第3話 幼馴染と恋人繋ぎ


「りっくーん」


 りっくん、と凛久をあだ名で呼ぶのは祖母ともう一人しかいない。

 子どもの頃から聞き慣れた声音にそう呼ばれ続けたせいで体が反射的に反応して、ぽちぽちとイジっていたスマホをポケットにしまう。

 それから顔を声のした方へ振り向ければ、昇降口から凛久をあだ名で呼んだ幼馴染――真央が小走りで近づいてきた。

 凛久の下に到着した真央は、わずかに乱れた息を整えてから口を開いた。


「ごめんね。日直の仕事がちょっと長引いちゃって」

「ゲームしてたから気にすんな。帰るぞ」

「ふふ。待っててくれるなんて優しい」

「もう真央は俺のカノジョだからな。そうでなくとも、帰り道が同じなんだし」


 淡泊な言葉、しかし真央は満更でもなさそうに口許をほころばせる。

 ゆっくりと歩き出せば、真央も歩幅を揃えて隣に並んだ。


「そういえばりっくん。高校一緒になってから毎日一緒に帰ってくれるよね?」

「ボディーガードってやつだな」

「なんで?」


 そんなことする必要ないのに、と真央は言うけれど、凛久としては必要のあることだ。


「世の中何が起きるか分からん。真央が怖い目に遭うのは勘弁だ」

「もう、私もう子どもじゃないんだよ?」

「そういうねるところはまだ子どもだな」

「あー、酷いこと言う」


 この幼馴染は客観的に見ても可愛い。しかし当の本人はその事実に気付いていないようなので、こうして凛久がそばにいないといけない。


「真央。ナンパされてもふらふら着いていくなよ」

「そんなバカなことしません」

「前に一度、宗教の話熱心に聞いてたやつがよく言う」

「だって話くらい聞いてあげないと相手に悪いでしょ」

「……はぁ」

「えなにそのため息」


 真央は根が優しい子なので、相手がどんな奴でもとりあえず話を聞こうとする。真央は話は聞いても誘いを受けるつもりはないと言うが、あの時凛久が全力で追い返さなければ面倒ごとに巻き込まれていたかもしれない。


「俺も抜けてる所あるけど、真央は見ていてハラハラさせられるんだよ」

「えー、私しっかり者だと思うんだけど」

「異論はないけど見てて危なっかしい。俺がもう少し見てないと」

「りっくんは過保護だなぁ」


 たしかに少々過保護なのは認めるが、真央はもう恋人なのだ。

 幼馴染に恋人補正も合わさって、より過保護気味になっているのかもしれない。

 だからか。その想いが行動として現れたのは。


「――ぁ」

「恋人だからこれくらいの事は普通にする」


 真央が驚いたような声を上げたのは、凛久が徐に彼女の手を握ったから。


「嫌か?」

「ううん。ちょっとびっくりしちゃっただけ。でも、そっか。私もう恋人だもんね」


 凛久としては、これが真央を見逃さない為の最善策だったから。

 しかし真央はそう思ってはなく、繋いだ手を見ながら嬉しそうにはにかんでいた。


「なんだか嬉しいな」

「?」


 ぽつりと呟いた真央は、凛久の顔を見つめながら言った。


「やっとりっくんと恋人になれたから」

「そんなに嬉しいか?」

「うん。だって、私ずっとりっくんのこと好きだったから」

「なら好きだって言えばよかったのに」

「勇気が出なかったんだよ。もしフラれたら、って思うと、怖かったんだ。なんだか幼馴染じゃいられなくなっちゃう気がしたから」


 その声音が儚く聞こえて、凛久は真央が幼馴染という関係を大切に思っていてくれたのだと不覚にも嬉しくなってしまった。


「俺が真央をフルなんてありえないだろ。俺だって真央が好きなんだから」

「ずっと?」

「ずっと……はどうだろ。でも、好きじゃなかったら一緒にいない」


 ある時は男子と遊ぶことより真央と一緒にいる時間を優先したくらいだ。男同士の約束よりも、真央との約束の方が凛久にとっては大事だ。

 そう言えば、真央は「ありがとう」と微笑んだ。


「りっくんをずっと好きでよかった」

「真央は大切な幼馴染だからな。ないがしろになんてできないし、したら俺の家族と真央の家族に殺される」

「そこまで非道じゃないでしょ」

「どうだろうな。今日の夕飯の時にでも『真央と付き合った』と報告すれば素朴な夕飯がたちまち特上寿司に替わる気がする」

「あはは。うちもりっくんと付き合ったって言ったらそうなるかも」


 互いの親が待ちに待った恋人関係だ。たぶん、破局なんてしたらまず自分の親にぶん殴られて、真央の親からもぶん殴られると思う。

 すなわち、真央と交際を始めた時点で凛久の将来は必然と決まってしまった訳だ。


「……不思議と後悔ないな」

「なんの話?」

「いいやなんでも。こっちの話」


 真央はどうなんだろうと思惟しながら、凛久は「気にすんな」と首を横に振った。

 漠然とした将来について考えていると、ふと握っている手がもぞもぞと動き出した。


「真央?」

「恋人なんだし、手を繋ぐならこっちがいいな」


 恥じらいながらそう言って、真央は握る手を恋人繋ぎに変えた。


「りっくんはだ?」

「真央がこっちがいいなら俺は構わない」


 手の密着率が上がって、細い指先が隙間なく絡んでくる。こうしていると、本当に恋人になったのだと実感も湧いてくる。


「りっくんの指、たくましくなったね」

「そういう真央の指はちょっと冷たいな」

「嫌だった⁉」

「そんなこと言ってないだろ。ひんやりしてて気持ちいい」


 思えば、こうして手を繋いで帰るのも何年ぶりだろうか。


「えへへ。少し恥ずかしいね」

「なら止めるか?」

「嫌だ。今日は、このまま帰りたい」


 なんとも可愛らしいおねだりだ。

 つい苦笑してしまいながら、凛久は「ん」と頷く。


「今日と言わず、これからは恋人繋ぎで帰るか」

「ほんと? 嬉しいな」

「朝もこうするか?」

「それはちょっと、まだ勇気が足りないかも」

「まぁ、倉山とかに見られたら確実にちょっかい掛けられるだろうな」


 うんうん、と真央が同調する。


「なら朝はたまに、で」

「それなら……うん。もう恋人なんだし、いつまでも恥ずかしがってちゃダメだよね」

「真央のペースに合わせるからそれは安心してくれ」

「ふふっ。りっくんはずっと優しいね」

「当然だ。真央は俺の大切な幼馴染で――大切な恋人なんだからな」


 照れもなく、こんなことを言えるのはきっと、伝える相手が幼馴染だから。

 しかし、そんな凛久の想いを、真央は受け止めきれず顔を真っ赤にしてしまって。


「そろそろ限界です。りっくん」


 ぷしゅー、という音が聞こえる気がして、それに凛久は思わず笑ってしまうのだった。

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