第16話 東京モーターショーのコンパニオン
「お母さん、高尾山で写真を撮ってくれたおじさんに、亜未もお母さんも合ったことがあるわよ」
「ほんと?どこだったかしら」
「あのね、絵の道具を買ってから、亜未がケーキをたべた店で、お父さんと写真の話をしてたよ」
「絵の道具を買ったとすれば、新宿の世界堂ね、その後ケーキと食べたとすれば、どこかの喫茶店ね…………?」
「分かんない?」
「……あ、ひょっとしたら、競馬の話をした人かしら」
「そうよ、おじさんたちは競馬のテレビを見てたよ」
小夜は亜未に言われ、高尾山で写真を撮ってくれた人が、新宿の喫茶店で合ったことがあるのを思い出した。
「よく覚えていたわね」
「だってあの時おじさんは、お馬さんの写真を撮るって言ってたじない」
「そうだったわね、この馬の写真を春樹さんはどう思います?」
「ボクはポートレート専門だからね、馬は分かんないな。でも本当に写真をやりたいなら、写真雑誌に出したらいいと思うな」
「写真雑誌って、どんなのがあるんですか?」
「日本カメラと朝日カメラは有名だけど、もっと一般的なのにフォトコンってのがありますよ」
「フォトコンですか?」
「ええ、フォトコンは」、アマチュアが写真を投稿する雑誌で、外にCAPAって言う雑誌もありますよ」
◇◇◇
隆司は小夜から写真の出来映えの批評が来るのを待っていた。
だけど返事がないのは、写真の出来が悪いからかと思い、次々と撮りまくった。
「競馬も撮ったし、高尾では山も撮ったし、次は何を撮ろうか」とあれこれ考えながらカメラを携え、新宿東口の歩行者天国に行ってみた。
歩行者天国に行くと、ミニスカートの女の子がたくさんいた。
5年くらい前、イギリスからツイッギーと言う人が来て、ミニスカートの女王と呼ばれていた。
ツイッギーは小枝と言う意味で、本当に小枝のような細い脚をしていた。
流行とは恐ろしいもので、小枝どころか巨木の幹のような脚の子も、みんなミニスカートを履いていた。
フアッションの流行とは若い娘から始まり、おばさんが着るようになって終焉を迎える…………と言われている。
だがミニスカートの流行は衰えるどころか、どんどん短くなり、スカートレスミニ
と言われるほど短くなり、ついにおばさんもひざ上20センチを着るまでになった。
佐藤栄作総理が訪米した時、寛子夫人はひざ上20センチの超ミニスカートで、堂々とタラップを降りてきた……とまあそんな時代であった
だが巨木のような脚でもカメラを向けたら、下手をすると犯罪である。
ズームレンズ付きカメラ持った隆司は誰の目にも、ミニスカートを狙っている怪しいヤツにしか見えなかった。
「いやらしい人!」と言われたような気がした隆司は、丸井新宿駅前店に逃げ込んだ。
別に逃げる必要はないのだが、ここへ来ると何故か事件に巻き込まれるのだ。
ふと見ると、そこは水着売り場だった。
まずい、また間違えられる、と思った隆司は隣の紀伊国屋書店に入った。
特に目的があって入った訳ではないので、1階の売り場をぶらぶらしていると、カメラ雑誌のコーナーがあった。
日本カメラ、朝日カメラ、カメラ毎日といった雑誌が並んでいた。
パラパラと捲ってみると、ほとんどがモノクロ写真だった。
そのころはコントラストを強調したモノクロ写真が流行っていて、コンポラ写真と呼ばれていた。
「写真の読み方」と言う本があるほど、素人には分かりにくい写真が多い時代であった。
こんな難しい本しかないのか、と思い隣を見ると、フォトコンと言う雑誌があった。
めくってみるとほとんどがカラー写真で、日本カメラや朝日カメラより、分かり易い写真が多かった。
これは参考になるなと思った隆司は、フフォトコンを買い、高野ワールドレストランと言う店に入った。
高野ワールドレストランは、高野フルーツパーラーと同じビルの5階にあり、イタリア料理とかロシア料理とか、各国の料理店のコーナーがあり、どの店も安く食べられた。
隆司はインド料理を提供する、マハラジャと言う店に入った。
マハラジャはナンが食べ放題だった。
シシカバブーとナンを食べ、フォトコンを開くと、モデル撮影会と言う広告がいっぱい載っていた。ヌードとか水着のモデルをスタジオの中で、アマチュアカメラマンが撮るのだが、値段は凄く高かった。
ヌード撮影には興味があったが、値段を考えると二の足を踏んだ。
