第49話 杉本町のアイドル

「お姉ちゃん、なんかあったんか」

「いや、たいしたことやないねんけどな、今うちの店ちょっと工事しとるんや」


「ごっつ、儲けたよってビルを建てるんか、羨ましいな」

「あほなこと言わんといてな、うちの近くに蔵兵衛っていう、お好み焼き屋があるの知ってるやろ」


「知っとるで、市立大の学生で混んどったな、それがどないしたん」

「あの店のおっちゃんが倒れよってな、閉店することになったんや」


「もったいないな、儲けとったやろにな、後を継ぐ人はおらんのかな」

「それなんや、あのおっちゃんな息子もおらんし、嫁はんも具合が悪いんや、それでな、うちが蔵兵衛の暖簾を引き継ぐことになったんや」

「姉ちゃんも商売うまいな、だけど職人が要るやろ、いてるんか?」


「あそこの店を手伝ってる人がいてるやろ、もう10年以上もやっとるさかい、お好み焼きを作るのは上手いもんや、あの人に店長として来てもろうて、巌のお母ちゃんにも来てもろうたら大丈夫や、それにあんたの旦那も姫路に行ってるんやろ、週に三日くらいでええわ、あんたが手伝いに来てくれたら完璧や」


 こうして矢田のおばちゃんの文房具店の2階に、お好み焼き屋「蔵兵衛ANNEX」が誕生した。

 店長となった女性は「大阪のおばちゃん」か、または「肝っ玉母さん」と呼ぶにふさわしい人で、同類の人種の汐子と矢田のおばちゃんも加わって、肝っ玉三姉妹の

 ような店になった。更に朱に交われば赤くなるの例え通リ、やや上品に見えた巌の母も、隠し持っていた本来の顔を現わし、最強のおばちゃん軍団が誕生した。


「にいちゃん、あんた何学部やったかな?」

「ボク、医学部です」


「あんたな、そないな手つきで盲腸を切るんか?胃袋を切り取られてしまいそうやな。危のうて患者が逃げてまうわ、ええか豚玉天焼きはこないして切るんや、見といてな」


「兄ちゃんも医学部だったな」

「はいボクは外科です」


「今までに何人殺したんや?」

「人を殺したことなんかありません」


「あかん、そんな危なっかしい手つきでメスを持ったら、心臓を突き刺してまうわ、10人殺しても卒業でけへんな、ええかイカ玉天カス焼きはこないして切るんや、みといてな」


「ねえちゃんは何をやっとんのや」

「私はロケットを研究しています」


「あかん、見てみい、ソースが焦げて灰になっとるやないか、ねえちゃんが作ったロケットは月に行かんと、種子島を燃やしてしまいそうやな」


「兄ちゃんは何を勉強しとるんかな」

「ボクはロシア文学の准教授です」


「あかんな、ロシア文学みたいに長いだけでのんびりしとったら、ツンドラの氷も解けて、マンモスが出てきそうやな、見てみい、酎ハイの氷が解けてるやないか、早う飲まんかいな」

「はい、すみません。急いでしっかり飲ませてもらいます」


 てな具合で、どのおばちゃんがどのセリフを言ったかは分からないが、ともかく蔵兵衛ANNEXの4人のお節介おばちゃんは、大阪市立大学の学生と教授たちのアイドルとなった。


 ◇◇◇


「お前の母ちゃんが学生にモテてるみたいだな」

「巌のお母ちゃんだっモテてるやないか、巌に若いお父ちゃんが出来るかも知らんな」


「馬鹿やろ、そんなのが来るわけないだろ」

「分からんやろ、ヤクルトのペタジーニの奥さんのオルガさんは、友達のお母ちゃんやろ」

「そんな特殊なヤツは世界中探したって、ペタジーニだけだ、他に誰かいるか?」


「フランスのマクロンさんと、ブリジットさんもそうやで」

「お前、いつの時代の話をしてるんだ、マクロンとブリジットが有名になるのは、30年後だろ、今は一応1990年頃の話になってるんだからな」


「そうやったな、間違えてもうたわ、フランスのことは30年経ったら書いてもらうとして、イギリスはどうだ、チャールズ王子がダイアナさんを追い出したら、代わりにカミラさんが来たやないか」

