第12話

 二〇一一年三月一一日。

 宮城県神松島市内ではいのり幼稚園の卒園式がおこなわれた。

 午後二時四五分。しよくそうぜんたる一軒家の居間にてシングル・マザーのりゆうかなえは感慨にふけっていた。この世にしあわせなんてないとおもっていた。けれどこれがしあわせなのか。かなえは一張羅で卒園式をまっとうした息子の一鬼に「プレゼントだよ」といい小学校の教科書を譲渡せんとする。りゆうかなえのスマートフォンが緊急地震速報をめかせるのと大地がげきとうしはじめるのはおよそ同時であった。これは普通の地震じゃない。りゆうかなえはないに一鬼を抱擁した。くりの巨大地震に実際木造築四十年の実家はおうじやくげきとうし壁面にらいてい状の亀裂がしょうじてささえられなくなった天井の木片がれきとなってふりそそいでくる。およそ三分間りゆうかなえは沈黙する一鬼を沈黙したままぎように抱擁しつづけた。三分後。かんじよとなっていた大地のしんとうはやがてぬえてきなるせいひつへとかわってゆきしゆうそくした。こつぱいとなった天井のれきのしたから一鬼を抱擁して廃墟となった屋内に脱出したりゆうかなえは真摯なるがんぼうでスマートフォンを凝視した。余震がくるかもしれない。どちらににげればよいのだろうか。スマートフォンは沈黙した。激烈なるしんとうで通信インフラストラクチャーが機能停止しているらしい。りゆうかなえはほうふつした。いわく「武藤さんだ。武藤山へにげるよ」と。武藤氏は一九六〇年当時のチリ地震を契機として「もし宮城もあんな津波におそわれたらここににげるんだ」といって十年以上のえいきよをけみして膨大なる自費をとうじんかいわいの岩山に緊急避難用の階段とコンクリートのシェルターを設置していたのだ。当時より隣人たちから「武藤さんはおかしなやつだ」「津波変人」「武藤山の武藤さん」とされていた。

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