第44話 みかん箱のJBL

「お父ちゃんな、今度ごつい橋ができるやろ、淡路も近うなるな」

「今度と言ったって出来るのは10年後だろ、まだまだ先の話だ」


「そんなことあれへんで、10年なんてあっという間や、淡路も近うなるし、ええことばっかりや」

「君の故郷の由良にもすぐ行けるようになるな。でもね、舞子駅の真上を通るんだよ、海岸も無くなるらしいよ」


「お父ちゃんは、明石大橋を作るのに反対なのか?」

「別にオレは反対じゃないよ、ただあの綺麗な舞子海岸の景色が変わってしまうのが、ちょっと残念に思ってね、釧路でも見たよね、あそこも昔は綺麗な海岸だったんだよ」


 明石海峡に橋を架ける計画は、戦前からあった。しかし軍の一部からは、大型軍艦が通れなくなるなどの理由もあり、反対する意見が多かった。実際に建設の機運が高まったのは、戦後になって高度成長期を迎えた1960年ころからである。


 1970年に本四連絡橋公団が設立された当初は、鉄道と自動車の併用で、将来的には新幹線も走らせる計画であった。

 しかし予算や地盤などの問題により、自動車のみの橋として建設が始まったのは1988年であった。淡路島を縦断して四国徳島県まで通すため、淡路島の北端と、舞子を結ぶルートは変わらず、ついに長年待ち続けた夢の懸け橋の実現が近づいてきた。


 だが当初予定されていた鉄道がなくなったため、結果として、明石大橋はJRとは結ばれず、JR舞子駅の真上を横切ることとなり、舞子海岸でも基礎工事が始まっていた。

 17年前、隆一と汐子が歩いた美しい舞子海岸の砂浜は、コンクリートで覆われることとなった。

 隆一はあの日、足の下を流れ去った砂の感触が、今起きているのだと思わずにはいられなかった。


◇◇◇


「最近お前の部屋から変な音が聞こえて来るな、あれは一体、何の音なんだ」

「バド・パウエルのピアノに決まってるだろ」


「バド・パウエルったらジャズだろ、だけどあの音は三波春夫の、チャンチキおけさの皿を叩く音みたいだな」

「失礼なことを言うな、立派なピアノの音がしてるだろ」


「そうかな、オレには『小皿叩いてチャンチキおけさ~』としか聞こえないな』


「それはお前の耳がオーディオに向いていないからだ、オレのオーディオは秋葉原で買った、フォステクスのスピーカーだぞ知らねえんだな」

「フォステクスはオレが教えてやったスピーカーじゃねえか、秋葉原で買ってきたんだな、箱はどうしたんだ」


「みかん箱が落ちてたんで、それに穴を空けてくっ付けたら、JBLも真っ青になるスピーカーが出来ちゃってよ、毎日バド・パウエル三昧だ」


「スピーカーは分かったけど、AMPとCDデッキはどうしたんだ」

「ケンウッドっていう会社の、チューナーアンプっていのがあって、CDとFM も聞けるって言うから買ったんだけど、特価で19,800円だったぞ、スピーカーと合わせたら、24,980円になっちゃって、ボーナス前だから、明日からは麦飯とお新香の生活だ。これも全部お前のせいだ、どうしてくれるんだ」


