002. 生まれ変わりの一発
ヒースはあの後もずっと走っていた。もう何日走ったのかも分からない。足がもうはち切れそうで、肺が痛くて何度も何度もむせた。それでも走り続けた。
途中で通ったザックおじさんの家は襲撃されていて、家は燃やされていた。きっと男二人組に脅されて、赤目を持つ俺の居場所を教えたのだろう。
その家を過ぎたのはもう遠い過去のこと。今俺はどこにいるのか……。
眠たい……そんはずない。だってこんなに走り続けているのに。しかし、眠たい。
もう力尽きそうだ。それが眠気の原因だった。いつの間にか積もっていたはずの雪は無くなり、一面が薄暗い灰色の地面だった。
陽が登り始めた。地平線からチラチラと太陽の光が見えた。灰色だった地面は緑を取り戻し始めた。日光が明るく世界を照らしていく。
ヒースは顔を上げた。そして立ち止まった。目の前の景色を見て、ようやく安心する。
「やっと、ついた……」
木造の家があちこちに立っているのが見えた。これが、ガルダの言っていた村なのだと分かった。
襲うのは人。だから危険なのは十分に理解している。しかし、ヒースを救ってくれるのも人だ。まずは、ヒースを助けてくれる人を見つけたい。この力尽きた状態では、すぐに捕まるし、何せ護身術なんて知らない。つまり、喧嘩や争いが出来ないのだ。
誰かに、守ってもらう必要がある。まだ十四歳のヒースは体つきも小さく、命を狙う大人たちには及ばない。
とりあえず、村に着いた。そのことに、とても安心したヒースは少し油断をする。
あまりの眠たさに、欲求に負けてしまった。ヒースはその場に倒れ込んで、眠ってしまった。
少しの安心と、油断。それがヒースを苦しませる。
※
目が覚めると、目の前は木の壁が見えた。ヒースは地面に倒れていた。その地面はガタガタと揺れ、頰と体を打ちつけている。あまりの不思議の感触に戸惑った。骨に響くような揺れだった。
さっきまで野原の上で眠っていたはずなのに。どう言うことだ?上下左右木の板?大きな木の箱の中にいるのか?
考えていると、声がした。ヒースは驚きのあまり、目を瞑って寝たふりをする。
すぐ後ろで誰か話している。声は二人いる。両方男だ。ガルダとリリーを殺した人たちではない。
手足を動かそうとしたが、両手は拘束されていた。
拘束された両手。二人の男。ヒースは考察した。
──おそらく今、連れ去られている。
「にしても、オレたちもラッキーだよなー。野原に行ったらまさか赤目の子供が落ちてるなんてよ」
「あぁ。本当に運がいい」
実は今、ヒースは馬車に乗って運ばれている。馬車に乗っているのはボロボロで薄汚い服に身を包んだ二人の男。そして、馬車の外には馬に指示を出すもう一人の男。
ヒースは眠っている間に三人の男に連れ去られてしまったのだ。
いきなり危機が訪れている。
両手は縛られて、相手は三人。しかも、疲労のせいでほとんど体も動かすことができない。誰かに頼ることもできない。
ヒースは箱入り息子で、世間のことはまったく知らず、馬車なんて言うまでもない。今何が起こっているのか、どういう状況なのか、はっきり分かっていない。
しかし、今連れ去られているということだけは分かった。
「でも、こいつが本当に赤目の子供なのか、よく分からないよな」
男たちはヒースがまだ眠っていると思い込んで、話をしている。
「ああ。今じゃ世界中が大混乱だ。その子供を探すために殺しを始める人たち。さらに、自分の子供の目を赤く染めて売り飛ばす貧困層の民で溢れかえってる」
「連合会の支社はそんな人たちでごった返し、もう誰が本物なのか訳が分からない」
「情報が少なく、『赤目』って言うのがキーだからな。まあ、とりあえず持っていったら分かるさ。それでもし本物だったのなら、オレたちは一億さ」
「……でも、その男の子は、いったい何を犯してこんな破格の懸賞金をかけられたんだろうな?」
「分からない。そんなこと、オレたちは知らなくていいのさ。早く、この貧困から抜け出したい……」
「この辺は世界の底辺。オレたちはそこで生きるしかない。神殿近くの街はもっと華やかで、裕福な奴らでいっぱいなんだろうな」
男たちは歯を食いしばった。
「そいつらはオレらが血を吐いて稼いだ税金で暮らしてんのさ。そいつらさえいなければ、神さえいなければ……」
「それ以上言うな。殺されるぞ。神はどこからオレたちのことを見ているか分からないんだぞ!!」
「神は間違いを犯さない。神に祈り続けるしかないのか……」
「そうだ。だから、今は耐えるしかないんだよ」
世界で起こる混乱。ヒースに懸賞金がかけられて一ヶ月経っても、そんなことが起こっているのだと外の世界の状況を理解した。
馬の鳴き声と共に、馬車が勢い良く止まった。
「どうした?」
「すまねぇ。道にでかい岩があってそれをどかさないといけない。お前ら、手伝ってくれ」
「分かった。早く済ませるぞ。まだ赤目の子供は眠っている」
馬車から男たちは降りて、岩をどかしに行った。
──今しか逃げ出す時はない!!
