第50話 ANNEXのホンカン
「この辺は年寄りが多いですからね、カネボウさんには悪いけど、カネボウフアッションカラーはうちではもう一つですね」
「では売れるのはパオンさんですか?」
「そうですね、パオンもいいけど、うちではビゲンかな」
暁が訪れた化粧品店の棚には、各メーカーのヘアカラーが置かれていた。
店主はその中で最も売れているのは、ビゲンの白髪染めだと言った。
フェミニンが広めた栗色の髪は単なる流行ではなく、すでに化粧品と同じような必需品となっていた。
しかしフェミニンは全36色中、白髪を染めるのは4色のみで、他の色は全て黒髪を栗色に染める品であった。
その4色も黒か、黒に近い褐色で、栗色を希望する熟年女性には対応していなかった。
しかし熟年女性にも「栗色の髪」を希望する声が増えつあり、その動きを捉えたのがビゲンであった。
若い人向けのヘアカラーは依然、フェミニンの山発産業が握っていたが、ヘアカラー市場は徐々に、熟年女性向けの「おしゃれ白髪染め」にも拡大しつつあった。
* 通常の栗色のヘアカラーは、白髪には染まりません。白髪を栗色に染めるのを
「おしゃれ白髪染め」と言い、専用の毛染めが必要です。
カネボウも1年前に発売した「カネボウフアッションカラー」に新色として、白髪にも染まるおしゃれ白髪染めを追加したが、先行するビゲンの壁は厚かった。
ヘアカラー市場の50パーセントを占める山発産業は、フェミニンブランドには、モンシックとイブルックと言う新製品を打ち出し、宣伝には南野陽子、沢尻エリカ、松原千明、田中好子、アン・ルイスといった人気スターを起用した。
またパオンブランドにはパオンディオーサと言う新製品を発表し、宣伝には松田聖子を起用した。しかし、白髪染めに特化したビゲンは、老舗の山発産業にしても難敵であった
✰✰✰
「あんたきれいに染まっとるな、そうか明日お父ちゃんが、姫路から帰ってくるんだったな」
「うちはいつだって綺麗やで、あんたとは違うわ」
「えらい自信やな、驚いてもうたわ、そやけど何を使うとそないに綺麗になれるんかな」
「うちはパオンやな姉ちゃんは何を使うとるんや」
「うちはビゲンやな、値段は安いし、南伸介さんはおもろいやないか、あんたはパオン何とかいうたけど、値段はどうなんや」
「ビゲンよりちょっと高いけどやっぱりパオンやな、聖子ちゃんも可愛いしな」
「あんたはこの前まで草笛光子さんと、伊藤雄之助さんと言ってなかったか」
「伊藤雄之助さんが亡くなってもうたから、仕方なかったんや」
「巌のお母ちゃんは何を使うとるんや」
「決まっとるやない、カネボウフアッションカラー以外あれへんやろ」
「兄ちゃんがカネボウだったな、そりゃあしょうがないわな、あんたはどうなんや」
「うちは分かんないな、美容士に任せとるよってな」
「じゃあ、ロレアルやろな、金持ちなんやな」
「あんたらと違うて、白髪がないだけや」
「おや、あんたそんなに若かったかな」
「若いだけやないで、あんたらとは地が違うわ」
「こりゃまた、驚いたな、ま、ええか、皆んなべっぴんや」
という訳で、蔵兵衛ANNEXは天下無敵のおばちゃたちで、今日も賑わいを見せていた。
✰✰✰✰
「お前は最近調子がよさそうだな、何かあったのか」
「おっ!分かったか、昨日はデートに行って来たぞ」
「お前がデートだって、信じられねえな、誰と行ったんだ」
「決まってるだろ、うちには可愛い子がいっぱいいるからな、羨ましいだろ」
「なんだ社内の子か、手っ取り早いとこでやっちゃったんだな、お前らしいわ」
「お前なんか本当は、社内の子にも相手にされないんだろ」
「馬鹿なことを言うな、いざっての時のため残してあるだけだ」
「馬鹿はお前だ、あれは貯めておけるものじゃないぞ、いざって時が来た時には何も残ってないわ、婆を引くのはお前だ」
「それはいいとして、お前はデートでも行く店なんか知らんだろ」
「とんでもない、昨日は伊丹まで飛んで博多ラーメンを食って来たわ」
「痛みで吐いたのか、食中毒か」
「痛みじゃねえ、伊丹だ、吐いたじゃなくて博多だ」
「どこまでも馬鹿なヤツだな、伊丹に行ったのなら、大阪か神戸のラーメンを食えよ」
「しょうがねえだろ、伊丹空港には博多ラーメンしかなかったんだ」
「なんだ、街を歩いたんじゃないのか」
「彼女はそのまま福岡便に乗るし、オレは折り返し便で羽田に帰るから、空港の外には一歩も出られないんだ」
「じゃあ何か、彼女はスッチーなのか?」
「さっきから言ってるだろ、社内恋愛だって」
「モノ好きなスッチーがいたもんだな、お互いに手っ取り早いとこで収めたって訳か、二人そろって爺婆を引いたんだな」
