第2話 迷家


 

 リーン、、、チリーン、チリーンチリーン、、、、



 蝉の鳴き声が頭上から降り注ぎ強烈な日光が葉と葉の間を突き抜ける。

長い冬を耐え忍んだ森は今その全生命力を謳歌おうかさせていた。惜しみなく無く発揮された緑の爆発は、ふもとの畑を覆い尽くす勢いで迫っているようだった。


 森を突き進む小さな影が二つある。それは片手にアイスキャンディーを持って、慣れた様子で妹の手を引く幼い兄妹だった。

蜃気楼で遠く揺れる昼の森を、二人ともよく焼けた肌いっぱいに汗をかきながら、何かに呼ばれるように無邪気に奥へと進んでいる。

 ぽっかりと開いた緑の口は暗闇よりも深く、まるで意思を持った一つの生命体のように二人を飲み込み、もうこちらからは見えなくなってしまった。


 兄妹を飲み込んだ森の口の奥から、静寂を突き刺すように森の奥から風鈴の音色が聞こえた。

 それは命のかてとなった全ての者の最後の抵抗のように、繁栄を謳歌する緑の世界から響く寂しい残り香のような呼び鈴だった。




 リーン、チリーンリーン、、、チリーン、、、、





『第二話 迷家』




 京都の端のとある町、自然を紡ぐ巨大な河川が三本交わるこの町には古くからの自然の理と、人々の生活の知恵が共存する、ある意味での特異点となっている。

 3階建ての雑居ビルの2階に構える 福禄谷探偵事務所 には今日もそんな 妖 の影響を受けた相談者が訪れていた。

 一面の水槽や爬虫類の飼育ゲージで占めた壁を背に、無精髭のこの部屋の主人 福禄谷景光 はテーブルを挟んだ対面のソファに座る今日の依頼人の話を、目を輝かせながら聞いている。



「18年前、居なくなった私の妹を探しています。」

 今回の依頼人は 倉石 くらいし じん 地元の小さな建設会社の会社員だ。

骨太の体格と優しそうな四角い顔は、長年負い続けた悲壮感で実年齢の28歳より大分老けて見える。

「依頼内容をもう少し詳しく聞かせて下さい。」

 景光は依頼人の心情を面持おももちと好奇心が入り混じった顔で詳細を聞く。一呼吸置くと倉石は苦しげに話し始める。


「あの日、私達兄妹は森の中で見慣れない民家を見つけました。」


○ ○ ○



 18年前の八月、私達は二人でいつもの森で遊んでいた。

 年子の妹は 千佳ちか といい、私達は滅多に貰えないアイスキャンディーを手に入れ、上機嫌で森の奥への冒険を楽しんでいた。

疲れたと乗り気でない千佳の手を引き緑のトンネルを抜け獣道を行くとやや開けた場所に出た。その広場の奥に私は心奪われた。


 木々がぽっかりと切れたこじんまりとした空間は先程までの道と比べて輝く様に明るく、真夏の昼の日差しが注ぎ込まれ広場と森の境界線にある古民家を照らし出していたのだ。

 その古民家は麓にあるどんな民家より古めかしい外観に、平家で板張りの簡素かんそな外壁で囲まれ、茅葺かやぶき屋根を乗せた風貌は、あまり人の気配を感じさせない佇まいでそこに鎮座ちんざしていた。


 長年この森で遊んだが、初めて見る建物に私は興奮し、怖がる千佳を置いて正面に一つだけある窓から中を覗く。

やはり長年使われた形跡は感じられず、それでいて物が無く小綺麗な部屋が一つだけの造りだった。中を確認し安心した私は正面玄関の板張りの引き戸を軽く引く。手応えを感じず、戸は施錠されていなかった。


 私は広場の真ん中で見慣れぬ家を怖がっている千佳の手を半ば強引に引き、開け放った扉から家に侵入した。

 家の中はやはり窓から見た通りの一間で玄関の他に扉もなく、しばし埃の積もった棚を開けたりし探索したが、錆びた農具の金具や、竹で編まれたボロボロの籠などしかなく、なんの変哲も無い忘れられた家に退屈したが、秘密基地として利用するために一旦麓に帰る事にした。

 妹の千佳は家の山側の壁をじっと見ており、撤退を促すため行くぞと手を取り出口に向かう。玄関のたたきを跨いだ瞬間、あるはずのない風鈴の音が聞こえた。



 リーン、、、チリーン、チリーンチリーン、、、、



 ほぼ反射的に振り向いた時、手に持っていたアイスキャンディーが溶け滑り、棒から抜け落ち玄関土間に叩きつけられた。それがスローモーションで砕けるのを見ながら、私の半身は完全に敷居を潜り抜けていた。

