。




○ ○ ○



 福禄谷は夜の繁華街をずんずんと歩き続けた。やがて小さな路地に入り、祠のある小道で、自身の眼鏡を差し出してきた。

「ここから先はこれかけてくださいね。」

言われるがままにかけるが、度の強さにひるみよろめいた。段々と視点が落ち着いてくると、雫に手を取られ、再び歩き出した。


 その路地裏の小道に入ると途端に雑踏が消え、あたりに人の気配を感じなくなった。

「もう眼鏡外してもいいですよ。」

手を引いてくれていた雫に促され、景光に眼鏡を渡す。改めて辺りを見渡すと確かにここにいた感覚が蘇り、なぜか鳥肌が沸き立つ。

ここは確かにあの場所だと直感した。


 路地に看板は出ているが、何故か支離滅裂な日本語や見たことのない言語で書かれた店名、カラスや猫一匹も見かけない明らかに異世界を信じさせる場所だった。

私はこんな場所で一人で飲んでいたのか、、、

「私はどうやってこんな場所に一人で来れたんでしょう?」

「色んなことが考えられますね。何か霊障に触れた直後だったり、向こうから呼ばれたり、妖に人が巻き込まれるのは自然なことなので。」

まるで近所のコンビニに向かうような歩調で、景光は答える。あの日の行動を振り返るが、一つも心当たりがない。

 あの日もいつものように、サービス残業でクタクタに疲れ、週末で次の日が休みだったので、真っ直ぐ帰りたくない気持ちがあった。常連になっているバーに向かい、酔っ払ってクダを巻いて、、、、


「多分ここですね。七尾さんの残り香があります。」

雫はビルの地下に続く階段を指差す。

「私がここに来たのは3、4ヶ月も前だし、なんで分かるの?」

「七尾さんがここから出て行くときはもう顔が変わってたからだと思う。そういう残り香はこの空間ではなかなか消えないの。」

「まま、とりあえず物貰に会いましょうか。」

景光は話を遮り、知り合いの焼き鳥屋でも入るようになんの躊躇ちゅうちょもなく、階段を降り薄っぺらい木の扉を開けた。


 中は薄暗くて狭い、あの時のバーだった。小さくjazzが流れており、一つだけ違ったのは他に客はいなかったことだけだ。カウンターの中の男が振り向く。

「あーいらっしゃい。どうしましょう。まだいりますか?」

腰が抜けそうになった。

表情や仕草は明らかに別人だったが、その姿はやはり元彼のカズだった。


「やあ物貰君。この人記憶ないんだって。契約したいんだったらもう一度説明してあげたら?」

親しげに景光が割って入る。




○ ○ ○



ーーーーー


「やっぱりね。小夜子さんずっと自分のことばっかり喋ってたもん。」

「ちなみに君、随分人間っぽいね。」

福禄谷が聞く。確かに想像よりずっとフランクだ。

「あ、これは前の契約の副産物ですね。なんかいつもと真逆な人でしたよ。

っと、今回は小夜子さんでしたね。契約は望み通りの容姿をあげるって話ですよ。」

じっと見ていると、ますますカズに見えてくる。だがある一点の違いから確実に違う確証がある。


「やっぱりの顔で間違いなかったじゃん。」

「師匠つまんないこと言ってないで、七尾さんに契約のデメリットを説明しないと。」

「そうだね雫ちゃん。まずは今の話っぷりからするとまだ七尾さんは契約をしていないようだね。まだ引き返せるって事になる。ちなみにこのまま契約すると、七尾さんのその理想の容姿は手に入る代わりに、物貰の言うものを差し出さなければいけない。もちろんお金じゃなくて、経験や記憶、存在って場合もあるね。

それで物貰君は今回どんな何を貰うっていうの?」

「その通りちょっと早いけど、今までは半年間のお試し期間中で、その後契約してもらおうと思ってたんですよ。」


見た目がカズのこの物貰というは、携帯電話の販売員のような口調で続ける。私に向かって喋っているのだがいまいち現実感がない。


「私が今回変わりに貰おうと思ってるのが、小夜子さんの元の顔で過ごした人生です。あなたが一番欲しいと言っていたものを代わりに、あなたが一番と言っていたあなたの記録を私が全てます。」


