第60話 常務も昔は部下だった

「春 お前、卒業したらどうするんだ」

「考えとるんやけど、やっぱり大芸(大阪芸術大学)かな」


「大芸で油絵を続けるつもりなのか」

「そうしたいけどな、デザイン科にしようかとも思ってるとこや」


「油絵は諦めるのか」

「諦めはせえへんけど、その後もあるしな」


「どうやって食って行こうかってことだろ、オレもそうなんだ」

「巌は東京の芸大志望だったよな、行かへんのか」


「今だってお袋と兄貴に食わしてもらってるのに、後4年も面倒見てもらう訳には行かないからな、兄貴も結婚するしすぐにでも働きたいくらいだ」」


「巌のお兄ちゃんも結婚するのか、よかったな。けど大芸なら働きながら証書を貰えるけどな.」

「通信制のことか、オレもそれを考えてるとこだ、所詮絵なんかどこで誰に習っても、上手いヤツはもっと上手くなるけど、いつまでも学校にいたって下手は下手のまま、変わることはないからな」


「巌はどこで習っても一緒や」

「それは褒めてんのか、貶してんのかどっちなんだ?」


「巌の絵は楓さんも小夜さんも『迫力があって素晴らしいわね』って言ってたな」

オレとは大違いや」

「楓さんとこの武蔵野美大にも通信制はあるけど、東京に行くと金もかかるし、お袋も一人になってしまうからな」


「巌も大芸の通信でデザインやらへんか、通信でもキャンバスの出入りは自由やし、ここから3駅しかないから、家からでも通えると思うけどな」

「大芸の通信制だな……考えとくな」


☆☆☆


「楓、来春には卒業なのに今日も教習所に行くの?」

「だから教習所が大事なのよ、運転免許証を持ってなければ就職もできないわ」


「楓は就職するつもりなの?大学院に行くんじゃなかったの」

「大学院も考えてるわ、でもその後を考えたら不安になるわ」


「何かあったの?」

「この前小夜さんの車で200号のキャンバスを買いに、新宿の世界堂に行ったのよ、そしたら5階の額縁売り場の隅っこの方に油絵が置いてあるのよ、いくらだと思う?、たったの1万円よ、びっくりしちゃった」


「世界堂では前から油絵の複製は売ってるわよ、1万円でも不思議じゃないでしょ」

「それが複製じゃなくて本物の油絵なのよ、しかも同じ絵が10枚くらい無造作に置いてあるのよ」


「本当?誰が画いた絵なの?」

「あの絵の描き方を見ると、私の先輩の絵かも知れないわ」


「本当にそうなの?」

「間違いないわ、優秀作に選ばれて学内に飾られている絵と、同じ筆使いなのよ」


「でも売れるのはいいことじゃないの?」

「全く同じ絵を10枚も画くのよ、きっと売れる間はずーっと描き続けると思うわ、小夜さんも『カラーコピーみたいね』言ってたわ」


「カラーコピーなんて小夜さんらしいわね、ご主人が事務機屋さんでしょ」

「複製だってコピーだって、基の絵は一つでしょ。それが基の絵が毎日のようにたくさん作られて何十枚もあったら、コピーする人だっていなくなるわ。

だって本物がコピー以下の1万円で買えるのよ」


「だから大学院に行かないていうの?後で後悔しないでね」

「行かないとは言ってないわ、でも大学院を出ても、機械的に毎日同じ絵を画いて、1万円で売る暮らしなんてしたくないわ、だから油絵以外の勉強もしないとならないのよ」


「油絵以外の勉強ってどんなこと?」

「絵の他にも勉強することはいっぱいあるわ、絵を上手く画けるだけでは学芸員の資格だって取れないわ」


「そんなことまで考えていたのね、楓はただぼんやりと生きてると思ってたわ」

「ぼんやりなんて何よ、私の絵を見たら分かるでしょ、先生には『牙を剥いた野獣のような絵だ』って言われてるのよ」


「それって褒められてるの?」

「私にとっては最高の誉め言葉よ」


「楓と滝の絵を画きに秋川渓谷に行ったことがあるわね、あのころは水の絵を画いていたじゃない、いつから変わったの?」

「覚えているわ、小夜さんに教えてもらった今熊山の金剛の滝のことでしょ、あの滝も結構、激しかったわね、でも小夜さんが模写した神奈川沖浪裏はもっと激しいわ、本家の北斎なんか吹っ飛んじゃったわ」


「じゃあ小夜さんに触発されたって訳?」

「少しはあるかもね、でも巌さんも小夜さんに触発された一人よ、あの人は私の比じゃないわ、ゴジラが火を噴いているような激しさよ」


「そうそう、巌さんは小夜さんに会いたいって言ってたわね、小夜さんに伝えてあったかしら」

「お母さんは忘れっぽいからダメよ、私が明日小夜さんと巌さんに電話しとくわ」


☆☆☆☆


「曉さん、本当に私でいいんですか?」

「なにを言ってるんですか、ボクは本気ですよ、母も喜んでくれました」


「じゃあ私も両親に言うわね」

「そうして下さい、ボクもできれば早くご両親にお会いしたいと思っています」


「実は来週父と母が東京に來ることになっています。その時に会ってくれますか」

「わざわざお呼びしたんですか?」


「いいえ、3年前に洲本工場が閉鎖になるまで父は、副工場長して働いていました。その後も嘱託として工場の売却先が決まるま努めていましたが、ようやく売却先が決まり、父は完全失業者になりました。

そこで、本社にいる昔の仲間の人たちが父と母を東京に呼んで、慰労会をしてくれることになったのです」


「律子さんのお父さんは洲本工場の副工場長だったのですか、知りませんでした」

「すみません、黙っていましたが退任した鈴木専務と父は同期で、黒田常務は父の部下でした」


鈴木専務は繊維部門であったことと、すでに退任していたので暁は知らなかったが、黒田常務は労務担当常務になる前は化粧品事業部にいて、フェミニンの山発産業に出向していたころの話を山発産業の小倉からよく聞いていた。


黒田のことは会ったこともないが、何となくいいイメージはもっていなかった。ところが黒田はかっては律子の父の部下でしかも会長の側近の一人と言われていた。


「じゃあ、慰労会には黒田常務も出席されるのですか?」

「多分、出席されると思います」


散々貶し続けていた黒田が自分の身近な男に見えてきた。

「ひょっとして、秘書の池田よりオレの方が先に、黒田に気に入られちゃったりしたら、どうすりゃいいのかな……ヒッヒッヒ……」


「何を考えてるの?」

「いや別に、ただちょっと……」































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