「よく調べてみろ、カミラさんは年上だけど、1歳の差だ、そんなの普通だろ」

「それは巌が楓さんを狙ってるから、そう言うんやろ」


「楓は兄貴も狙ってるからな、オレには難しくなってきたな」

「なんや諦めるんか、兄貴と戦ったらええやないか」


「楓を狙ってるのは兄貴だけじゃないぞ、隆司ってヤツもまだ諦めてないからな」

「隆司は大丈夫だと思うんやけどな」


「どうして分かるんだ?」

「隆司はお父ちゃんとこの現場で、穴あけに失敗して久我山に帰ってもうたわ」


「穴をあけるだって?何に穴をあけるんだ、まさかあれじゃないだろな」

「知らんわ、自分で調べたらええやろ」


「隆司のヤツめ、もう許さん、お前だってそうだぞ、もし嘘だったらお前の絵を全部、大和川に流してしまうからな」

「どうして大和川なんや?」


「すぐそこに流れてるじゃないか、運ぶのに楽だし、日本一汚い川って言われてるだろ、お前にぴったりだ」

「そんなことあれへん、日本一汚いのは綾瀬なんとか言う川や、大和川は2番目や」


「1番でも2番でもたいした違いじゃねえな」

「あほやな、1番と2番は大違いや、1番になった絵は学校が買い上げてくれるんやで」


「じゃあ、審査をする先生を蔵兵衛ANNEXに連れてって、おばちゃんの魅力でいい点数をもらおうか」

「巌の母ちゃんが出てきたら、いくらもの好きな美大付属の先生だって、逃げてまうわ」

「それはお前の母ちゃんだろ」


 ◇◇◇


「これを見たら、工場長も設計部のヤツらも社長だって『へへえー』と言って頭を下げるだろう。これはもう特許ものだ。これ以上の改善案を考えたヤツなんか、どこにいると言うんだ。いたら出て来い。あの岡山のBARのマダムに使った金だって、これに比べたら安いもんだ」

 と隆司は、姫路の飯場で書き上げた報告書を携えて、意気揚々と出社した。


「あれ?、ラインが少し変わったな、オレがいない間に作り方を変えたのかな」

 隆司は工場の席に座ると1週間前に旅行に行く前と、組み立てラインが変化しているのに気が付いた。

「おい、何かあったのか?」と、となりの席の同僚に尋ねた。

「隆司さんが出張中に、新製品の製造が始まったんですよ、これが完成見本です」


「あれ?オレが考えてたヤツより小さいな、それに凄く恰好いいな、液晶まで付いてるな」と先ず完成見本の外形に見入った。

 カバーを外して中を見て、アッと驚いた。そこには隆司が考えていた案よりはるかに、効率よく組み立てられ、無駄なスペースもなく、見るからに性能のよさそうな部品が整然と並んでいた。


 さらに聞いてみると、この新製品は2年前から出来上がっていて、現行品の在庫を見て本格的な製造に入ることになっていた。しかも値段は現行品より1割以上安くなると言う。


 隆司が苦労して考えたものより2年も前に、性能もよく、コストも下げられた設計が出来上がっていた。

 あの自信に溢れたふるまいも一瞬に消え失せて、しばし呆然と新製品を見つめた。


 ◇◇◇


「おい何を考えてんだ、ボヤっとしてないで飲まんか」

「じゃあ、ちょっとな」


「ちょっとじゃなくて、グイッと飲めよ、ん?ちょっとてっぺんが寂しくないか」

「ばれちゃったな、オレもちょっと心配になってたとこだ」


「じゃあオレんとこの紫電改を使ってみろよ、良く効くぞ」

「紫電改ったらよ、川西(現新明和工業)が作った昔の飛行機だろ、そんな古いヤツはオレんとこだって直せないぞ」


「直すんじゃない、お前の頭に塗るんだ」

「お前の頭が変になったんだろ、飛行機をどうやって頭に塗ろうってんだ」


「あのな、紫電改ってのはカネボウが作ってる育毛剤だ」

「なんだ育毛剤か、だけど変な名前だな」


「しょうがないだろ、山城製薬のころからそういう名前なんだから、今更変えられないだろ」

「山城製薬って名前は初めて聞いたな、カネボウとどんな関係があるんだ」


「山城製薬ってのは、徳島大学の先生だった人が社長をやっていて、昔海軍の軍医だった人だ。その人が作ったのが紫電で、オイゲニルグルコシドって言う成分を配合して、改良したのが紫電改だ。それをカネボウが買収したって訳だ」


「お前の会社はややっこっしい名前のものを売ってるけど、誰かが作ったものを買収するばっかりで、自分では何も作れないんだな」


「しょうがないな、そういう巡り合わせなんだ」

「巡り合わせの問題じゃねえだろ、頭が悪いヤツばっかり集まってんだろ」


「しょうがないな、子会社が250もあるから、頭のいいヤツは皆んな出向させられて、頭が悪いヤツだけが残ったんだ」


『買収した会社が250もあるのか。聞いてやるから言ってみろ」

「250の名前を全部なんか、会長の伊藤淳二だって知らないと思うな」


「分かってるだけでも言ってみろ」

「そうだな、ハリスのチューインガムだろ、他にもカバヤのキャラメル、渡辺ジュースの素、胃腸薬ワカ末の中滝製薬・・・・もっとあるけど分かんねえな」


「要するに紫電改以外は全部、失敗作ってことだな」

「いいとこまで行ったものも有ったんだけどな」


「どんなものがあるんだ、言って見ろよ」

「青汁ってあるだろ、あの青汁の元祖は山城製薬が作ったんだ」


「やっぱり山城製薬か、カネボウじゃないんだな、それでどうなったんだ」

「カネボウはそれをフェミニンの山発産業に売らせたんだ、ところが山発産業はシャープと組んでSYOS(サイオス)ってヤツを一所懸命に売っていて、その間に他のメーカーの『ウーまずい、もう一杯』の宣伝が人気になっちゃって、山城製薬の青汁はポシャってしまったんだ」


「どうして山発産業にやらせたんだ」

「黒田が決めたことだからな、詳しくは分かんねえな」

「黒田ってよ、全繊同盟の幹部のヤツらと銀座に入り浸ってるヤツだろ、あいつがやったのか、あいつなら紫電改を飲んでも治らないな、市川はどうしたんだ」


「市川は取締役を首になって、とぼとぼと帰って行ったな」

「カネボウにしては珍しく、いい決断をしたな」







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