七尾は声を荒げて質問する。

「それって、前の顔の私がこの世から消えるってこと?」

「その通りです。以前のあなたはもうこの世の人間には認識されません。希望通り、新しい、美しい自分に生まれ変わってあなたはそのまま人生を再スタート、という訳です。」



 雫は驚いていた。ここまで人間らしい発言をする妖は見たことがない。

妖とは人の意思など無関係に超然的に人の暮らしを書き換えてしまうものと思っていたからだ。反射的に七尾に問いただす。

「七尾さんいいんですか?そのまま物貰の言うこと聞いてしまったら、あなたを知る人の思い出からも消えてしまうし、家族とも会えなくなるんですよ?」

「雫ちゃんがそこまで依頼者に肩入れするなんて珍しいね。」

「師匠は黙っててください。」

 景光は雫の、家族という概念がこの子を人間界に強く結びつけていることを改めて知り、少し嬉しく思った。



「では小夜子さん、どうしますか。まだいります?」

「私は、、、、」





○ ○ ○




 俺の名前は和馬かずま。ここ京都でバーテンをしていた。

学生時代からずっと付き合ってる彼女がいるが、最近諍いさかいが絶えない。原因はわかってる。俺の酒についてだ。


 もういつからか分からないほどに、俺は連続飲酒状態に入っている。記憶が無くなるなんてもうしょっちゅうだし、二日酔いの朝、血反吐を吐いて彼女が救急車を呼ぶのを必死で止めた。

 いつしか目が覚めると彼女の顔に青タンがあり、それは俺がやったと知り、記憶もないのに誤り倒した。お互い涙を流し、もう酒は辞めると言ったその日に泥酔状態で、二人で住むアパートに運び込まれた。

 付き合って5、6年程だったが、俺があげたものや二人の記憶は全て、酒を飲んでモンスターになる俺に変わり、お互いを結びつけるものはもう剥き出しの命を素手で触ったという関係性だけだった気がする。


 やむなくして破局した。

 また酒を辞めると言ったその日に酩酊状態で家に帰って、昼起きると彼女は居なくなっていた。もう俺を人間たらしめるものなんて何も残っていなかった。


 連日ものすごく泥酔し、木屋町を闊歩していると路地裏に祠を見つけた。急に何か救いが欲しくなり、その繁華街の傍にある祠に、必死になって叫んでいた。



もう人間辞めてえよ。

あいつの欲しかったもん、全部あげたかったよ。

神様がいるなら聞いてくれよ。こんなはずじゃなかった、もうこんな俺はいらねえよ。。。 





○ ○ ○




 物貰ものもらい騒動から少しだけ時間が経って、七尾小夜子が福禄谷のところに会いにきた。


「七尾さん随分変わりましたね。」

何か憑きものが取れたように健康的な顔の七尾は以前より数段輝く明るい笑顔で、景光のところにお礼を言いに来たのだ。

「私の元の顔どうですか?やっぱりこっちの方が落ち着くし、私の人生の楽しいこと、辛かったこと全部無かった事になんかしたくないですし。」


 物貰との契約は結局破棄になった。その反動で、七尾の理想の顔はこの世の記憶から消え、元の垂れ目のタヌキ顔が上書きされた。七尾は物貰のお陰で、いい会社に転職できたと、笑っていた。


 雫がお茶を持って奥から出てきた。

「七尾さん、今の顔の方が好きですよ。とってもキュートです。」

「完璧顔面のあんたに言われたくないわよ!もうちょっと笑った方がいいんじゃない?」

いつの間にこんなに仲良くなったのか、女同士は不思議である。

「結局なんでこんな妖に巻き込まれたんだろ?」

七尾は最後まで疑問だった。



終わり

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