ヒースは気づかれないようにゆっくりと馬車から抜け出した。
前方を見ると、確かに男三人が岩をどかす作業をしている。
辺りを見渡すと、山の中だった。そこに一本の道路が山を縦断している。左右には木が立ち並んでいて、ヒースはその中へ向かって走り出した。
両手を縛られていて、とても走りにくいが、前へ進んでいく。
森の中に入った。よし!とりあえず、これでこの状況を切り抜けられる。
と思ったら次の瞬間。体がグラリと揺れた。目の前の視界が反転し、気づけば地面に倒れ込んでいた。
そう、ヒースはとっくに限界だったのだ。足がもつれて動かせない。筋肉痛でさらに痛めた関節が悲鳴をあげていた。
倒れた時の音で男三人はヒースが逃げ出していたことに気がついた。
三人とヒースは目が合った。すると、男たちは表情を変えて向かって来た。
「起きてやがったのか!!追えー!!」
三人が走ってきた。ヒースはなんとか体を起き上がらせて森の中を走っていく。
しかし、地面は起伏が激しく安定して走れない。おまけに疲れ切った体の疲労が更にヒースを追い込んでいく。
その間に男たちはヒースに追いついて、一人の男が背後からヒースを蹴り飛ばした。
ヒースは勢いで転がり、大きな木にぶつかった。起きあがろうとするが、体が動かせない。よろよろと立ち上がっても、すぐに地面に座り込んでしまう。
「待て!!生かせた状態で捕まえたら一億だ!死なせたら元の子もない!!」
「馬鹿野郎!一蹴りで死なねぇよ。それに危うく逃げられるところだったんだ。仕方がねぇ」
ヒースは息をあげていた。
体は動かず、疲労がずっしりとヒースの体を覆っていた。
この危機的状況では、どうしようもない。ヒースは諦めかけていた。誰か、助けに来てくれないかと心から願っていた。
──……違うだろ!!その考え方は、もう捨てろ。
ヒースは心の中で呟いた。
そうだ。ヒースを守ってくれたもうあの二人は死んだ。
それを受け止めきれないヒースはまだ逃げている。二人が死んだことを受け入れる恐怖。何もできない自分がこれから生きていくことへの恐怖から。
何もかもガルダとリリーから与えられた幸せを当たり前に思っていた。だけど、その二人はもういないのだ。
リリーに生きろと言われた。ガルダにはできると勇気をもらった。そして誓った。二人の夢をヒースが代わりに叶えると。
こんなところで諦めてはいられない。もう逃げることは許されない。
助けを求めて、誰かにずっと甘えてた自分はもう捨てなければならない。
一人でやればいい!!この状況で、あり得ない妄想をして、助けを求めるな。
俺はもっと強くならなくちゃいけない!
自分を信じてくれた人に恥をかかせるな。自分を信じてくれた人に胸を張っていられるようにしていないと、天国で見守る二人に会えない。
ヒースは両手を縛り上げている紐を噛んだ。顎に力を込めて、硬い紐を噛みちぎった。
両手が解放された。ヒースは立ち上がると、男たちを睨みつけて、構えた。
「何してきやがるか分からない。慎重にいくぞ……」
「馬鹿野郎!相手はガキだ。こっちは三人!しかも大人。オレたちの方が圧倒的有利。ビビらずもう一度ガキを拘束するまでだ!!」
一人の男が走ってきた。ヒースは集中する。よく観察する。
目の動き、筋肉の動かし方。クセや拳を放つ時のタイミング。
それらが波になって見える。空間に白い線が描き出される。目が動いた時、筋肉が動いた時、それによって生じた波が白い線で見える。
攻撃してくるときと位置を予測して、ヒースは守りに入る。
男が拳を振ってきた。白い線の波が見える。それを避けると、相手の拳を避けることができた。
「何??」
大人たちは驚きを隠せない。
ヒースはまだ集中を切らさない。
ヒースはずっと見てきた。ガルダが生きていた時、ガルダは毎日外で
その時の波、白い線を思い出せ!!ガルダがどのように体を使っていたか、筋肉を動かしていたか、全部理解している。
それを体現しろ!!今、生まれ変わるしかない。
ヒースは叫んだ。
不意に、ガルダの姿が見えたような気がした。ガルダが一緒に拳を振ってくれているような気がした。
ヒースは渾身の一撃を放った!!
男の顔に拳が当たり、男は地面に倒れ込んだ。
傍観する他の男たちは今何が起こったのか分からなかった。
ヒースは鼓動が鳴るたびにジンジン痛む右手の拳を見た。そして、もう一度、力を込めなおして男たちを見た。
男たちは更に表情を変えて、二人とも構えた。
ヒースの初めての一発は、森の中に轟く重たい一発だった。
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