第48話 穴を空けるとアド街ック天国
「おい弱電屋、そこの壁を斫ってくれへんか」
「すみませんハツルって何のことですか?」
隆司は先輩工事士に恐る恐る尋ねた。
「あのな斫るとは壁に穴をほがすことや」
「ほがすんですか?穴を空けるってことですね、でもこの壁はコンクリートですけど」
「コンクリートに穴をほがすのがハツリや、オレがやるからよーく見とけよ」
先輩工事士は左手に鏨を持ち、ハンマーで力いっぱい叩きつけた。
だが硬いコンクリートの壁には、ほんの少しキズが付いただけで穴にはなっていなかった。
「いいか、これを何度も繰り返して大きな穴にほがすのや」
隆司は言われた通リやってみたが、1センチも掘れないうちに腕が痛くてハンマーを持ち上げれなくなった。
「弱電屋の細い腕じゃ明日まで掛かるな、もういいオレがやる」
先輩工事士は隆司から鏨とハンマーを取り上げ、斫り作業を続けた。
「おっ、出てきた、こいつや。これを捜しとったんや」
コンクリートの壁から出て来たのは電線を通す、鉄製のパイプであった。
鉄筋コンクリートの建物を建設する時は、木の板で仮枠を作り、鉄筋を張り巡らし、生コンクリートを流し込む。
木製の枠を作る人は仮枠大工といい、鉄筋を張り巡らす人を鉄筋工事士、通称、鉄筋屋と言う。電気工事も鉄筋工事と同時に、パイプを仮枠の内側に設置しておかないと、生コンクリートが固まってしまってからでは、配線が出来なくなる。
そのため、建設現場では仮枠ができたら、鉄筋工事士と、電線を通すパイプを入れる電気工事士が、同時に作業をすることになる。
もし、パイプを入れるのが遅れたり、入れ忘れたとしても、容赦なく生コンクリートは流し込まれる。建設現場では工期を守ることが絶対条件で、電気屋の都合に合わせてくれることは絶対にない。
もし配管が間違っていたり、途中で詰まってしまった場合、コンクリートが固まって仮枠を外した後に、出来上がったコンクリートを斫り、パイプを埋めたり、継ぎ足した後、コンクリートを埋め戻して体裁を整える。
ただし、斫りが大きくなると、コンクリートの強度は弱くなる。また他のパイプを破損しないように、細心の注意を必要とする。
今回斫りが必要だったのは、コンクリートが固まり電線を通す際、鋼製のワイヤーをパイプに差し込み、電線を引っ張るのだが、ワイヤーの通リが悪く、パイプの繋ぎ目に不具合があると判断したためであった。
斫った結果出てきたパイプの一部を切断し、新しいパイプと差し替えることで作業は完了した。
もちろん、このようなことはないのが理想であるが、建物が完成するまでには、予想できないトラブルは付きものである。これをいかに乗り切るかが現場力なのだろう。
隆司はこれを見て、あることを思いついた。
隆司が組み立てている通信機は、鉄製のメインシャーシーの上に、プリント基板が水平に3枚並んでいて、各基板はスイッチや押しボタン、液晶などの操作系パーツの付いた表面パネルとの間を、3組のワイヤーハーネス(組み電線)で接続されていた。
このハーネスの両端には20数個の接点を持つコネクターが付いていて、シャーシー内のスペースを占領するのと、他のパーツに干渉することから、手作業でメインシャーシーにバンドで固定されていた。
隆司が考えたのは、すべてのハーネスを取り払い、操作基盤とメインシャーシーの接続には、ハーネスの代わりに接点の付いたプレートに置き換える方式であっった。
これを思い立ったのは、コンクリートの中のパイプの一部を切断し、新しいパイプに置き換えた、あの先輩工事士の仕事を見たことであった。
もしこの方式が採用されればいくらかは、作業時間の短縮と、コストの削減も可能なのではないだろうか。
岩崎通信機が隆司の案を採用するかどうかは分からないが、ともかく苦労していた報告書はその日のうちに完成した。
◇◇◇
暁は北関東地方の担当から、その他地域の担当に変わることになった。今までは地域ごとに担当を分けていたが、新しい方針が発表され、大型小売店とその納入問屋に2人の担当を付け、暁は特定の地域と大型小売店は持たず、一般小売店だけの担当となった。暁のような立場の者は他に2人いたが言い換えれば、わずか3人で首都圏全部の小売店を見る訳で、やってもやってもきりがないというか、途方もない数の小売店を見ることとなった。