「バカ野郎オレは真面目だ」
「びっくりしたな、もう」
「南伸介みたいなことを言うな!」
「南伸介はビゲンだ、けたくそ悪いからもう言うなよ」
「言ったのはお前だろ」
「そうだったな、それでよ、明日はどこへ飛ぶんだ、札幌か?空港の中でも札幌ラーメンを食えると思うけどな」
「あのな、社員だからって安く乗れる訳じゃないんだぞ、毎週飛べる訳ないだろ」
「じゃあどこへ行くんだ、お前が行くとこは蒲田の安食堂しかないだろ」
「先月オープンした川崎のアゼリアを知らないのか、日本で3番目にデカイ地下街でなんでもあるわ」
「川崎にそんなものが出来たのか。知らなかったな」
「アゼリアの中央広場はナンパ士の登龍門と言われてるから、お前も挑戦してみろよ」
「そうだな、一度様子を見に行ってみようかな」
「川崎の姉ちゃんはきっとお前に向いてると思うな、頑張れよ」
「それでよ、アゼリアのどこへ行くか決めてんのか」
「ぼてぢゅうの支店があるので、有名なモダン焼きを食ってみようと思ってんだ」
「ぼてぢゅうったらよ、道頓堀が本店だろ、大阪で博多を食って、川崎で大阪を食うのか、お前は本当にズレてるな。それによ、モダン焼きなんてのは邪道だぞ。
正しいお好み焼きを食えよ」
「じゃあ何か?正義のお好み焼きと、正義じゃないお好み焼きがあるってことか、正義のお好みってどんな味がするんだ、堅苦しい教授の講義みたいな味じゃないのか」
「とんでもない、杉本町の蔵兵衛ANNEXは、教授も博士も泣くほど美味いって評判だ」
「蔵兵衛ANNEX?なんだそれ、見たことも聞いたこともないな、ANNEXったらよ、別館ってことだよな、本館はどこにあるんだ」
「お前覚えてないのか昔『うちのホンカン』って言う番組があって凄い人気だったんだぞ」
「ホンカンって本館のことか」
それじゃあ面白くもなんともないだろ、ホンカンとは本官だ、つまり自分ってことだ、くそ真面目な警官が自分のことを本官って言うから、うちのホンカンになったって訳だ」
「くそ真面目な警官か、面白くもなんともないな、杉本町のホンカン様は泥棒も捕まえられないだろな」
「大丈夫だ、杉本町のホンカンは、べっぴんのおばちゃん集団だから、泥棒なんか近ずかないと思うな」
「そのホンカンを見たことがあるのか」
「あるなんてもんじゃない、オレも巌もホンカンのオッパイで育ったんだ」
「なんだそれは、つまり、お前の母ちゃんがいるお好み焼き屋って訳だな、そんなものを食って喜んでるのは、大阪市立大学の馬鹿学生だけだ」
「学生だけじゃないぞ、学長だってANNEXの常連だ」
「お前の学校は馬鹿を育てるためにあるのか、だからカネボウもこんなくだらない会社になるんだな」
「悪かったな、カネボウで偉くなれるのは慶応の出身だけだ、だからオレが一番まともだって訳だ」
「そんなくだらない会社なんか、もう潰れっちまえ」
「悪かったな、もう潰れかけてるわ」
✰✰✰
「見て汐子さんのお姉さんが、お好み焼き屋さんを始めたんだって」
「本当ね、お客さんと一緒に写ってるわね」
「大阪市立大学の学生さんたちだって」
「この人も学生かしら?」
「きっと教授よ、うちの美大にもこんな感じの准教授がいるわよ」
「でも盛りあってるわね、宴会みたい」
「これは誰かしら」
「巌さんのお母さんよ、一緒に働いてるって書いてあるもの」
「じゃあ、この人が店長ね」
「前は蔵兵衛で焼いてたみたいよ、蔵兵衛ANNEX の味の要はこの人なのね」
「ぼてぢゅう以上の人気だって言うから凄いわ、行ってみたいわね」
「蔵兵衛ANNEXはすぐには無理だけど、ぼてぢゅうはいつでも行けるわ」
「近くにあったかしら」
「知らないの?パルコの6階に、ぼてぢゅう調布店が出来たのよ」
「そんな近くにあったの?知らなかったわ」
「緑屋からパルコに変わってから、ぼてぢゅうが出来たのよ、今度行ってみない?」
「そうね、行ってみようかしら、渋谷店以来だわ」
「ぼてぢゅうの渋谷店は今はなくなったのよ」
「あら、ほんと?」
「本当よ、渋谷店は西口の東急プラザにあったでしょ。東急プラザは表参道に移転するので取り壊したのよ」
「じゃあ、ぼてぢゅうも移転するのかしら」
「分かんないけど、川崎には新しいぼてぢゅうができたわ」
「川崎は知ってるわ、大きな地下街ができたんでしょ、あそこの中央広場はナンパ士が多いらしいわね、注意しなくちゃね」
「お母さんをナンパする人なんていないわよ」
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