第47話 岡山の夜は更けて 

 隆司が乗った全日空機はボーイング727という、T型尾翼にエンジンが3基付いた飛行機であった。

 隆司は楓とキャッツを見た日が7月27日であることから、幸先の良さを感じた。

 しかも727とは女性が好むエンジェルナンバーでは、双方が引かれ合うとか、恋の予感と言う意味を持つ数字であった。


 チケットに記された座席番号をみると、隆司の座席は最前列の通路側であった。

 隆司の目の前でアテンダントの女性による、救命具の説明が行われ、彼女が動く度、スーッといい香りが鼻を刺激して、心臓がドキンドキンと音をたてて鳴るのを感じた。

 シートベルト着用の表示が出ると、アテンダントの女性は隆司と向かい合う形で座り、にっこりとほほ笑んだ。

「あ~なんていう運の良さか」と727に感謝せずにはいられなかった。


 岡山空港に着き、シャトルバスでANNクラウンプラザホテル岡山に入ると、525号室のKEYを渡された。727号室でないのが少し残念に思ったが、525号室は豪華な部屋だった。

 525号室だけでなく、ANNクラウンプラザホテル岡山全体が、隆司が経験した中で、最も豪華なホテルだった。


 オレもついにこの豪華ホテルに泊まれるほどになったか、とまるで実力で地位を獲得したかのような錯覚に襲われ、錯覚から覚めないまま、田町と言う飲食店街へ行ってみた。

 田町は規模は大きくないが、スナックやBARがたくさんあった。

「どうせ田舎のことだから、ろくな店じゃないだろう、ちょっと様子でも見てやろうか」と尊大な気分であるBARに入ってみた。


 カウンターだけの小さな店で、ママらしき女性がいたが客は誰もいなかった。

 失敗したなと思ったが、色っぽいママに吸い寄せられるように中に入った。

 ウイスキーの水割りを飲み、1時間ほど経ったが客がくる様子はなかった。


「お客さん東京の人?」

「ああ、そうだよ」


「ふーん、そうなんだ、うちの人も東京で稼いでくると言って、行っちゃったけど、それっきりよ」

「じゃあ今は一人なんだね」


「そうよ、今治にいる母に仕送りをするため頑張っているけど、疲れたわ」

「お父さんはどうしたの?」


「父は来島どっくで働いてたけど、病気で死んじゃったわ」

「それは大変だね、でもよくやっていると思うよ、ボクにはできないな」


「お客さんは岡山に仕事で来たの?」

「いやちょっと、美術館巡りをしようと思ってね」


「やっぱりそうだったのね、学がありそうに見えたわ」

「そんなことはないですよ」


「謙遜したってダメよ、学があってお金がある人は皆んなそう言うのよ」

「お金だって持っていないですよ」


「でも美術館巡りでしょ、普通の人にはできないわ、今日は県立図書館に行ってきたんでしょ?」

「県立美術館ですか?まだ行ってません。知りませんでした」

「そうよね、まだ出来て一か月しか経っていないのですから」


「まだ新しいのですね、行って見たくなりました」

「私もまだ行ったことがないのよ、一緒に行きません?」


「ママが行ってくれるのなら、ボクもお供しますよ」

「嬉しいわ、今日はもう店を閉めるわね」


 岡山県立美術館は隆司が岡山を訪れる一か月前、3月18日にオープンしたばかりであった。美術関係の案内書にもまだ載ってなく、隆司が知らなくても無理はなかった。

 だがママの嘘かほんとか分からない、東南アジア系の女性がよく使う、似たような話に乗ってしまい、その夜は豪華なホテルの部屋は使うこともなく、彼女の部屋で朝を迎えた。

 当然のことながら、この日だけで持ち金の大半を使い果たし、大原美術館も大塚美術館も行くことなく、東京に帰ることとなった。


 持ち金も乏しくなり、帰りは飛行機は諦め、電車で帰ることにした。だが視察報告はどうすればいいのだろう。


「ん?そうだ!、会社からは『美術館に行ってこい』と言われた訳じゃない。

 どこかを見て来たらいいのだ。問題はそのどこかがどこにあるかだ…………」


 隆司は自問自答した。

「今いるのは岡山だろ、電車で東京に帰るとすれば、大阪、名古屋を通るな、大阪にも名古屋にも知り合いはいないし、オレはどこへ行けばいいのだ?…………

 そうだ、神戸にはオレの兄貴みたいな名前の隆一と言う人がいるな。あの人は新宿のワシントンホテルで会った時、『大阪万博でイタリア館で電気の仕事をした』と言ってたな。

 それじゃあ あの人に、イタリア館の話を聞けば、立派な報告書が書けるではないか」

 隆司が明舞団地の隆一宅に電話を掛けると、

