第13話 開店と閉店
三助食堂の店主、富田の保証により、木村は信用金庫から融資を受けることができ、戸山団地にキムラクリーニングをオープンさせた。
「キムラクリーニングをよろしくお願いします」椎名町の高島医院を退職し、木村の妻となった志乃の母は、チラシを持って団地の各家々を回った。
団地の建設は第1期10棟400戸が完成し、さらに第2期工事も始まっていた。
団地内にただ1軒のキムラクリーニングには客が殺到した。
「すみません山田ですけど、昨日頼んだYシャツは出来ていますか」
「山田さんですか、すみません山田さんのYシャツは明日の仕上げ予定です」
「困るよな、あれがないとオレ、会社に行けないんだよな、やっぱり生協に出せば良かったな」
「すみません、おととい頼んだスーツは出来てますか」
「田中さんですか、すみません田中さんのスーツは明後日の仕上がり予定です」
「困るんだよな、今日面接に着てく予定なのに。やっぱり生協にしとくんだったな」
キムラクリーニングは聖母病院など、規模に合わない大型受注をした結果、未処理の依頼品が山のように積まれていた。
また戸山団地の入居者の増加を見越し、大久保通りに生協がオープンした。
生協の中にはクリーニング業界の大手、白優舍の取次店があった。
キムラクリーニングは開業早々、知名度の高い白優舍と競うこととなった。
木村の妻もプレス機の操作をするなどし、木村を助けた。
2年前に結婚し、身重だった娘の志乃も受付など、一家総出で働いた。
だが白優舍の大量処理、翌日仕上げは強敵であった。
「やっぱり聖母病院を引き受けたのは失敗だったのかな」
「無理をし過ぎたかも知れませんね、聖母病院には謝って、契約を取り消してもらいましょ」
「残念だけど仕方ないよな」
「諦めましょ、潰れるよりはいいわ」
木村は毎晩、寝るのも惜しむように働き続けた。
「あなた、無理をしないでね。体を壊したら、元も子もないわよ」
妻の心配もよそに、木村はなおも働き続けた。
10年間必死に働き、融資の全てを完済した木村に、信用金庫は追加融資を申し出た。
「信用金庫が100万円貸すと言っているけど、支店を作らないか?」
「そんなに借りて大丈夫なの、心配だわ」
「大丈夫だよ、人を雇って支店を作ろう、調布の駅前にいい空き物件がある。明日見に行こうと思う、君も一緒に行こう」
木村と妻は調布駅前に向かった。戸山団地の時の経験で、スーパーの存在を確かめると、調布駅南口に東光ストアーと言う大型スーパーがあった。
「駄目よ、ここにも白優舍が入ってるわ、他にしましょ」
「北口にも物件があってね、そっちも見てみようか」
当時調布駅は、北口と南口は大きく迂回する道しかなかった。
駅の構内では繋がっているが、入場券を買ってまで南北を行き来する人はいなかった。同じ街でも間に鉄道があると、商圏は分断するのが普通である。
北口には緑屋と言う店があった。
「緑屋があるのね、人口が多い証拠ね、ここならいいかも知れないわ」
緑屋は丸井と並ぶ衣料品を中心としたデパートで、店舗がある駅はターミナル駅など、乗降客が多い駅に限られていた。そのことからも、集客が見込める駅であるのは確かであった。
「緑屋の中にクリーニング店はないわ、ここなら大丈夫かも知れないわね、でも人はどうするの?」
「大丈夫だよ、村上君もいるし、パートを雇えば何とかなるよ」
娘の志乃の夫村上は、努めていた山一証券の社風が合わず、退職してキムラクリーニングで働いていた。いずれは支店を出すことを考えていた木村は、村上にキムラクリーニングの将来を託す気であった。
木村は調布駅北口に、キムラクリーニング調布店を開くことになり、戸山団地店は村上が担い、調布店は木村と志乃の母が担うことになった。
木村夫婦と村上は必至に働き、10年経った。
「早いわね。戸山団地に20年、調布に10年、孫の楓も今年は美大の学生よ」
「そうだね、君にも志乃にも苦労を掛けたね。君もこれからは好きな絵を画いて暮らすといいよ」
「そうね、函館山から見た海の絵を画いてみたいわ。でも一人ではいけないわ、それに二人で行けば戸山団地店には誰もいなくなるわ」
春樹もいるけどまだ無職だろ、今からでもクリーニングを教えるべきと思うな。いいチャンスだよ」
木村夫婦は函館山写生旅行の計画を立てた。
しかしその年の夏、長年の過酷な労働ですり減らした木村の体を病魔が襲った。
家族のみんなは祈った「どうぞ夫を父を救ってください」
しかし願いも空しく木村は息を引き取った。
その年の暮れ、調布店も軌道に乗ってきたころ、また一家に不幸が訪れた。
志乃の母は夫のあとを追うように、この世を去った。昭和という激動の時代が始まると同時に生まれ、幾多の戦争、事件、事故を見続けてきた二つの魂は、この先に起きる二つの大災害を予見するがのごとく二つの光となって、天に召された。
主を失ったキムラクリーニングは、戸山団地店の閉鎖を決めた。
戸山団地店最後の一年は志乃と志乃の弟の春樹が勤めることになった。
調布店は村上とパートタイマー社員が勤めることになった。
ある日、戸山店の志乃に電話があった。電話の主は、流暢な日本語を話すアメリカ人女性だった。
その人は元聖母病院に勤めていた看護婦の娘で、スーザンと言う人だった。
スーザンの母と志乃の母は聖母病院で知り合い、母が自分と弟の春樹を連れ、木村と再婚する仲立ちをしてくれた人だった。
母と父を亡くした境遇は、スーザンも同じだった。
志乃が今暮らす府中の家も、スーザンの両親が借りていた家を、志乃の母が引き継いだものだった。
「木村志乃さんですか、スーザンと言います。私は夫の仕事の関係で今神戸に住んでいます。
今、私の部屋にあなたのお父さんが画いた馬の絵が飾ってあります。
パーティーに来たゲストの一人が、この絵を譲ってほしいと言っています。
売ってもいいのでしょうか?もしOKならお別れのパーティーをしたいと思います
志乃さんもぜひ、参加して下さい」
亡くなった母が馬の絵を携え、津軽海峡を越えてきた時。志乃は5歳だった。
母が亡くなる前、「函館山から見た絵を画きたい」と言ったのは、津軽海峡の洞爺丸のことだったのだ、志乃は父が残した絵をもう一度見たいと思った。
志乃はスーザンに言った。
「神戸に行かせてもらいます」
娘の楓が戸山団地店で志乃に代わり、受付をしていると一人の青年が志乃を訪ねてきた。
「10年前、ダスターコートのケチャップを洗ってもらいました。お礼が言いたくて来ました」
「じゃあ母のことですね、母は今日は神戸に行っています」
「じゃあこれを……」と菓子の包をカウンターに置くと彼女が画いている絵が見えた。
「絵を画くんですか、ボクは素人ですが素敵な絵ですね」
「ありがとうございます。展覧会などに行ったことはありますか?」
「行ったことはありません、でも三岸節子の絵を見たいと思います」
「三岸節子を知ってるんですか!………もう素人じゃありません」
驚いたような顔で彼女は青年の顔を見ていた。
「母が帰ったら言っておきます」
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