第2話 アーロン

「計算通りね」

 私が狼煙のろしを上げる。

 作戦開始の合図だ。


 遠く離れたトールポイから攻めてくる一団がある。

 反乱軍のヴィクターと呼ばれる集団だ。

 ハワードの傀儡かいらいとなった軍事力。その中にアーロンがいた。

 アーロンは七人家族の長男として生まれた。

 小さい頃から人一倍妹と弟を相手にしてきたが、内乱のおり、妹を一人失った。

 それもこれも宗教戦争の影響だ。

 宗教の仲違い。

 隣の家のマルタン教と、アーロン家のフミタン教。

 お互いに差異はあれど、うまく付き合っていた。

 それがここ数年でマルタン教が勢力を強め、フミタン教を押しのけるようになっていた。

 隣に住む少女ブレアもアーロンを罵るようになり、やがてアーロン一家は引っ越すことになる。

 地域ぐるみでのいじめ。孤立。

 生きる場所を求めて、北区のさらに北。町外れに店を構えて生きてきた。

 でもそんな土地で生きるにはお金が必要だった。

 アーロンにできることは労働を対価にお金を得ることだった。それがアーロンにとっては軍人になることだった。

 他に知恵もなければ生きる術ももたない。

 妹を失い、家族を守るには戦うしかないのだと、そう直感した。

 銀色の髪を揺らし、エメラルド色の瞳で戦場を駆る。

 今日もアーロンは前線にいる。

 馬に乗るのは得意だったアーロンは、槍を持って騎兵としてアルザッヘルを取り戻そうと画策する。

 アーロンは囮になることを選んだ。友軍が西と東から攻める。その間にアーロンは北へと逃げる。

 そんな簡単な戦略だ。

 どうやら南へ攻めているのに反撃がない。

「どいう事だ?」

「分からん。だが、これ以上進軍すれば下がれなくなる。一時休憩だ」

 隊長がそう言い、全軍を止める。

 これでは攻める意味がない。

 困惑していると、遠くから矢が飛んでくる。

「敵影捕捉。これより進軍します!」

 誰だったか。そう言い、進軍を始める。

「待て!」

 隊長の声を聞き踏みとどまるアーロン。

 聞き届いていない部下が勝手に前線を押し上げる。

 と、後方に狼煙があがる。

(なんだ?)

 後方の落とし穴から次々と這い出る敵兵。

 前方の軍隊とぶつかり、挟撃される。

「バカな。奴らは落とし穴に自ら入っていたのか!?」

「危険です。隊長は下がっていてください」

 アローンは決死の覚悟で前に出る。

「堪えてくれ。左右から援軍が来るはずだ」

 計画通りなら東と西から援軍がくるはず。

 だが数分経っても現れない。

「どうなっている!?」

「隊長。ご報告です。左右に展開した友軍が敵歩兵部隊と接触。戦闘状態にあるそうです」

「バカな。こちらの陽動作戦を見抜いていたというのか……」

 分散された軍隊が挟撃されている。

「撤退だ!」

「左右から敵兵です!」

「な。新手か!?」


 ◇◇◇


「――ことごとく先手を打つ! 西と東の敵兵は川を渡って疲弊している。一気に攻め込め!」

 私はそう叫ぶと部下が狼煙を上げる。

「ついでに敵兵のあぶり出しをするかな」

「あぶり出し、ですか……?」

 ヘンリーが顔色を変えて訊ねる。

 これほどまでに賢い人が何やら作戦を立てている。

 末恐ろしい子だ。

 俺の考えなど及ばない。

「恐らく戦術から察するに相手はハワードだかな。うん。なら

 ヘンリーはぞっとした顔で見つめてくる。

「増援部隊はついたか?」

「は、はい!」

「なら東の部隊Bに援軍として向かわせて」

「え。正面ではなく?」

「第二陣の戦闘だよ。東を攻め落として、左右から挟み込む」

 ヘンリーがさっと顔を青くする。

「正面である南と退路である北の落とし穴を攻めているが、北の戦力に限りがある。戦いは速度だよ」

 私はそう言うと地図上に置かれた駒を動かす。

 作戦通りに動けば、こちらの損害は軽微で収束する。

 しかし、殲滅するまで叩く意味があるのか?

