第11話 本物と偽物

 桑水流が神戸に赴任して住んだのは明舞団地であった。

「館ヶ丘団地はよかったわ、ここにはエレベーターもないのね」と桑水流に、妻の紀美子は言った。

 明舞団地は館ヶ丘団地に比べると建築された時期が早く、桑水流が入居した棟にはエレベーターがなかった。だが建築された当時は人々の憧れの街だった。抽選に当たった人は羨ましがられたものである。


 桑水流の家は500号棟の5階502号室で、階段の踊り場を挟んだ向かいの501号室は、隆一と妻の汐子の家であった。

「向かいに住むことになった桑水流です。よろしくお願いします」

「こちらこそ」


「桑水流さんは若くてええな、私とお父ちゃんが一緒になる前に、この団地を見に来たことがあってな、あれからもう15年も経つんやけど、うちもあんたくらいの歳やったな」

「ここに15年住んでいるんですか、じゃあなんでもご存じですね、いろいろ教えて下さい」

「うちがここに来てからはまだ1年やけど、お父ちゃんがこの団地を作ったのはもっと前や、20年くらい前かな」


「え?ご主人はこの団地を作った人なんですか?」

「全部やないで電気だけや、これ見えるやろ、ここんとこを開けたらな、お父ちゃんが書いた字が残ってると思うな」


 汐子は501号室と502号室の間にある、配電盤を指さした。

 配電盤の中には、501号室と502号室に分配する色分けされた電線とブレーカーが  付いていて、配線を行った電気工事士がブレーカーに部屋の番号を書く。

 この棟には隆一が20年前に書いた字が残っていた。


「じゃあ電気のことなら何でも知ってますね。故障したら直してもらえますか」

「もちろんや、何でも言うてな」

 汐子と紀美子は10歳の差はあったが、館ヶ丘団地にいたころの小夜との関係のように、親しく付き合うようになった。


「お嬢ちゃんあんたお名前は?」

「麻衣です」


「麻衣ちゃんか、可愛いお人形さん抱いとんな」

「このお人形さんね、亜未ちゃんにもらったの」


「麻衣はね、ここに来てからまだお友達がいないでしょ、だから家でこのお人形さんと遊んでるのよ」

「しょうがないよな、この辺は麻衣ちゃんくらいの子はおらへんよって、うちの子が行っとった保育園も無うなったしな」


「この子を保育園に入れたいと思ってたんですが、無くなったんですか?」

「保育園も昔はこの辺にようけあったんやで、今はどうなんかな。駅前の保育園のバスはよう見るけどな」


「通園バスが来てくれるなら団地外でもいいんですが」

「舞子の駅前にあったと思うで、目の前が舞子の浜やし、空気もええと思うな」


 麻衣は汐子が教えてくれた保育園に通うことになった。汐子がいう通り舞子海岸が目の前で、園児は毎日砂浜で遊んだ。


「麻衣、今日は楽しかった?」

「うん、凄く楽しかった。砂で遊んでねタコ焼きも食べたのよ」


「タコ焼きも食べたの、良かったわね」

「うん、凄く美味しかった」


「じゃあうちもたこ焼き器を買おうか」

「うんママのタコ焼きを食べたい」


「じゃあ道具を買って作り方も勉強しなくちゃ」

「向かいのおばちゃんに聞いたら?」


「そうね、おばちゃんに聞いてみようか」


「麻衣が保育園でタコ焼きを食べて、凄く美味しかったって言ってたわ」

「タコ焼き?そりゃアカン」


「タコ焼きってダメなんですか?」

「タコ焼きは大阪や、ここは明石焼きや」


「タコ焼きと明石焼きって違うんですか?」

「大阪のタコ焼きはバッチモンや、偽物や、明石焼きがほんまの玉子焼きや」


「明石ではタコ焼きを卵焼きって言うんですか?」

「違う違う、卵やのうて玉子や、玉のように丸いよって玉子焼きとも言うんや。

 あんたうちに遊びに来んか、うちがほんまの明石焼きを食わしたるわ」


 紀美子と麻衣は汐子の家に招かれ、汐子が作った明石焼きを食べた。

「どうや、美味しいやろ、これがほんまの明石焼きや」


 汐子が作った明石焼きは。紀美子が東京で食べたタコ焼きとは全然違った。

 玉のように丸いふわふわの明石焼きに、お汁を掛けて頂くのだが、これが大阪や東京で言うタコ焼きの元祖だという。


 501号の汐子の家の一部屋は春が画いた絵で埋まっていた。

「たくさん絵がありますね、どなたの絵ですか」

「息子の春が画いたもんや、今は美大の付属に行っとるよって、ここにはおらんけどな」


