第3話 戸山団地

 東京のど真ん中新宿に、戸山団地という都営住宅がある。

 目の前には環状5号線、通称明治通リがあり、北へ向かうと池袋、南へ向かうと渋谷があり、置かれた環境も素晴らしい。団地内に林があり、都心とは思えないほど静かである。このあたりは昔、尾張徳川藩の下屋敷があった所で、後に陸軍の病院と医療関係の研究機関となった。今も国立医療機構があり、当時の面影がみられる。他にも内閣府統計局など、国の重要な施設が多くある。


 こんな便利なところではあるが、現在は入居者の多くは老人世帯と外国人である。

 高度成長期に建てられた団地の多くは高齢化が進み、過疎化するいっぽうである。

 戸山団地もその例に漏れない。

 だが、かってこの団地に入居できるのは、宝くじに当たるほどの幸運に恵まれた者に限られた。


 入居l希望者は抽選に当たるまで、何度も何度も書類を出し続けた。

 だが抽選に当たれば、その子は親が亡くなっても住み続けることができた。

 居住権の世襲である。


 親が亡くなり子が残った場合、その配偶者となった者も幸運と言える。

 入居できるのは当然ながら都民に限られる。だが配偶者になるのに都民である必要はない。婚姻は両性の合意でのみで可能である。


 国谷隆司もこの団地に憧れた一人であった。

 隆司の父、隆太郎は北海道釧路市の太平洋炭鉱で働いていた。

 太平洋炭鉱は太平洋の海底にあり、良質な石炭を採掘して日本の産業に貢献した。

 また他の炭鉱が閉山する中で、日本のエネルギーを守り、石炭を掘り続けた、最後の炭鉱でもあった。


 鉱員は使命に燃え、閉山の日まで必死に働いた。

 炭鉱の労働は過酷である。採掘機は24時間休むことなく動き、鉱員は1番方、2番方、3番方と別れ、8時間ごとに鉱山に入った。

 すると深夜に出勤する者や、早朝に帰宅する者などがいて、通勤の都合上鉱員は社宅に住むのが普通であった。隆司の家も社宅に住んでいた。


 社宅は木造の長屋で、隣の家の会話が聞こえるほどの粗末な作りであった。

 ある日隆司が学校から帰ると「お母さんはいる?」と言って訪ねてきた人がいた。

「どっかへいったみたい、今はいないよ」と言うと「じゃあ、これ置いとくわね」と言って出て行った。

 彼女が持ってきたのは漬物だった。この地方ではそれぞれの家で漬物を作り、出来たら近所の家に配るのが習わしだった。


 数日後、今度はお返しの漬物を持っていった。

 すると「上がってかない?暇なんでしょ」と言われ、彼女の家に入った。

 彼女の家は隆司の家と同じ作りだが、ずっと綺麗に見えた。

 隆司の家にはない長椅子に二人並んで座った。


 凄くいい匂いがした。彼女は釧路教育大学という大学の学生で、普段は同じ釧路の街だけど、社宅とは20キロ以上離れたマンションに住んでいた。

 インスタントだけどコーヒーを出してくれた。


「私、絵を勉強してるの、今度見に来ない?」と言われ1週間後、末広町と言う繁華街にある彼女のマンションに行った。

 彼女が画いた絵はよく分からなかったけど、部屋が社宅とは比べものにならないくらい綺麗だった。インスタントでない本物のコーヒーと、ケーキを出してくれた。


 そしていろいろな画集を出して、説明してくれた。

 そして「絵の話をすると皆んな、ダビンチとかゴッホとか、昔の外国の画家のことを言うでしょ、でもそういう人は、現代の日本画家の作品を見たことがないのよ。

 パリで今一番人気がある画家は日本の 『三岸節子』と言う人よ」と教えてくれた。  


 中学三年生になって、修学旅行で東京に行くことになった。

 そのころダスターコートというものが流行っていた。詰襟の制服の上に着るとちょっと大人っぽく見えた。

 隆司は持っていなかったけど、他の男子生徒はみんな着ていた。

 母は「修学旅行に行くのだから仕方ないわね」と言って、丸三鶴屋と言うデパートで買ってもらった。


 自由行動の日、真新しいダスターコートを着て新宿東口へ行った。

 その日は歩行者天国という日で、道路の真ん中に丸いテーブルがたくさん置いてあった。

 そこに座っていると、ケチャップがいっぱい付いたホットドッグを持った持った3人組の女の子が「ここ、いい?」と言って座った。

 すると「うわぁケチャップ付いちゃった、どうしよう、クリーニングに出したばっかりなのに」と言い、去って行った。よく見ると、隆司のダスターコートにも真っ赤なケチャップがべったりと付いていた。


 母さんに怒られるな、どうしよう、と思っていたら、中年の女性が来て「これケチャップね、ケチャップはすぐに洗わないと落ちないのよ、うちなら落とせるけど」と言った。

 聞いてみるとその人は、戸山団地という所にクリーニング店を開いている人だった。

 そして「もし預けてくれたら明日の朝にはできるわよ」と言った。

 次の日も午前は自由行動だったので、彼女の店に預けることにした。

 翌日、書いてもらった地図を見ながら、新大久保駅から戸山団地に向かった。


 彼女が言った通リ、ケチャップはきれいに落ちていた。その上「東京のことを悪く思わないでね」と言い、お金も受け取らなかった。


 こんなにお世話になったのに、何もしないまま釧路の高校を卒業し、隆司は久我山にある電話器を作る岩﨑通信器と言う会社に組立工として就職した。岩崎通信器は電話器の他、コンピューター関連機器を作っていた。精密機器なので神経を使う仕事だったが一所懸命に働いた。努力が実り、工場長から金一封をもらった。


 安いお菓子を持って戸山団地のクリーニング店に行ってみた。あの人はいなかったが、娘と言う人がいた。彼女は。美術大学に通ってると言った。

 隆司は三岸節子のことを話してみた。

 すると彼女は目を丸くして、びっくりしたような顔で「驚いたわ、三岸節子を知ってる人に初めて合ったわ」と言った。そして「母は友達に会いに神戸に行ったわ、帰ったら言っとくわね」と言った。


 隆司は神戸には行ったことはないけど、釧路のマンションと、東京の団地と神戸が繋がってるような気がして、縁と言うものを感じた。そしていつかは今住んでいる狭いアパートを抜けだして、この団地に住みたいと思った。

 縁とは不思議なもので岩﨑通信器にパートタイマーとして働いていた女性が、戸山団地に住む人だということを知った。彼女は両親を亡くし、一人で戸山団地に住んでいた。二人の間は急速に近づいた。














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