第10話 神奈川沖浪裏
志乃の母は、住んでいた落合にほど近い、椎名町の高島医院で受付の仕事を始めた。
この高島医院は、1948年に起きた帝銀事件で記事になったことがあった。
帝銀事件とは1948年1月26日、帝国銀行椎名町支店(現三井住友銀行)で青酸カリにより、12名が殺害され現金が奪われた事件である。
犯人とされたのは平沢忠通という画家だった。逮捕された平沢は犯行を否認したが死刑判決を受けた。しかし平沢は無罪を訴え続け、1989年95歳で獄中死した。
「先生私少し変ですね、この椅子に座ると妙な景色を感じます。どうしてでしょう」
「君は凄い感覚の持ち主だね。ボクはその机で亡くなった銀行の人たちの検死報告書を書いたんだよ」
「先生が報告書を書いたんですか」
「そうだよ、その机には犯人が画いた絵が無罪を訴えているのかもね」
「先生、私の主人も絵を画いていました。主人はその絵を持って海峡を渡る予定でした。主人はその後亡くなりましたが絵は今も残っています」
「人はいつかは死ぬものさ、医者のボクだって君だってね、でも絵は画いた人の代わりになって生き続けるのだよ。この絵もそうだよ」と言って高島は院長室の壁を指さした。
「これは佐伯侑三のロシアの人形と言う絵の複製だけど、生きているみたいでしょ、
佐伯はパリの街で人形を見つけ、その日のうちに画いて残したんだよ。自分の死期が近いことを知ってたんだね」
そのころ落合の聖母病院に、シーツなどを洗う係の木村という男がいた。
聖母病院は外国人患者が多く、施設のいたるところが外国人向けに造られていた。
ベッドは長身の外国人用に大き目にできていて、シーツも同様であった。
衛生基準も当時としては厳しかった。
木村は独身で毎日、新宿東口の三助という大衆食堂で食事をしていた
三助を経営していたのは富田という男で、戦前は新宿で米穀店を経営していた。
戦後は新宿東口に大衆食堂を開業し、困窮者が多かった新宿では比較的、裕福な暮らしをしていた。
富田の店に来る客には様々な前歴を持つ者がいた。その中の一人が木村だった。
木村は米軍基地内の病院でクリーニングの仕事をしていた。
木村は歳は若くなかったが、仕事には熱心な男だった。ある日その木村が富田に
「戸山町の病院跡に団地の計画があるんだが、オレは金がない、金さえあればクリーニング店を出せるのに」と言った。
聞くと木村は、立川の基地で働きながら英語を学び、今は聖母病院に勤めていると言った。
ちょうど1年前、東京都は戦後の住宅不足の解消のため、GHQから返還された旧陸軍病院跡地に戸山団地の建設を発表した。鉄筋コンクリート5階建ての近代的な住居と、商業棟が計画されていた。
商業棟の計画の中にはクリーニング店もあった。必要な器具類は全て建設者の東京都が用意し、クリーニング技術を持つ者なら、入居したその日から営業できた。
木村は米軍基地で近代的なクリーニング技術を学んだが、資金のめどが立っていなかった。
事業欲に旺盛だった富田は木村の保証人になることを約束した。
応募条件を満たしていたのは木村を含め、10人いた。
木村は惜しくも抽選に外れた。だが当選した男は商業棟の完成直前、脳梗塞で倒れた。
次点だったのが木村であった。
木村は戸山団地の客の他、それまで勤めていた聖母病院のクリーニングの委託を受けることとなった。
聖母病院に勤めていたころから人柄を認められていた木村に、外国人看護婦の一人が、付き合いがあった志乃の母を紹介した。
1年後、外国人看護婦と彼女の夫は、アメリカに帰国することになった。
志乃の母は木村と再婚し、看護婦夫婦の家を借りることになった。
志乃の父が画いた絵は、海を渡ることとなった。
◇◇◇
館ヶ丘団地の隆三は、高尾駅前にできたスーパー忠実屋に買い物に行った。
買い物は妻の小夜が行くことが多かったが、生憎マイカーの本田シビックは、修理工場にいた。それで今日は、会社の車を通勤にも使っていた隆三が買い物をすることになった。忠実屋は団地内のスーパー青山より大きく、レコード売り場もあった。
小夜から預かったメモを見ながら、買い物を終えた隆三は、2階に上がってみた。
そこはほとんどが婦人洋品売り場で、男の客は隆三一人だけだった。
隆三はレコード売り場に行くため女性用下着売り場を歩いた。なんとなく回りの女性に見られているようで、恥ずかしかった。
レコード売り場に来たのは特に目的があったのではなく、強いて言えば娘の亜未に、ピンクレディーのレコードを買おうかなと思ったくらいだった。
売り場を見ていると特価コーナーがあった。そこに8トラックのカセットと、クラシックのレコードがあった。隆三が乗っている会社の車のカーステレオは8トラックだった。そこで何か1枚買おうかなと思ったが、生憎ほとんどが演歌だった。
隆三のシビックのカーステレオは8トラックではなく、普通のカセットテープだった。
カセットテープには隆三が好きなCCR(クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル)があったが特価はなく全部定価販売だった。
買うのを諦めて帰ろうとしたが、また同じ女性用下着の中を通ることになると思うと、何も持たずに通るのにはためらいを感じた。運悪くその日は客が多かった。
やむを得ず、安い何かを買おうと思い、もう一度レコード売り場を見ると
東芝のクラシックレコードがあった。
東芝の30センチレコードは赤い色だった。他のメーカーは黒しかないので、東芝の赤いレコードは新鮮に見えた。
レジには若い女性がいた。隆三はクラシック音楽には知識はなかったけど、回りの女性、特にレジの女性の前で見栄を張り、適当に選んでレジに並んだ。
買ったレコードはかなり古い録音で、シャルル・ミンシュと言う人が指揮をする、ドビュッシーの海と言う曲だった。
家に帰りレコードを出してみると,中に葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」と言う絵が入っていた。
隆三は解説文を読み、ドビュッシーの要望で、この絵を初版の楽譜の表紙にしたことを知り、ヨーロッパでも日本画が人気が高いことに誇りを感じた。
妻の小夜は北斎へのオマージュとして、神奈川沖浪裏を油絵で模写した。
隆三の隣の802号室は桑水流という人で、桑水流の長女麻衣は、亜未と同じ団地内の尾崎産院で同じ年に生まれた。二人は良い遊び相手だった。
お互いの家を行き来しながら二人は成長した。亜未と麻衣が4歳の時桑水流は、努めていた山一証券の神戸支店に転勤が決まった。
別れの日、亜未と麻衣はお互いが大事にしていた人形を交換し合った。
亜未は麻衣に「ロシアの人形」を渡した。
小夜は桑水流の妻に、神奈川沖波裏の模写を渡した。
「ありがとう小夜さん、神戸に着いたらこの絵を明舞団地の壁に飾るわ」
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