第15話 500ミリレンズのファインダー 

「亜未、おじちゃんが写真を送ってきたわ、ほら可愛く撮れてるわよ」

「ほんとだ、麻衣ちゃんにも送ってあげようか」


「そうねどれがいいかしら」

「これはどお?」


「そうね、麻衣ちゃんにもらったお人形さんが写ってるわね」

「うん、じゃあこれを送って」


 小夜と亜未は、高尾山で隆司が撮った写真の中から1枚選びだし、神戸の桑水流へ送った。


「亜未ちゃんが写真を送って来たわよ」

「わあー私が上げたお人形さんが写ってる」


「そうね、可愛がってくれてるのね」

「亜未ちゃんにも送ってあげて」


「そうね、どれがいいかしら」

「これはどお?」


 麻衣が取り上げたのは亜未からもらった、ロシアの人形の人形を抱いた麻衣の写真だった。

「いいわね、それにしょうか、それとねこれも入れときましょ」

「うん」


◇◇◇


「凄いわ、人形を画いたとは思えないわ、それにこの波の絵も、誰が画いたのかしら」

 桑水流から送られてきたのは、春が画いたロシアの人形と、巌が画いた神奈川沖浪裏だった。

「もしもし桑水流さん、写真もらったわ。あの写真に写っている絵は誰が画いたの?」

「実はねうちの前の神谷さんって人の息子さんと、お友達よ。美大付属の生徒よ」


 小夜が見たのは実物を映した写真だったが、実物はどんなに凄いのだろう、見てみたい、と思った。


 ◇◇◇


 隆司はまた府中の競馬場に向かった。これで最後にしようと思っていても、あのトウショウボーイの雄姿が忘れられなかった。

「馬券は買わなくてもいい、駆け抜けるサラブレットを撮りたい」と思った。

 だが隆司のオリンパスペンは単焦点のハーフサイズで、トラックを疾走するサラブレットを撮っても、豆粒くらいの大きさにしか写らなかった。


「やっぱりもっといいカメラじゃないとダメだな」と思い、新宿のさくらやに行った。

「サラブレットの写真を撮りたいんですが、どれがいいですか?」

「それなら一眼レフですね、こちらへどうぞ」


 店員に案内されたコーナーに、一眼レフがたくさんあった。

「これはニコンと言い、アポロが月に持っていったカメラです」


 隆司は値段を見てびっくりした。オリンパスペンが10個以上買える値段だった。

「レンズはどうしますか?」

「レンズって何ですか?」


 店員は困ったような顔で「これはカメラ標準レンズ付きです。他に交換レンズが必要です。これをどうぞ、とレンズのカタログを見せ、

「走っている馬を撮るなら、これがいいと思います」

 隆司は腰を抜かさんばかりに驚いた。

 店員が示したレンズは、標準レンズ付きカメラの、2倍以上の値段だった。


「すみませんまた来ます」と言って隆司はさくらやを出た。

 新宿東口の歩行者天国で丸いテーブルに座って、ふーっと息をついた。

 あんなに高いカメラを買うのはどんな人だろうと思った。


「すみません、ここは空いていますか?」と言って、40歳くらいの男女が腰を下ろした。

 隆司が持っていたカタログを見て「カメラが趣味なんですか、ボクもです。これを見て下さい」と言ってテーブルの上に、カメラを置いた。


 そのカメラはさくらやで見た、ニコンだった。

「何を撮るんですか、ボクはポートレート専門なので、このレンズを使っています。ポートレートには85ミリF1.4ですね、これ以外は使えません」と言った。

「すみません、85ミリF1.4って何のことですか?」


 隆司がカメラの知識がないと思ったその人は、「ボクはこの人の写真しか撮りません。と言い」一緒にいた女の人を見た。そして、

「何を撮るかでレンズを選びます。遠くのものを大きく撮るには望遠レンズが必要です。競馬を撮るなら最低でも500ミリが必要だと思います」


 その人が持っていた85ミリF1.4 は凄く高かったけど、500ミリはもっと高かった。

「もういいです、とても買えません」


 すると「85ミリにはF1.8があります。F1.4 よりだいぶ安いです」と言った。

 カタログを見ると。同じ85ミリなのに値段は5倍くらいの開きがあった。