 ヘンリーは内心、このクレアを畏怖の念で見つめることとなる。




「東の部隊が壊滅!?」

 アーロンが聞き届けると、混乱する友軍。

 もはや統率はとれていない。

 もともと相手をおびき寄せるための軍隊だ。

 東と西に主力部隊をかき集めていたのだ。

 その援軍がないとなれば、中央遊撃隊は撤退するしかない。

「撤退だ!」

 隊長が叫ぶとアーロンは後ろに下がる。

 と、東側と西側から敵兵が押し寄せてくる。

「さっきの狼煙か!」

「アーロン。おれたちは捕虜になる。その旨、伝えてくれ」

「りょ、了解!」

 アーロンは馬を捨て、一人道を外れる。

 北にあるトールポイに向かうアーロン。

 こうして北区で起きた紛争は反乱軍の大敗として記録に残った。


 ◇◇◇


「な、バカなぁ……」

 ハワードはうろたえる。

 あの作戦は完璧だった。

 だったはずなのにことごとく撃ちはらわれた。

 生きていた兵のほとんどが死、あるいは捕虜となった。

 アーロンを残して。

「えぇい! 次の作戦を考えるわぁ♡」

 いつものオカマ口調が戻ってきたハワード。

「まあ、計算通りよぉ♡」

「計算、ですか……?」

「相手は捕虜を得た。これでますますこちらが動きやすくなったというもの」

 普通は捕虜がいることで戦闘しづらくなるはずなのに。

 このハワードという人間には何が見えているのか……。

 末恐ろしいことを考えているように思える。

「それでぇ? 次の戦力はいつ頃そろうかねぇ♡」

 ハワードは椅子に座り、トントンと指を膝の上で叩く。

 殺風景な室内には最低限の椅子と机、そして本棚くらいしかない。

 薄汚れた指令室を出るとアーロンはため息を吐く。

 まさか自分が生き残るなんて。

 でも家族のため、アーロンは戦う道を選ぶ。

 このお金で実家を豊かにする。

 それ自体はありふれた願いなのだろう。

 そう思えるほどに暖かな家庭でもあったのだろう。

 だがアーロンは生き残れるのか、不安に思ってしまった。

 こちらが完全に有利と思っていた戦乱が一瞬にして敗れたのだ。

 それもアーロンの目の前で。

 大敗を記するほどのものだった。

 ハワードには怒りが見えたが、すぐに冷静になった。

 もしかしたら、本当に計画通りに動いているのかもしれない。

 それならいい。

 自分らの気持ちを正規軍に理解させる。

 そのための戦いだ。

 気持ちの問題だ。

 勝てるかどうかではない。

 改めて自分の考えに蹴りをつけるとアーロンは水浴びをする。

 汚れた血を、泥を拭い去る。


 ◇◇◇


「しかしまあ、本当に紛争を止めてしまうとは……」

 カーラは驚いた声でサイラス国王の前でもらす。

「ああ。そうだ。あれがクレア嬢の本気だ。しかし、依頼料が高過ぎではないか?」

「何を言っているのです。全軍を任せたのですから、それはもう大変な金額が動くでしょう」

 カーラは頭が痛いのか、こめかみに指を当てて思案顔をする。

「ふむ。だが、クレア嬢なら内乱を沈めてくれるだろう」

 サイラス国王はいたって真面目にそう告げる。

 彼女を過信しすぎではないか? そう思うカーラだが、王の御前。なかなか言い出せないのだった。

「して。奴はまだこぬか?」

「は。軍隊の移動に巻き込まれて到着が遅れているようです」

「サイラス国王! 彼を連れて参りました!」

「おお! 入るがいい」

「失礼します」

 赤い絨毯の上を滑るように歩く男が一人。

 王の御前にたどり着くと、うやうやしく頭を下げて、腰を折る。

「ヴィンセント=オールポート。参上しました」

「良い。ヴィンセント。立つが良い」

「はっ」

 ヴィンセントは立ち上がると、サイラス国王を見やる。

「やはり兄妹だな。顔つきがどことなく似ておる」

「姉のクレアはすでに前線指揮を任されていると聞きましたが?」

「そうじゃ。だから貴殿にはサポートに回ってほしいのじゃ」

「分かりました。そういうことなら策があります」

 いきなりの進言に気分を害するカーラだが、それを制するサイラス国王。

「良い申してみろ」

 サイラス国王は聞くつもりだった。

 その後、ヴィンセントの計画を聞き届けるサイラス国王だった。

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