第51話 蒲南荘に漂う火の鳥の香り

 山一証券の桑水流は大阪支店へ移動することとなった。福岡支店で発覚した不正事件によって出張所々長に降格となってから1年、地味で目立たない出張所から一気に重要拠点である大阪支店への移動であった。

 桑水流が出張所に移動になった時、大阪支店課長から福岡支店長となった望月も同時に、支店長代理として大阪支店に復帰した。


 望月は将来、社長候補の一人と目されていた人物で、着実に大阪支店課長、福岡支店長、大阪支店長代理と歩んでいた。

 桑水流と望月が同じ支店に配属されるのは初めてで、桑水流は望月のことは噂のレベルでの知識しか持ち得なかった。

 しかし、福岡の出張所に燻っていた桑水流を、大阪支店課長に引き上げたのは望月であった。

 桑水流は望月の真意を計りかねたが、桑水流の社内での立場は確実に高まった。

 だが同時に桑水流は、望月の持駒となる危険をはらんでいた。

 博多のマンションの価格は購入時より2割も上昇し、桑水流も妻も満足して大阪に 

 赴任した。


 ✰✰✰


 八王子の隆三は、事務機販売会社の新宿営業所次長となった。

 新宿営業所は本社と同じビルにあり、事実上は本社営業部次長であった。

 府中の多摩営業所に比べると、通勤には多少時間を要するが、上場企業との付き合いも増え、零細企業ではあるものの、サラリーマン人生を順調に歩んでいた。


 そのころ書籍や新聞などを永久保存する媒体として、マイクロフィルムというものが活用されていた。

 マイクロフィルムとは、原版を1/40~1/150に縮小撮影し、ロール状またはシート状のフィルムにしたものである。

 1コマのサイズは12㎜×16㎜でこの中にA3サイズの用紙に相当する文字などの情報を収容することが出来た。


 閲覧する時はマイクロフィルムリーダーという装置を用い、画面上に拡大表示する。また必要に応じ、原版サイズに拡大印刷することも可能である。

 このマイクロフィルムリーダーは大量の資料を保存する機関、例えば、大型図書館、大学、銀行、証券会社などに設置されていた。


 また外国から送付される膨大な商品情報の類は、マイクロフィルム無しには閲覧不可能となっていた。

 このマイクロフィルムリーダーは、アメリカのコダック社の他、日本のミノルタ社などが供給していた。

 隆三の事務機販売会社は、ある日本のメーカーの代理店であった。


 ある時、アメリカの大手自動車メーカーが、それまで紙に印刷されていたパーツマニュアルを、一斉にマイクロフィルムに変更した。

 このメーカーの日本における代理店から、約200台のマイクロフィルムリーダーの見積もり要請が事務機販売各社にあった。


 隆三も国産M社の製品をもって応札した。

 しかし残念ながら、コダック社を推した商社にわずかの差で敗れ、成約には至らなかった。

 だがこの一件で隆三は外車販売会社と、マイクロフイッシュリーダーのメーカーM社と関係を持つこととなった。


 * 現在はCD-ROMやDVDなどのP/Cを用いた保存方法もあります。しかし次々

  と新規格が登場する毎に、ハードウェアの将来性が不安視されるようになりま

  した。信頼性の面ではマイクロフィルムの方が高く、マイクロフィルムは今も使

  用されています。


 ✰✰✰


 暁は少々無理をしてノートパソコンを購入することにした。このころコンピューターはすでに一般商店や、個人で楽しむまで普及していたが、ノートパソコンは高価な上に性能も十分でなく、購入する人は限られていた。

 暁はノートパソコン本体の他、カラー印刷機、及びカラーFAXを同時に購入し、その金額は暁の2か月分の給料に相当した。

 またパソコンソフトも数万円以上するのが普通であった。


「あれ、お前ノートパソコンなんか置いちゃって、何をするつもりなんだ」

「お前には無理だと思うから,言いたくなんかないな」


「分かってるぞ、こっそり水着の姉ちゃんを見るんだろ」

「そりゃあ、たまには見るさ、いやでも写るからな、だけどオレはこれで世界中をモニターするつもりだ」


「モニターだって、お菓子のモニターにでも当たったのか」

「馬鹿なことを言うな、お前に付ける薬はマツモトキヨシにも売ってないだろな」

「残念だったな、三千里薬局には売ってるぞ」


 暁が毎日歩き回って気が付いたのは、末端の現状を本社が知らされていないことであった。

 販社は制度品の販売には熱心だが、同じ会社の製品であるホームプロダクツの製品には全く関心がなかった。

 一方ホームプロダクツの側は、問屋任せでどこで売られているのかさえ、把握していなかった。

 販社に出向している社員は本社に帰ったあと、ホームプロダクツを担当するかも知れないと、思わないのだろうか。

 本社の営業部員はいつ販社に出向することになるか、と思わないのだろうか。


 暁がパソコンを利用しようと思ったのは、本社のコンピューターには入力されることがない末端の販売店の状況を、足で集めた少ない範囲ではあるが、データベース化し、上層部に訴えることであった。

 だがデータベースソフト、MSアクセスは、暁の手には負えないほどに難しいソフトであった。

 また、本格的にやろうとすれば、ノートパソコンではとても間に合わないどころか、一升枡の中の一粒の米くらいの能力しか持っていなかった。


 せっかく手に入れたパソコンも片桐が言う通リ、ただの姉ちゃんを見るだけの道具になりかねない状況になっていた。


 そんなところに一通のメールが届いた。

「われは何をやっとるんや、もっと性根を入れて、やらんかいな・・・律子」


 ん?律子…?

 律子ったら、オレと同じ事務所にいる、確か岸和田出身の事務員じゃねえか。

 あいつにメールアドレスを教えたかな………?


 という訳で理由はともかく、暁にも理解者がいたことは確かであった。

 なんとなく蒲田の蒲南荘に、律子が愛用している火の鳥(カネボウの香水)の香りが   

 漂って来た。

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