 500ミリにもF5.6とF8.0があり、値段は10倍くらい違った。

 するとその人は

「社外品だともっと安いですよ、トキナーなら半分くらいです」と言った。


 トキナーと言うのはレンズ専門のメーカーで、ニコンに合うレンズをたくさん作っていた。


 その人は「ズームレンズと言うのがあり、300ミり1本あれば、ほとんどのものが取れます」と教えてくれた。


 ニコンの標準レンズ付きカメラに、トキナーの300ミリズームレンズを合わせると、隆司の給料の3か月分以上になった。


 悩みに悩んだ末、隆司はもう一度さくらやに入った。

 すると「中古もありますよ、月賦は2年払いだと毎月これくらいですね」と言い電卓を見せた。

 中古のニコンにトキナーのズームレンズを付けて月賦にすると、隆司にも何とか買えそうな気がした。


 隆司はついに決断した。

「これを下さい」


 成子坂のアパートからニコンを構え、完成したばかりの京王プラザホテルを見た。

 ファインダーの中に、京王プラザホテルの窓が大きく映り、もし人が手を振れば、見えるかも知れないと思った。


 ◇◇◇


「あら、あのおじちゃんからまた写真が来たわ」

「ほんとだ、お馬さんね」


 隆司はニコンで撮った写真を誰かに見せたくて、見せたくて仕方がなかった。

 本当はトウショウボーイを撮りたかったけど、だんだんと面白くなり、手当たり次第に撮りまくった。


 撮りためたフィルムはどんどん溜まった。

 そのころ、サービスサイズ10円と言う店が現れた。サービスサイズと言うのは、ハガキと名刺の中間くらいの大きさで、現像代は別だったが、1枚10円でプリントができた。

 もっと大きく引き伸ばすと、料金次第でいくらでも大きくできた。


 隆司が小夜と亜未に送る写真はだんだん大きくなり、額に入れると立派な作品に見えた。


 ある日、小夜は隆司の写真を志乃に見せた。

「あらこの写真、うちのお父さんの絵みたい、誰が撮ったの?」

「隆司さんと言う人で、成子坂から送られてきます」


「知ってる人なの?」

「高尾山で写真を撮ってもらいましたけど、知り合いじゃありません」


 傍らで聞いていた春樹が言った。

「隆司さんかどうかは分かんないけど、早紀さんと新宿に行った時、新宿東口のホコ天で合った人は、馬の写真を撮りたいって言ってたな」


 ◇◇◇


 暁は一勝負しようと思い府中へ向かった。トウショウボーイの勝利を見抜いたオレの目に狂いはない、オレは天才だ、評論家どもは10通リくらい買って、一つ当たればそれで当たった当たったと大騒ぎする。10通リも買って当たらなきゃ、それはただの馬鹿だろ、オレは一点買いだ、一点買えば十分だ。


 暁はパドックへ向かった。だがその日はトウショウボーイが出走するレースはなかった。

 パドックで調教師に引かれる馬を見たが、トウショウボーイを見た時のような、閃きを感じさせる馬はいなかった。


 暁は迷った。ここまで来て何も買わずに帰るのか、何も感じない馬券を買うのか、暁は確信を持てないまま、試しに新聞の予想に従い、千円買ってみた。


「新聞の予想なんて当たるはずがない、千円くらい、馬の餌代にくれてやる」

 と暁は冷めた目でレースを観戦した。


 先頭でゴールラインを越えたのは、暁が買ったグリーングラスという馬だった。


 え?何、当たった?

 暁は驚いた。どうせ当たるはずがないと、半ば馬鹿にしていた新聞の予想は、見事に的中していた。


 暁が払った千円は50倍の5万円になった。普通ならこれで万々歳である。

 しかし暁は嬉しくなかった。むしろ落胆した。

 パドックで見た時グリーングラスには、何も感じなかった。だがグリーングラスは圧倒的な強さで優勝した。


 あの時トウショウボーイに感じたものは何だったのだろう。自分の閃きに自信をもっていたが、実は紛れだったのか……

 曉の閃きは消え、自信は脆くも崩れ落ちた。

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