「バド・パウエルは、フェミニンの小倉と、小倉の彼女の曲だ、お前が聞いてどうするんだ」

「フェミニンの彼女が豊明ビルの JBL に、バド・パウエルを聞きに来たら、きっとパピリオの彼女もくっ付いてくるだろ、そん時のための勉強だ」


「お前はまだ、パピリオの姉ちゃんのこと考えてたのか、無駄だってのが分かんねえのか、フェミニンの姉ちゃんは小倉の嫁さんになるし、一緒に来るわけがないだろ」

「そん時はチャーミングストアに行ってみるさ、お前だって本当はフェミニンの姉ちゃんを本気で狙ってたんだろ、人のこと言えないだろ」


「小倉の嫁さんになるんだからしょうがないだろ、そのうち代わりを見っけるわ」

「代わりだって?噓だろ、あんときの目は本物だ、他に誰かいる訳ないだろ」


「この前、美大の楓っていう姉ちゃんが来ただろ、あの姉ちゃんはもっと可愛いぞ」

「確かに可愛いな、だけどお前には無理だ、あのねえちゃんはお前には勿体ないわ」


「冗談じゃねえ、隆司っていうバカなヤツが楓をキャッツに連れていって、化けの皮を剝がされたみたいだけど、オレは隆司みたいなへまはしない、オレはオペラで勝負だ」


「暁、お前 狂ったのか、お前がオペラなんて柄か」

「狂ってるのはお前の方だ、あの機長といい、お前といい、片桐ってのは狂ったヤツばっかりだ、オレはオペラはオペラでも、オペラ座の怪人だ」


「やっぱり狂ってるじゃねえか、オペラ座の怪人はロンドンかどっかでやってるけど、日本じゃまだどこでもやってないぞ。どこで見るんだ」

「お前はミュージカルを想像してんだろ、オレがいつミュージカルって言った、オレが言うのは映画のオペラ座の怪人だ、映画とミュージカルでは、全然別物なんだぞ」


「映画だってどこでもやってないと思うな、見れる訳がないだろ」

「そう思うだろ、ところがどっこい、レンタル屋に行ったら、映画版のオペラ座の怪人のVHSを、7泊8日で借りられるんだぞ、だから1週間、寝ないで毎日研究すれば、オレも楓に説明できるくらい、オペラ座の怪人通になれるって訳だ。どうだ分かったか」


「じゃあ、VHSのデッキも要る訳だな、そんなの持ってたのか」

「当然だろ、全繊同盟のヤツらのおかげでボーナスも出そうだし、出たら電気屋に直行だ」


「何が勉強だ、どうせ毎日エロビデオを見るんだろ」

「そりゃあ、少しは見るさ、それも勉強の一つだ。おっ、ちょっと混んできたな、さ、これから堀之内で本物の勉強だ、今日こそお前に教えてやるからな、しっかりと覚えておくんだぞ」


 ◇◇◇


「あの絵を楓さんは見てくれたかな」

「お前は楓さんの批評が気になるのか?」


「巌は気にならんのか」

「少しはな、だけどオレは小夜さんに褒められたいな、小夜さんの書いた絵がオレには一番、ピッタリ合うな」


「今日は凄く真面目やな、どうかしたんか」

「当然だろ、小夜さんが『いい』って言ってくれたら、他のヤツらにどう言われたってかまわないさ」


「巌がそんなに小夜さんを好きやったとは、知らんかったな」

「バカやろ、絵のことだ、いつまでも楓になんか、構っちゃいられねえだろ」


「相手にされなかっただけやないか」

「それも少しはあるけどよ、苦い思いも勉強の一つだ、人生甘いことばっかりじゃないからな」


「よお言うな、巌だってオレと同じ歳なんやから、17年しか生きておらんやろ」

「17歳ったらよ、山口二矢ってヤツを知ってるか」



「山口百恵は知っるけど、二夜なんて知らないな、小夜さんのことばっかり考えてるから、巌の頭の中で二夜と小夜がごっちゃになってしまったんやろ」


「二夜でも三夜でも考えたって、二矢が二夜になる訳ねえだろ」

「じゃあ、二矢って誰なんや」


「オレは説明したくないな、知りたかったら自分で調べてみろ」


「なんや、自分でいっておいて」

「お前にはセブンティーンが合ってるな、可愛い子がいっぱい載ってるぞ」


「女の子向けの雑誌やろ、そんなの見とうないな」

「じゃあ、付和雷同って辞典で調べてみろ、山口二矢が書いた、なんだか小難しい文の中に書いてあったけど、まるでお前のことみたいだぞ」


「なんか怪しい感じがする言葉やな、あまり知りたくないけど、しょうがないな、調べてみるわ」






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