「隆司さんか、久しぶりやな、お父ちゃんは姫路の現場に行っとるで、飯場にいるさかい、あんたも飯場で暮らしたらええのと違うか?」


 隆司の単純な頭で出した結論以上に、汐子の返事は単純だった。

 だがおかげで隆司は一週間、隆一の仕事を手伝いながら、姫路の現場と飯場を体験することになった。

 姫路の現場には20人の電気工事士がいた。

「お前、結構ペンチの使い方上手いな、どこで勉強したんや」

「ボクは岩崎通信機と言う会社にいます」


「なんだ弱電屋か、強電もやってみれば面白いやろ、このままオレたちとやろうやないか」


 隆司はやや荒っぽい神戸の連中と毎夜酒を酌み交わし、少し世の中が分かって来たように思った。


 そもそもエンジェルナンバーなどと言うのは、どこかの女占い師が作ったもので、ボーイング727にしても、よど号のように運が悪いことに遭遇することもある。


 ここでボーイング727に起きた運の悪い事件について記すこととする。

 その一件は赤軍派によるハイジャック事件である。

 1970年3月31日、日本航空羽田発、板付(現福岡空港)行き351便は乗員乗客122名を乗せ富士山上空を飛行中、日本刀や爆弾のようなもので武装した9人の犯人グループにハイジャックされた。

 犯人グループは操縦室に押し入り、北朝鮮に行くよう命令した。

 機長はこの機は国内線用で、北朝鮮へ行くには燃料が足りないと嘘を言い、板付に着陸した。地上からも説得したが犯人グループは応じず、女、子ども、老人など23人を降し北朝鮮へ向かった。


 日本政府は韓国に要請し、韓国の金浦空港を、あたかも北朝鮮であるかのように見せかけて着陸したが、工作に失敗し、よど号は再び北朝鮮へ向かった。


 北朝鮮は機体と乗員乗客の帰国には応じなかった。しかし秘密裏に行われた交渉で北朝鮮は日本政府の要求を吞むこととなった。その時北朝鮮に交渉に向かったのは、運輸政務次官の山村新治郎と言う男であった。

 乗客は山村新治郎が乗って行ったダグラスDC-8 で帰国したが、乗員4名と山村新治郎及び、機体が帰国したのは4月5日であった。後に山村は「身代わり新治郎」と呼ばれることとなった。

 ではなぜこのような事件が起きたのであろうか、犯人グループの赤軍派が持ち込んだ 日本刀と爆弾はおもちゃであった。だがおもちゃとは言え、機内に持ち込めたのは、保安検査の甘さと言う他ない。この事件で犠牲者が出なかったのは幸いであった。この事件は保安検査が見直されるきっかけとなった。だが北朝鮮及び韓国に莫大な見返りを支払うこととなった。政府のこの姿勢はいまだに変わっていない。


 よど号の事件の翌年、またも727に悲劇は起きた。

 1971年7月30日、千歳発羽田行き、ボーイング727 ANN58便は13時33分、千歳空港を離陸した。58便は高度28,000フイート(8,500m)を自動操縦で飛行していた。

 一方、2機のF-86F戦闘機が戦闘訓練のため、1時28分、航空自衛隊松島基地を離陸した。


 58便が岩手山上空付近を飛行中、F-86Fを発見し、手動操縦に切り替え回避したが発見から7秒後の2時2分39秒、垂直尾翼とT型に配置された水平尾翼付近をF-86Fが通過した。尾翼を失った58便は落下を続け、音速を超えた機体は空中で分解し、雫石町付近に落下飛散した。

 この事故で58便の乗員乗客162名全員が犠牲となった。

 一方F-86Fも操縦不能となり、乗員は脱出しパラシュートで降下した。


 この事故はなぜ起きたのだろう。

 当時東北エリアの空域はレーダーによる管制ではなく、民間機はパイロットからの位置情報を基に、管制官が指示を出していた。

 航空自衛隊の2機は教官と訓練生による訓練中で、訓練生は教官の後を追うように飛行していた。

 この日は有視界飛行による訓練を行っていて、互いが少ない情報で飛行していた。

 また2機の間ではお互いに、コードネームで呼び合うようになっていて、明確な指示が訓練生に伝わっていなかった可能性があった。訓練空域も高度の差はあるものの、一部では重なる部分もあった。

 この事故では双方に責任があるとされたが、互いの小さなミスが重なった偶然の事故と言える。

 しかしこの事故は、小さなミスが重大な結果になることを示している。

 民間機も自衛隊機もその後の運用には一層、注意をはらうこととなった。

 ANNの場合、その後は死亡事故は起きていない。もとより自衛隊機は日本を守るため、飛行している。

 今後もより安全な空であることを願って止まない。

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