第61話 あばよ蒲南荘
「巌、今日あんたがいない時に、楓さんから電話があったよ」
「そう、なんか言ってた?」
「また掛けるって切ったけど、急いでるようじゃなかったね」
「じゃあ、伝言はなかったんだね」
「一応番号は聞いてあるよ、あんたからかけてみたら?」
「090ー・・・・・楓さんは携帯電話を買ったんだな、あれば便利だよな」
「携帯電話からだったんだね、暁は買ったって言ってたけど、まだ持ってる人は少ないんでしょ。あんたはもう少し我慢しなさいね」
「分かってるよ、そのうち自分で買うから」
「自分で買うと言ってもあんたはまだ高校生だし、どうやって買うつもりなの?」
「働いて買うに決まってるじゃないか」
「働くって?まさかあんた大学へ行かないつもりなの?」
「だって、金がお掛かるんだろ」
「そんなことは考えなくたっていいんだよ、あんたが大学へ行くくらいのお金はちゃんと、とってあるよ」
「本当かい、本当に行ってもいいんだね?、じゃあ春と同じ大学に行くことにするけど、本当にいいんだね」
「春君と大芸へ行ってもいいし、東京芸大でも楓さんのいる大学でも大丈夫だよ」
◇◇◇
「春、オレも大学に行くことになったぞ」
「ほんまか?じゃあ東京芸大を受けるんやな」
「冗談じゃねえ、オレはお前と同じとこに行くと決めてたんだ、お前を逃がさねえからな覚悟しろよ」
「なんだオレと同じ大学に行きたかったのか、しょうがないな、あと4年間だけ付き合ってやるやるわ……(´;ω;`)ウゥゥ」
「なんだ、お前泣いてんのか?」
「泣いてなんかおらんで、ただちょっとな……(´;ω;`)ウゥゥ」
「馬鹿野郎お前なんか清原に殴られて死んじまえ……(´;ω;`)ウゥゥ」
「お前こそ桑田の球に当たって死んじまえ……(´;ω;`)ウゥゥ」
☆☆☆☆
「おい片桐、世話になったな、お前ともこのボロアパートとも今日でアバヨだ」
「アバヨだって?ちょっと聞いたことがあるような気がするけど、柳沢慎吾だったかな?。そんでよ、仕事でヘマしちゃって、どっかの工場に飛ばされたのか?」
「残念だったな、オレんとこの工場はもうほとんど売っちまって、残ってんのはちょっとだけだ」(*)
「カスばっかり残ったんだな、じゃあ行先は決まったようなもんだな、残った工場の清掃だろ」
「馬鹿なこと言うな、オレは律子と一緒に高級マンションに引っ越しだ」
「岸和田の姉ちゃんと暮らすことになったんだな、良かったじゃねえか、そんでよ、ボロマンションだと思うけど、場所はどこなんだ?」
「教えたくないけど一応言っとくな、梅屋敷の高級マンションだ、お前になんか到底無理だろな」
「梅屋敷だって?冗談だろ、オレも瞳ちゃんと梅屋敷のマンションを借りたんだけどな」
「なんだって⁉、そんなこと誰が許したんだ、オレは絶対認めないからな」
「お前が認めなくても、家主がOKしたんだからしょうがないだろ。それにオレ達は
羽田空港の近くに住まないとダメなんだ。いやならお前たちが品川の空き倉庫でも見っけて住めばいいだろ、たしかお前の会社の近くに、鈴与なんとか言う倉庫があったよな」」
「しょうがないな、お前たちにも梅屋敷に住ましてやるわ」
「昨日見て来たけど、梅屋敷の商店街も悪くないな、焼き鳥屋もあるし、羽田沖で取れた魚料理の店もあって美味そうだったな」
「焼き鳥と羽田沖の魚料理か、しょうがないな、またお前と飲んでやってもいいぞ」
* 実際にはこの当時カネボウは、繊維部門を分離して売却する方向に進んでいた。
しかし、繊維産業は不況の真っただ中にあり、また労組の反対によって、繊維事業の売却渉は難航し、採算の合わない工場を抱えたままであった。
繊維事業のみならず、事業拡大期に買収した食品、医薬品、住宅各社も中途半端な会社ばかりで、好調だった化粧品部門の利益は全て、末期状態の患者を延命させる治療費に充てるがごとき状態であった。
☆☆☆☆
「昨日楓さんからオレの家に電話があったんだけどな……」
「楓さんの方からあったのか?凄いやないか、まだ脈はありそうやな、それでどんな話をしたんや?」
