第56話 絵画と写真

「今日、姉ちゃんとこの店に桑水流さんが来てくれはったんやけど、麻衣ちゃんがえらい べっぴんなんや、驚いてもうたわ」

「麻衣ちゃんは幾つになったのかな」


「小学校の3年生言うとったな」

「もう3年生か、子どもの成長は早いからな」


「今でもあんだけ目立つやろ、この先大きうなったら、えらいことになるで」

「桑水流さんは奥さんも綺麗な人だから、似たんだな」


「奥さんだけやないで、旦那さんも男前やしな、役者にしたいくらいや」

「じゃあ、麻衣ちゃんも将来は女優かな」


「そうやな、女優でもモデルでもなれるやろな」

「モデルなら小島明子さんと言う人がいたな」


「誰やそれ?知らんな」

「宝田明さんの奥さんだけどちょっと古いかな、じゃあ萬田久子さんは分かるだろ」


「萬田久子さんは分かるで、今は女優さんやろ、でもちょっと古いな」

「しょうがないな、萬田久子さんがミスユニバースの日本代表になったのは、10年も前のことだからな」


「お父ちゃんな、昔のことを言うたらきりがないで、八頭身美人の伊東絹子さんまで遡る気か」

「あんたこそ古いな伊東絹子さんだなんて、今年のミスユニバース日本代表は、坂口美津江さんて言う人なんだけどな」


「お父ちゃんはよく知っているな、どこでネタを仕入れとるんや」

「姫路の飯場にはプレイボーイとか、平凡パンチなんて言う週刊誌がいっぱいあるからな、いやでも見てしまうな」


「それは嘘やな、平凡パンチはお父ちゃんの愛読書やろ」

「たまには買うこともあるな」


「それだけじゃないやろ、季刊フォトグルッペなんか買うてへんか」

「それもたまにはあるな」


「たまに言うたって季刊誌なんやから、年4回と違うんか、そやから毎回やないか」

「そういうことになるな」


「読み終わったんはどないしとるんや」

「春が持って行ってるみたいだな」


「春もあんなのをこっそり見てるんか、困ったもんやな」

「困った人はあんただと思うけどな、春は画家なんだからヌードだって必要だろ、それにな、フォトグルッペには府中の春樹さんが撮った、早紀さんと楓さんの写真も載っているから、これも応援の一つだな」


「早紀さんと楓さんがモデルとは知らんかったな、ええモデルを使うとええ写真が撮れるんやな」

「綺麗なだけがモデルとは限らないと思うけどな、

『美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに』って言うだろ」


「なんか、お正月に聞いたような気がするな」

「何のことかよくわかんないな、だけど写真も絵も、モデル選びは大事だと思うな」


「じゃあ、麻衣ちゃんをモデルにしたら、春もええ絵を画けるかな」

「多分そうだろうな


 ☆☆☆☆


「またお前に騙されたな、自動車ショーのねえちゃんは二人とも、全然脱がなかったじゃねえか」

「ちゃんと水着を着とったろ、あれ以上何を期待しとったんや」


「ヌードに決まってるだろ、わざわざ大阪インテックまで行ったのに、水着なら小学校のプールと同じじゃねえか。

「ちょっと違うと思うけどな、巌はそんな趣味なんか」


「馬鹿なことを言うな、オレが子どもなんか相手にする訳ないだろ」

「そうかな、桑水流さんちの麻衣ちゃんを見たら、巌もきっと考えが変わると思うけどな」


「麻衣ちゃんはオレだって知ってるけど、それがどうしたって言うんだ。明舞団地のお前の家で明石焼きを食った時、会ったじゃないか、何か変わったのか」

「変わったなんてもんやないで、博多から戻ってきて千里にいてるんやけど、今はごっつ、べっぴんや」


「じゃあ何か、九州で玄界灘にもまれて綺麗になったって言うのか、しょっぱくなっただけだろ」

「分かってないな今や麻衣ちゃんは千里の星や」


「ほんとに千里の星なんて言われてんのか」

「オレが今考えたんやけど、ぴったりや、うちのお母ちゃんの御墨付きや」


「お前の母ちゃんの御墨付きだって、笑っちゃうな、どうせ千里に突っ立てる岡本太郎の、へんちくりんな顔みたいなもんだろ」

「それは言えてるな、岡本太郎の太陽の塔はへんちくりんや、そやけどオレは今度、麻衣ちゃんをモデルにして画くことになったから、でき上ったたら蔵兵衛ANNEXは『押すな押すな』の行列やろな」