ふと見ると、アマチュアの投稿写真に自動車ショーの風景があった。
美しい水着のモデルがカメラマン目線で写っていた。
どこへ行けば、自動車ショーがあるのかと思い、撮影データを見ると、使用フィルム、使用レンズ、シャッタースピード、絞り値、ストロボの有無が記されていた。
隆司はそれまで撮影データ云々は、考えてもいなかった。
本格的に写真を撮る人はここまでやるのか、と思った。
別のページをめくると、同じ自動車ショーと思われる投稿があった。
それによると、この写真は、晴海の国際貿易センターで開催された、東京モーターショーの会場で撮ったものと分かった。
去年の撮影じゃしょうがないな、1年中やってるわけじゃないし、と思っていたら、撮影日が10月31日となっていた。
隆司がその写真を見たのも10月31日だった。
ひょっとしたら、今年も同じ時期にやってるかもしれないと思い、高野ワールドレストランを出て、カメラを買ったさくらやに行った。
さくらやは当時まだ珍しかったFAXが店頭にあり、いろいろな催しものの情報が、主催者から送られてきていた。
隆司が店員に尋ねると、東京モーターショーは11月6日までやっていて、東京駅から会場まで、臨時のシャトルバスがあると、言った。
サクラヤでフィルムを買い、次の日国際貿易センターに向かった。
東京モーターショーはフランクフルトモーターショー、パリサロン、ジュネーブモーターショー、北米国際オートショー、と並び世界5大モーターショー、の一つで、展示車も豪華だったが、コンパニオンはもっと豪華だった。
水着の美女にニッコリと見られると、隆司はボーッとなり、シャッターを押すのも忘れるほどだった。
隆司の周りには他にもアマチュアカメラマンがいっぱいいて、いい場所を取るのに必死だった。
隆司が持っていた300ミリズームレンズは長くて重くて、混み合う人の中では自由に動かせず、何度もシャッターチャンスを逃した。
10円サービスサイズに写っていたのは、コンパニオンより、天井が写っている方が多かった。
隆司は新宿のホコ天で合った二人連れの人が「ポートレートは85ミリF1,4 に限る」と言ったのを思い出した。
そういえば、フォトコンの写真の撮影データには、トキナーの300ミリズームレンズは一人もいなかった。ほとんどが、中望遠の85ミリか、24ミリの単焦点レンズだった。
馬を撮るのと人を撮るのでは、レンズは違うのだと教えらえた。
◇◇◇
グリーングラスが優勝し、馬券では5万円儲かったのに、馬を見る目はなかったと反省させられた暁は、同棲している彼女のマンションに帰った。だが彼女は仕事に行っていた。蒲田にいた時、壁に貼ってあった夏目雅子さんのポスターを取り出し、しばらく眺めた。
本物の夏目雅子さんにいつかは合えると思って、一所懸命に働いたが、この年限りで夏目雅子さんとの契約は切れ、カネボウ化粧品の宣伝は、城戸真亜子さんと言う人に変わった。
城戸真亜子さんは武蔵野美術大学の学生で、油絵を画く画家でもあった。
宣伝部にいた暁だったが、夏目雅子さんにはついに合わずに終わってしまった。
今度こそは、城戸真亜子さんに合って、話をしようと思い、ポスターを眺めた。
暁は居候の立場上、彼女のマンションの壁に、夏目雅子さんのポスターも城戸真亜子さんのポスターも貼れず、彼女がソープから帰ってくる前にくるくると巻き、押し入れに仕舞い込んだ。
彼女の鏡の前を見ると、カネボウの化粧品は一品もなかった。
なんとなく寂しい気がした。
彼女は出勤の日は夜11時ころ帰宅した。それから暁と一仕事して、就寝するのだが、疲れた彼女はすぐに寝てしまった。
その後曉は天井を眺めて考えた。
大阪のお袋と巌につくば科学万博を見せてやりたいな、お袋は大阪の万博も見ていないと言っていた。巌は飛行機にも乗ったこともない。オレも少しは金もできたし、呼ぶなら今年だな……
寝たはずの彼女が「もう起きたの」と言い、暁の上に乗って来た。ライバルメーカーの香水の香りがして、曉はカネボウがどこかの会社に乗っ取られるような感じがした。
だが曉は「オレはグリーングラスの優勝を、予想できなかった男だ」と思うと抵抗できなくなり、彼女のするままに任せた。
暁の予想は実は当たっていたのだが……………
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