例え何もしなくても、カネボウの名前である程度の売り上げは維持できだろうし、一所懸命にやったとしても、目に見える成果は期待できないのは明らかであった。 一体どこへ行って何をすればいいのだろう、としばし考えこんだ。
かすかに思い出すのは、北関東を担当していた時知り合ったフェミニンの小倉が言っていた「大森のダイシン百貨店」と言う店であった。
行ってみるとダイシン百貨店は、食品、衣服、家電、時計、スポーツ用品店など、なんでもそろい、なんでも安い、超大衆店であった。
フェミニンやカネボウホームプロダクツの製品を扱うのは、3階の化粧品コーナーであった。
小倉のいう通リ、棚にはほぼ全メーカーの化粧品が並んでいた。
仕入れ担当者に挨拶をすると「ようやくカネボウさんが来てくれましたね、池田さん以来かな」と言った。
だがこのコーナーに置かれたカネボウの製品は、ハンドクリームやリップクリームなど、季節を過ぎた商品ばかりで半値以下で売られていた。
池田といえば。暁が北関東を担当するまでの前任者で、両毛地区の状況も教えずに
本社の秘書課に行った男である。
池田もここを担当していたことがあるのか、その後あいつは秘書課に行った、オレと同じコースだ、それじゃあオレも、出世コースに乗ってるってことか?
「すみません、長いことお訪ねできなくて、これからは私が一所懸命やらせてもらいます」と、とたんに低姿勢になり、仕入れ担当者のご機嫌をうかがった。
「こちらこそお願いしますよ、それで今日は何個一にしてくれるの?」
「えっ?」
「池田さんは四個一でしたよ」
四個一とは4個買えば1個の割り増しが付くわけで、実質20パーセントの割引である。
だが店内には、カネボウホームプロダクツの製品は、季節遅れの特売品以外は一品もなかった。
あの池田にしても、さすがに4個一は断ったのだろう。
すんでのとこでダイシンの作戦を回避できたが、暁はまた憂鬱な気分になった。
ダイシン百貨店のすぐ近くに、化粧品専門店があった。
覗いて見るとこの店にはカネボウの他、資生堂、コーセーなど、制度品のコーナーがあり、美容部員が常駐していた。
だがカネボウのコーナーにこの春に新色を追加発売した「カネボウフアッションカラー」というヘアカラーは見当たらなかった。
代わりにというか、制度品以外のメーカーの、ウエラとミスクレィロールはずらりと並び、ご丁寧にもカネボウの美容部員が説明しているのが見えた。
制度品は販社が扱う品で、暁がとやかく言えるものではないが、末端の小売店とメーカーの間のズレを感じずにはいられなかった。
◇◇◇
「おい暁しけた顔してるな、これでも食えよ」
「まずそうな沢庵だな、どこで買って来たんだ?」
「会社の帰りに大森に寄って買って来た、まずい訳ないだろ」
「オレも今日大森に行って来たけど、ろくでもない店ばっかりだな」
「大森のなんていう店に行ったんだ?」
「ダイシン百貨店という店が『お願いします、カネボウさんの品を売らせて下さい』
と泣いて頼むので行ってやったけど、おれの好みじゃねえからやめたよ」
「嘘言え、ダイシンのおばちゃんにだって選ぶ権利があるだろ、お前が選ばれなかっただけだ」
「オレが会ったのはおばちゃんじゃなくて、おっさんだ」
「どっちだって同じだ」
「お前はダイシン百貨店に義理でもあるのか、金でも借りてんだろ」
「ダイシン百貨店の社長の竹内さんは、おれのお袋と同じ長野の出身だ、この時計だって、ステレオだって全部ダイシン百貨店だ」
「どうも沢庵臭いと思ったらそのせいか」
「そのセリフを、愛川欽也さんに言ってみろ、お前のテレビだけ12チャンネルが見れなくなるぞ」
「どういう意味だ?」
「愛川欽也さんが司会をしてる、アド街ック天国ってのがテレビ東京でやっていて、ダイシン百貨店が大森ではお勧めの店第一位だ、きっと奥さんのケロンパさんも、
ダイシン百貨店で沢庵を買ってると思うな」
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