「お前の絵を蔵兵衛ANNEXに飾るだって、お前の母ちゃんのねえちゃんは馬鹿だな。それじゃ、客は皆んな逃げだすだろ。せっかく儲かってるのに残念だな。

「矢田のおばちゃんはアホやないで、巌の絵かて置いてるやろ、オレはバリエーションを増やしたいだけや」


「バリエーションを増やすのも大事だが、自分だけの画風を作るのが先だと思うけどな、前にも言っただろ、お前の絵は綺麗に整いすぎて個性がないんだ。佐伯佑三の荒々しい作品とは真逆だ、まるで東郷青児みたいだ」

「そんなことを言っていいのか、東郷青児は二科会のドンと言われてんやからな」


「東郷青児はもう死んでしまったから関係ないな、それに佐伯だって最初はアカデミーのヤツらから酷評されたんだからな、それをはねのけて佐伯独自の絵が完成したんだろ、オレならそっちを選ぶな」


 ☆☆☆☆


 春樹の写真が年間フォトグルッペ賞に輝くことはなかった。時間をかけ、苦労をして作り上げた春樹独自の写風も、水着美女と言うありふれた写真を撮ったばっかりに、季刊グルッペに載るどころか、審査員から酷評を浴びることとなった。


 シャッターを押せば必ず何かは写る。子どもの運動会でもシャッターを押しさえすれば、モタモタと走るこ子どもの顔も多分写ると思う。

 孫の走る姿に爺さんと婆さんは涙を流して喜ぶに違いない。

 だが他人にとっては、最も見ても嬉しくないものの一つである。


 ハチ公の前でVサインをして、ニタッと笑っているヤツをもし消すことが出来たら、どれほど喜ばしいことか、ハチ公も泣いて喜ぶに違いない。

 写真とはかくも撮る者と見る者の乖離の大きいものである。


 春樹は自動車ショーもプレジャーボートの写真も辞退することにした。

 一度入賞したとしてもそれは運の良さであり、雑誌社の気まぐれで選ばれただけであること疑わない、素人の明かしである。

 一部の行き詰ったセミプロは、コンポラ写真と言う逃げ道を作った。

 しかし逃げは逃げであり、隆盛を誇ったコンポラ写真も10も経たずに消えることとなった。

 所詮彼らは写真機を持っているだけの人であり、写真家とは言えない人たちであった。


 木村伊兵衛と土門拳と言う、日本を代表する二人の写真家がいた。

 共にリアリズム派と言われていたが、作風は全く異なった。

ありのままに瞬間に撮る木村と、練って瞬間がくるのをじっと待つ土門。


 女性を撮る場合、木村は浅い被写界深度で軽くサッと滑らかな肌に撮った。

 土門は深く絞り込み、肌のしわまで隠さずに撮った。

 二人はたくさんの女優を撮った作品を残しているが、樹○希林は土門に撮られることを好んだと言う。

 美人女優のYSは理由はよく分からないが土門を嫌い、木村を好んだと言う。

 しかし二人に共通するのは真実のみを追求したことであり、生涯作風を変えることはなかった。


 ☆☆☆☆


「春樹さん、外車販売の社長から聞きましたけど、写真は諦めたのですか?」

「いいえ諦めていませんよ、せっかく隆三さんに外車販売の会社を紹介されたのに、1度くらい入選しなかっただけで諦めてしまうようなことはしません。

 岩崎通信機の隆司さんとも声を掛け合って、一緒に写真を追求したいと思います」


「隆司さんも落ち込んでいたみたいですけど、一緒にやることになったのですね、頑張って下さい」
































 やろ、あれ以上何を期待しとったんや」


「ヌー






















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