その瞬間、右手で掴んでいた妹の感覚が無くなり私の目の前で家は妹ごと煙の様にその存在を消した。

 後は訳も分からず、一人立ちすくむ私に静寂を破る蝉の鳴き声が伸し掛かってきた。


子供心にもそれが緊急事態だと分かった。



○ ○ ○




「その後懸命な捜索が行われましたが手がかりは無く、妹はまだ見つからないままです。両親は千佳の生存を信じ、尽力しましたが3年前に母が、そして去年の冬に父が亡くなりました。父も母も決して私を責めませんでしたが、私は千佳が行方不明になったのは私が手を離したせいだとずっと思っています。あちこち手を尽くしてやっと超常現象に精通するある人の勧めでここに辿り着いたんです。」


 福禄谷は依頼人の心境を推し量り、辛い半生はんせいに心から同情した。


この妖は人の慟哭どうこくも狂気も一才届かない、自然災害に近い神隠しの一種だからだ。


迷家えのなかです。結論から言って現状は妹さんに辿り着くのは不可能に近いだろう。」

 景光はじっと倉石仁の思惑おもわくを見守る。


「辿り着くって事は妹は、千佳は生きているんですか?」

「迷家について説明しましょう。落ち着いて聞いてください。」

 景光はゆっくりと語り始める。


「迷家は深い森の中や洞窟などに現れる 妖 だ。外観は様々だが起きる事は一緒で風鈴の音と共に現れ人を招き入れる。

 中には何人でも入れるが最後の一人は決して家を出られない。中に残された人はゆっくりと記憶を失い、完全に記憶を失った時その人は消える。」


 少し間を置き景光は続ける。

「迷家の中の時間は非常にゆっくりで、まだ妹がいるとしても時はほぼ止まったままの可能性が高い。それにあんたが妹の手を離してしまった事に後悔しているならそれは関係無い。問題は迷家を見つける方法だ。

 迷家は人里離れた所ならばどこにでも現れ、それがいつなのか、どこなのかは誰にも分からない。迷家を出た人間は必ず人里に辿り着くから、未だに見つかっていないのは記憶を失ってどこかで生きているか、まだ家の中にいるか、記憶を完全に失いもう存在しないかのどれかだろう。」


 倉石はおそらく藁にも縋る思いで人里離れた場所で救出された人間を探すだろう。だが景光は知っていたが言わなかった。迷家はその性質から人に発見される方が遥かに稀な事を。


「迷家の事は、、、よく分かりました。今はそれを頼りにすることしかできません。たとえ手を離していないとしても迷家に引き込んだのは他ならぬ私ですし、決して諦めずに探し続けます。」

「今回はもう私にできることは無いし料金はいらない。力になれず、すまなかった。」

「いえ、まだ千佳がどこかで生きているかもしれないということが分かっただけで充分です。相談に乗っていただきありがとうございました。」

 結局事態は進展せず、倉石は消えない影を引きずりながら事務所を後にした。





「ただいま。」

 暗い気持ちを切り替え倉石は家族の待つマンションに帰ると6歳の息子が駆け寄ってくる。

「亮太、いい子にしてたか?」

「あなた、おかえりなさい。」

 この瞬間だけ長年続く妹への贖罪の気持ちが薄らぐ。

 同い年の ひとみ はこの当て所もない探索を静かに見守ってくれる俺にはもったいないくらいの妻だ。彼女の理解と協力が無ければもう妹を探す人間はこの世にいなくなっていたかもしれない。


「どうだった?」

 亮太を寝かしつけた後、瞳は心配そうに様子を聞く。

「信じられないかもしれないけど、、、」

 倉石は迷家の事を伝えた。瞳は残された可能性を諦めず、今からも変わらず出来る事を一つ一つ続けて行こうと優しく伝えた。

「やっぱり俺が、、、あの時家に入らなければ、、、俺のせいだ、、、。」

 瞳は妹が既に消えている可能性にとらわれ弱気に押しつぶされそうな夫を抱きしめはげまし続ける。


 あなたのせいじゃないわ、あなたのせいじゃない。





 一年後

「家族でキャンプなんて久しぶりね、亮太がまだこんなに小さい時に一回行ったきりよ。」

 後部座席に座る瞳は隣の亮太より興奮しているようだ。運転している倉石仁は楽しそうな二人をバックミラー越しに見て、家族水入らずのキャンプに連れて来て本当によかったと思う。


 あれから多くの発見された行方不明者を調べ、迷家が妹を吐き出していないか確認したが、数が多すぎてとても調べきれる量ではなかった。

そして行方不明者は膨大に現在進行形で増え続け、当初は自分の住む国の出来事だととても信じられなかった。仕事のかたわらで、見えない程の細い糸を手繰り寄せるが、何度も途中で切れてしまい倉石は疲弊しきっていた。

