第46話 大原と大塚と内視鏡
山一証券福岡支店で不祥事件が発生した。ある営業部員が、店頭口座を開設した高齢者に、元金保証、月利2パーセントと架空の投資商品を提案し、預かった退職金5,000万円を休眠口座を不正利用して、自身で売買した。しかし買った株はいずれも低迷し、約束の金利2パーセントを1回支払った後は、株の売買もなく、別の顧客から同様の手口で集めた金を利息として払支払う、自転車操業に陥った。
しかし、支店長代理の桑水流が見抜き、被害者2名には会社が返済し、当該社員を懲戒解雇とすることで世間に知られることなく、一件落着した。
だがこの事件で支店長は引責辞任、課長兼支店長代理の桑水流は、県内の出張所々長となった。
桑水流にとって出張所々長は課長待遇は変わらないものの、2階級の降格であった。
購入したばかりのマンションから通勤できたのが、せめてもの救いであった。
いずれは本社勤務となった時のことを考え、少々無理をして博多駅に近い物件を選んだのが幸いした。
だが本来であれば、支店長か、本社の課長を目前にしての出来事であった。
「桑水流さんとこで、えらいことが起きたんやってな」
「そうらしいね、新聞に載らないだけでも良かったと思うよ」
「桑水流さんは支店長代理だったんやってな、支店長の次に偉いんやろ、給料もいっぱい、貰うとるんやろな」
「お前の頭の中は、お金の事しか考えれないのか?いっぱい給料を貰ってる人は、それだけ仕事が大変なんだぞ、責任も取らなきゃならないしな」
「お父ちゃんも番頭になったんやろ、責任重いな」
「川島電気と山一証券を比べてどうするんだ、雲泥の差だろ」
「そんなことあれへんで、お父ちゃんの今度の現場の網干には、20人連れて行くんやろ、20人いうたら立派なもんや、万博の時と変わらんやないか」
「大袈裟なやつだな、今度姫路に作る網干ホテルは、万博の時のイタリア館よりちょっとでかいだけだ」
「お父ちゃんらしい言い方やな、その後も日航ホテルがあるんやろ、しばらくは姫路に泊まり込みやな」
川島電気は姫路に高砂建設が施工する日航ホテルと、網干の海岸にできるリゾートホテルの電気工事を請け負っていた。
隆一は、この二つの現場の両方を見る番頭(現場監督)に指名されていた。
姫路は明舞団地からは1時間ほどで行ける距離であるが、二つの現場を見る関係から、網干に仮設の宿泊施設を設け、完成までの約1年間、電気工事士たちと暮らすこととなった。
隆一の飯場暮らしは万博の時以来約20年ぶりで、三の宮の出来事や、汐子と出会った梅田のアストロメカニクールで聞いた、メリージェーンを思い出していた。
「何を考えとるんや?ぼーっとして、ご飯が冷めてまうで」
「そうだったな、今日はビールでも飲もうか」
◇◇◇
岩崎通信機で行われた社内技能検定で、隆司は2年連続優秀技能士に選ばれ、工場長賞と1週間の特別休暇を授与された。
ただ特別休暇とは言っても、勉強の成果をリポートする条件付きであった。
聞くところによるとこのような場合、外国の研究所や工場を視察して、取り入れられそうなものを吸収するのが目的であるという。
隆司は困惑した。外国に知り合いはいないし外国語など「This is a pen」くらいのレベルであった。
さてどうしたらいいのだろう、と考えたがいつまで経っても答えは出せなかった。
翌日、1週間前に検査した結果を聞くため、東京医大八王子医療センターに行った。
あの日はここで館ヶ丘団地の小夜と会った、ひょっとしたらまた会うかも知れないと、思っていたら後ろから声を掛けられた。
「隆司さん、また会ったわね、今日は何の検査なの?」
「検査の結果を貰いにきました」
「じゃあお尻は大丈夫だったのね」
「えっ?お尻ってなんのことですか?」
「この前、言ってたじゃないですか、『看護婦さんにお尻を見せなきゃならない』って」
「ボクがそんなことを言ったのですか?」
「言ったわよ、『だから今日は朝から何も食べず、下剤を飲んで腸内をきれいにしました』って」
どうも本当にそう言ったらしい。実際のところあの日の検査は、大腸の内視鏡検査であった。
お尻からカメラの付いたチューブを差し込むのだが、担当の検査員は若い女性だった。
検査をする人は慣れているのだろうが、検査を受ける側としては、よりによってこんな時に若い女性とは、といつもとは逆パターンの運の悪さを嘆いた。
「うちの主人は口から飲む胃カメラの検査だったけど、なんとも無かったわ、隆司さんも良かったわね」
と小夜に言われたが、まだ検査の結果は受け取っていなかった。
「技術って凄いわね、自分でも見えないところをちゃんと見てくれるのね」
「ボクはまだ見てませんけど、しっかり見られました」
「そうなのね、今は自分でもモニターで腸の中を見れるのね、まるでミクロの決死圏みたいね」
話は嚙み合わないまま終わったが、隆司はヒントを貰ったような気がした。
ミクロの決死圏とは、ミクロンサイズに小型化された人間が、人の体内を旅するSF映画の傑作のひとつである。
どこを見て来たらいいのだ、と迷っていた隆司は、気が付いた。
外国の研究所に行って見て来い、と言われてもそんなに簡単に見せてくれるはずがない。過去のリポートは、見てきたような創作か、さもなくば、誰でも見れることを見たままに書いただけではないのか。
それならオレだって、人とちょっとだけ違うところへ行って、SFっぽく書けばいいのではないか。
そう言えば楓と西新宿でキャッツを見た日、喫茶店でいろいろ話したが、あの時楓は「倉敷の大原美術館を見てみたいけど、遠いし、お金もかかるから行けそうもないわ」と言った。
オレが大原美術館を見て何らかの知識を得れば、また楓と話し合えるのではないかと思った。
理論は強引だがとにかく、倉敷へ行くことにして、ある旅行代理店に入ってみた。
すると全日空に乗り、岡山市の「ANNクラウンプラザホテル岡山」に2泊するセット券があった。
岡山から倉敷は近いし、飛行機は乗り換えが利くが、知らない土地でホテルを探すのは困難と思い、このセット券を買うことにした。
楓の前で恥をかき、もう一度会いたいと言う気持ちを抑えていたが、先日小夜と会い、少し自信を取り戻したところに大原美術館が加われば、鬼が金棒を得たような気になった。
さらに調べると、完成してからまだ数ヶ月しか経っていない、瀬戸大橋が倉敷から香川県坂出市まで走っていた。
さらに、さらに、四国に渡って鉄道に乗れば、徳島県鳴門市に、これまた有名な大塚国際美術館があるではないか、
大塚美術館は世界の名画を陶器に焼き付けたコピーだという。
オレの会社の岩崎通信機でもカラーコピーを作っている。それなら同じコピーどうしだ。
大塚美術館のコピー技術はどんなものか分からないけど、そのへんのところを書けば立派な報告書の出来上がりだ。
隆司は愛用のニコンを携えて、機上の人となった。
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