「息子さんは絵を勉強されてるんですね。私が住んでいた館ヶ丘団地の隣の人も、絵を画いているんですよ。私も1枚もらいました」


「さよか、今度見せてもらおうかな」


 ◇◇◇


 春と巌の今日の座学は贋作についてであった。

「この2枚を見てみろ、どっか変だと思わないか?、まあ生じゃなくて写真だから、分かりにくいとは思うけどな」


 教師が見せたのは、同じように見える2枚の絵であった。

「この2枚は、フランスのラブラートと言う画家が画いたと言わてるけど、本当はどっちも偽物だ。だけどどっちも本物だ、この意味分かるか?」


 生徒の中に、教師のいう意味が理解できたのは一人もいなかった。

「じゃあ分かり易くいうから、よく覚えとくように。特に学芸員志望はな」


 パリは世界中から芸術家が集まる街である。1920年代後半からパリのモンマルトルや、モンパルナスには、出身国も画風も違う画家たちが暮らしていた。

 彼らが活動した時代を「エコールドパリ」という。


 モジリアニ、シャガールなどに混じり、藤田嗣治や佐伯侑三、岡本太郎など日本人も多くいた。

 その中に滝川太郎という男がいた。

 滝川は画家であると同時に評論家としても活動し、日本から絵画を買い付けに来る画商や美術愛好家に、有名画家の絵を斡旋していた。


 滝川の勧めでルノアールなど、47点の絵画を買った久保貞次郎という富豪がいた。

 久保は1947年、読売新聞主催”泰西名画展”に、滝川の勧めで買った作品の中から20点の絵を出展した。

 しかし、硲伊之助という画家はこの絵に疑問を抱き、贋作の疑いの記事を朝日新聞に寄稿した。

 しかし真贋の決着がつかぬまま時が過ぎ、川崎市のデパートで開催された西洋美術展に藤山愛一郎という人物が、銀座の有名画廊で買ったルノアールの絵を出展した。

 ところがルノアールは盗難に合い。デパートの展示場から消えてしまった。


 藤山愛一郎は経済企画庁長官、外務大臣、日商会頭、などを歴任した政界、財界の大物であった。

 藤山は「発見された時は国立西洋美術館に寄贈する」と宣言し、捜査を依頼した。


 幸いにもルノアールは2か月後に発見され、約束通リルノアールは国立西洋美術館の所蔵となった。


 更に時は過ぎ1956年、神奈川近代美術展で「ほんもの・にせもの展」という催しが開催され、滝川太郎は自身が所蔵するラブラートの絵を2点出展した。


 作品にはそれぞれ ”本物” ”偽物” と書かれていた。見た人たちは偽物の精巧さに驚いた。もし逆の表示があったら信用したに違いない。


 ところが5年後。滝川太郎は「久保貞次郎に売った47点も、藤山愛一郎に売ったルノアールも、神奈川近代文学館に展示した2点も全部、自分が画いた偽物です」と白状した。

それどころか、「そもそもラブラートはあんな絵は画いていない、オレがラブラート風に画いたんだ」と言った。


 つまり、”ほんもの・にせもの展”の二つはどちらも滝川太郎が画き、自分が画いた本物に自分が偽物をを画いたのであった。

 そればかりか、銀座の有名画廊も読売新聞も川崎のデパートも、政界の大物も全部偽物に気付かず、大恥をかいた。これは昭和の時代に起きた、政財界をも巻き込んだ美術界最大の贋作事件であった。


「なあ春、滝川太郎は馬鹿なやつだな、黙っていれば誰も分かんなかったんだろ」

「そうやな」


「あいつは偽物を売ってなんぼ儲かったんかな」

「1億円くらいかな」


「もっとあるだろ、10億以上儲かったんじゃないか。羨ましいな」

「おい巌、お前まさか偽物を作ろうと思ってんじゃないやろな」


「馬鹿なこと言うな、オレは偽物なんか作らん、オレが作るのはもっとでっかいヤツだ」

「でっかいってどんなヤツや」


「とにかくでっかいヤツだ。それより腹減ったな。タコ焼き食って行かんか」

「タコ焼きだって?ありゃ偽物や、ほんまもんは明石焼きや」


「明石焼きだって?聞いたことないな、大阪も東京もタコ焼きだろ」

「じゃあ今度、うちに来んか。うちのお母ちゃんの明石焼きを食わしたるわ」


「ほんとか?行ってもいいんだな」

「よし今度の日曜日、明舞団地やで、忘れんといてな」











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