そんな時に妻が提案したのがこのキャンプだった。


 到着して一通り設営が終わり落ち着くや否や亮太がキャンプ場を探検したいと言い出した。倉石は千佳の事が頭を過り、お父さんと一緒に行こうと言い妻をテントに残し歩き出した。


 亮太は元気いっぱいに走り回るのが危なっかしく、必死で着いて行った。

しばらくハイキングコースを行くと、木々が開け遠くの山々が望む見晴らしのいい場所に出た。

亮太がすぐ様、景色を見ようと駆け寄り、斜面すんでのところで抱き留めた。

亮太を崖の反対に下すと動悸が覚めやらぬ内に叱ろうと息を吸い込む。


その刹那、

微かに風鈴の音を聞いた。倉石は斜面下を凝視し、手を木の枝にかけ崖際のブッシュの奥を覗こうとする。



 リーン、、、リーン



 全身に鳥肌が立ち体が強張ったその瞬間、手にしていた木の枝が折れ、ブッシュに倒れ込んだ。不幸なことにブッシュの下は断崖絶壁となっており、雲のようなしげみを突き抜け倉石は遥か下に滑落かつらくした。




 リーン、、、チリーン、チリーンチリーン、、、、



 どれ程時間が経ったのか、風鈴の音で目が覚める。仰向けで倒れており眼前には暗い森の木々が空を覆っていた。

全身に力が入らず、助けを呼ぼうと息を吸った途端、腹が裂ける痛みが駆け巡った。恐る恐る首を上げ自分の体を見ると、赤黒く艶めいた木の枝の様なものが臍の左下あたりから飛び出している。若干意識が遠のくが、熱した鉄を当てられる様な痛みが追いかけて来て何とか意識を保てた。幸い腐葉土の上に落ちたようで、どこか骨折しているかもしれないが自力で動けそうだった。

 痛みに対して呼吸をゆっくりと整え、さっきから鳴っている風鈴の音を探す。目をひん剥き気を失わないように耐えながら、ゆっくりと体を起こす。背中からどろりと何かが肌を伝い痛みが走る。声にならない声で悶絶しながら体制を四つん這いに変え顔を上げると、眼前にあの時と一才変わらないままの迷家があった。




 リーン、、、チリーン、チリーンチリーン、、、、




 更に一年後

 福禄谷はある少女に会いに、とある施設に来ていた。

その少女はある森の近くで発見されたが、一才記憶が無い上、当時のどの行方不明者にも該当せず、知っているものが現れるまでずっと施設で暮らしている。

推定6、7歳程のその少女は初対面の福禄谷に対して強い意志を持った目で黙って見つめている。


「これが18年間迷家の霊障に晒され続けた霊気か。これを手掛かりにすれば迷家を探し出せるかも知れない。」

「じゃあ私の依頼は受けてくれるって事?」

 少女は表情を変えず問いただす。

「少し時間が掛かるかもしれないけど、構わない。ちなみに成功報酬はどうするんだ?」

「あんたの下で働いて返す。何でもする。」

「は!?、、、いいだろう、それまでにしっかり霊能を身につけてこい。役に立たないと俺が判断したら、この依頼は無しだ。」

 今回の依頼人はこの少女である。

歳不相応なしっかりとした話し方からは、失った記憶と、自分を取り戻すために相当な苦労があった事を感じさせた。



○ ○ ○



 私の依頼内容は唯一の記憶である、ある男を見つけること。

その男は傷だらけで今にも死んでしまいそうだったのに、閉じ込められていた私を外に出してくれた。最初に見せた安らかな笑顔は決して他人とは思えない、私について何か知っていると感じた。

私が発見された時に、同時に行方不明になった人がいるのが最後の手掛かりでそれ以上何も情報は無い。

この施設は少し特別で、私のような人が何人かいる。


私は絶対に本当の自分を絶対に取り戻す。施設の職員シスターを手繰りこの胡散臭いが確かな霊気を感じるこの男にたどり着いたのだ。



「あんたどうやって見つける気なの?」

「迷家の霊気を追う。今までそれが出来なかったのは迷家から帰って来た奴が一人もいなかったからだ。あと次あんたって言ったら依頼はキャンセルするからな。」

「分かった。なんて呼んだらいい?」

「師匠と呼べ!弟子よ!そういえばお前名前は分かるのか?」


「月夜田雫。よろしくね、師匠。」


 私の最初の記憶を忘れない様に自分で着けた名前。あの月夜の森であの男が流した涙の意味を知りたかった。本当の名前が分かったらこの名は捨てるつもりだ。

 

 絶対に迷家を見つけてやる。



終わり

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