『来年高校を卒業したら、芸大を受けるんでしょ?』って言うから、『ボクは大芸を受けるつもりです』って言ったら『大芸って河内にあるんでしょ、巌さんにぴったりね』だってよ」
「どういう意味なんかな」
「お前も分からんだろ、だから聞き直したんだ、そしたら『携帯電話を買ったんだけど、かける相手がいないし巌さんの変な声も聞きたかったから、取り敢えずかけてみたわ」って言ってたな」
「と言うことは、巌以外に電話を掛ける相手がいないってことにならないか?」
「はあ…… ?… そういうことになるよな、じゃあオレにも脈があるってことか?、だけど東京と大阪じゃあんまり会えないな、どうすりゃいいのかな」
新幹線デートってのもあるやろ、牧瀬里穂とバンダナの兄ちゃんのCM みたいなんも恰好ええと思うけどな」
「あのCMはクリスマスん時だけだろ金もかかるし、普段はどうすりゃいいんだ」
「しゃあないな、楓さんが大芸の大学院に来るようにしてもらうしかないな」
「それじゃあ楓さんも河内の姉ちゃんになっちまうじゃねえか、河内の姉ちゃんは兄貴の彼女一人で十分だ」
「だけど楓さんはあれで案外、ガラッパチ姉ちゃんやで、うちのお母ちゃんに『蔵兵衛ANNEXに小夜さんの絵を送ったから、展示しておくんやで』って言ったらしいな」
「お前それは嘘だろ、楓さんがそんな河内弁に似た偽物弁を言う訳ないだろ」
「ごめんな、ちょっと盛っちゃったかな」
「ちょっとどころじゃない、大盛りだ。だけど小夜さんの絵を送ったんだろ、小夜さんの絵はオレも前から気に入ってるからいいとして、誰かの絵を外さないと蔵兵衛ANNEXにはスペースがないな、しゃあないからお前の絵とは今日限りでアバヨだなな」
☆☆☆☆
「奥さん、この絵は春君が画いたんとちゃいますな。誰が画いたんかな」
「社長さんあんたええ目しとるな、さすがや。この絵は春やのうて、八王子に住んではる、小夜さんいう人の絵や、確かにええ絵やな」
「私の昔っからの友達が東京にいてるんやけど、そこに置かせてもらわれへんかな」
「この絵を画いたんは小夜さんやけど、送って来はったんは武蔵野美大の楓さんいう人や、二人に聞いてみるな」
「私の友達も武蔵野美大を出た人や、今は画廊をやってるさかい、売れるかも知れへんな」
矢田のおばちゃんの店に文房具を卸している問屋の社長の友人は、武蔵野美大を出た人で、現在は水道橋で喫茶店を経営していた。
場所は水道橋駅の近くで、神田川を背にした雑居ビルの2階にあり、ビルの1階は現在はコンビニになっているが、数年前までは書店があった。
書店があったころは店内の階段で2階の喫茶店と行き来でき、書店と喫茶店は客の目には同じ店であるような感じであった。事実書店の品の一部は喫茶店の中に置かれ、営業的にも互いにメリットがあった。
書店が閉店すると決まった後も、2階の喫茶店の入口は新たに設けたが、書店の品を撤去した後は写真集やポスターの売り場となり、絵画も置くようになった。
スタートした時点では本格的な画廊とは言えない店であったが、店主が美大の出身で絵画にも造詣が深く、喫茶店兼ミニ画廊となっていた。
設立の経緯と狭い店内の関係で、若手現代作家に1か月間、場所を提供するシステムとなっていた。
作品を出展した作家には売れた場合にのみ、2割の手数料が請求された。
若手作家には発表の機会が得られる貴重な店であった。出展希望者も多く、100号の場合、3~4人が各2枚まで出展する共同展示方式を採用していた。
出展作品にテーマは設けず、店主の気分次第と言う気楽さがある反面、店主の眼鏡に叶う作品は容易に創り出せるものではなかった。
問屋の社長は春と巌の絵をそれぞれ5万円で購入したことがあった。
社長は二人の絵をこの画廊に展示を希望した。しかし巌の絵は出展を受け入れたが春の画いた絵は、店主に出展を拒否された。
矢田のおばちゃんとの体面上、このことは伏せられていたが、小夜の絵には巌の絵に感じた以上の激しさを感じた。
社長が思った通り小夜の絵は、水道橋の画廊に展示されることとなった。
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