傲慢である批評。その哄笑

ゴドリックの家は何というか、思ったよりもずっと、こじんまりとしていた。レベリオの住んでいたというあの古ぼけた家ほどではないにせよ、西洋建築の、木造2階建ての質素な家という雰囲気であった。しかもそこは町中ではなく、田舎町を更に山の方に入った、木々に囲まれた場所なのだから驚きである。



「意外だったかい?正直、このくらいが一番丁度いいのさ」


きぃぃ、とドアを開けると、奥からぱたぱた、と軽い足音を立てて誰かが駆けてくる音が聞こえる。部屋から出てきたのは、黒髪の端正な顔立ちをした女性であった。


「あらご主人、おかえりなさいませ」


俺は彼女を見た第一印象は、質素なメイド、ということだった。あの豚夫妻のところにいたメイドは華美というか、ワンピースに所々の膨らみや、レースの装飾が施されていた。しかしながら彼女の服装は、黒いワンピースに白いエプロン。色合いこそゴシック調であるが、無駄な装飾もなにもない、機能性に富んだものになっている。


「ただいま。エリスはいるかい?」

「ええ、お部屋で勉強をされております」


そこまで言ったところで、彼女は俺に目を移した。整った顔は、俺への怪訝そうな表情を見せる。


「ご主人、そこのお方は?もしかして、そちらが───」

「ああ、彼こそが新しいボディガード、ちゃんと魔人だよ」


ほら、挨拶をしてくれ。と背中を軽く叩かれる。


「あッ…えっっとその…ヨロシク?」

「本当に魔人が存在していたなんて…またご主人の冗談かと思いました。ええ、よろしくお願いいたします。私はクラリスとお呼びくださいませ。そちらのお名前は」


俺が名前を言おうとしたその時、ゴドリックがそれを遮った。


「名前はまだない、エリスに決めてもらおうと思ってね」

「俺は犬か?」

「似たようなものだろ?」

「そんなわけあるか!!俺だってちゃんと名前はある!!!!」


ばん、と胸を叩き、名乗りあげてやろうと思ったその時、手の中にあった何かがぽろりと落ちたような、それに似た感覚が起こった。

性格に言えば、俺の中に確かにあった、俺の名前という少なくとも大きな記憶が、全くくり抜かれ、そして消え失せた。言葉を失った俺に


「少なくとも名前というものは、今の君には無いよ」

とゴドリックが囁いた。

俺はそれに相当腹が立った。お前に何が分かるんだと、叫んで殴り飛ばしてやりたい気分だった。どうやら心までは服従しないらしい。

だが、俺はあえてこの気持を封じ込めておくことにした。いつか何倍にもして返してやるのだ。


ぐっと拳を握りしめた時、視界の隅で白いものが見えた。


「おやエリス様、お勉強はお済みで?お菓子を作りましたので、お茶の時間に致しましょう」

「ええありがとうクラリス。お父様、帰っていたのね」


絹のようなそれが靡く髪であると認識するのに数秒要した。まるで白磁のように繊細な光を帯びるように見える肌に、大きな瞳は赤みがかっている。小さな鼻と口、ワンピースの袖から見える細い腕。ゴドリックに勝るとも劣らない、いや、若さの分こちらの方が勝っていると言うべき容姿に魅せられない男はいないだろう。


「紹介しよう。娘のエリスだ。今年で16になる」

「え」


確かにお父様と、この少女は言ったが───いやこいつは何歳だ?


「ちなみに私はもうすぐで40になるし、この子はちゃんと私の血を継いでいる」

「お前妖怪かよ…」


そんなやり取りをしていると、エリスが怪訝そうな目でこちらを見上げてくる。


「お父様をお前と呼ぶ人なんて初めて見ました。そちらの方は?頭に面妖な被り物をしているのが気になりますが」

「彼こそが新しいボディガードさ。ちゃんと魔人だとも」


こんこん、と俺の頭を叩くゴドリック。くすぶっていた俺の中の怒りが再度、盛り上がりかけた。


「本当に…?またお父様の冗談かと思っていました」


この一家の大黒柱たる男は普段から碌でもない嘘ばかり吐いているのだろうと容易に察せられた。


「おっと、このまま玄関にいるのもおかしいね。早く中に入ろうか。クラリス、紅茶を淹れてくれるかい?久しぶりに家族でのお茶の時間にしよう」

「では、そちらのボディガードの方も」

「彼なら良い。魔人は何も食べず飲まずに動けるからね」


……こう、誰かに先んじて言われるとやはり何か、納得できないものがある。確かに喉が渇いたとか、そういう感覚が一切ないのはそうなのだが。というか魔人のことよく知ってるなこの男。

「エリス」

「うん?何かしら」

「彼の名前を考えておいてくれるかい?実はまだ名前が無いんだ」

「お恥ずかしながら、な」


うーん、と小さな顎に手を当てて、彼女は考え始めた。「候補はいくつかあるのだけど」


「じゃあ後で聞かせてもらおうじゃないか」


ゴドリックは満足そうに微笑んだ後、黒檀のコートスタンドにジャケットと帽子を掛けて、クラリスとエリスに続き、そのままダイニングに入っていった。



香ばしいバターの香り、そしてフルーティな紅茶の香りの中、俺だけはそれにお預けを食らっている。それに怒りを感じるような風流人ではない。しかし和気あいあいとした雰囲気に置き去りにされるのはよろしくない。普通に寂しい。


「ほら、そこで立ってないで座り給え。私のクッキーを一枚あげるから。クラリス、すまないが紅茶をもう一杯くれるかな?」

「はいはい、やはりご主人はそうおっしゃいますよね」


何なんだコイツは。俺はゴドリックの隣、そしてクラリスの向かいにある椅子に座り、そしてその目の前にどうぞ、と琥珀色の紅茶が出される。艷やかな表面に、山羊の骸骨がこちらを覗き込む。それが俺だと気づくのに一瞬遅れた。


「やっぱり魔人さんは」

「うん」

ゴドリックの相槌に

「悪魔みたいです」


エリスが何の躊躇いもなく、率直に俺に言った。なにか返事をしようにも口に含んだ紅茶がいろんな隙間から垂れないようにするのが精一杯である。ごくり、となんとかそれを飲み込み、しかし咳き込みながら


「悪魔…悪魔ってんなら…お前の親父のほうが似合ってると思うぞ!?」

「おかしなことを言う魔人ですね。お父様がそんな人間であるわけがないじゃないですか?」


おいおい冗談だろと思いながら彼女の赤く透き通った瞳を見ると何の濁りもない。心の底から父を尊敬しているという雰囲気だ。クラリスの方をちらりと見ると、『お察しください』と唇だけで言う。ゴドリックはと言うと目を瞑ってクッキーに舌鼓を打っている。知らん顔をするんじゃない。


「決めました。私は決めました。この魔人の名前を」

がたっと音を立て、エリスが立ち上がった。「おや、待っていたよ」と目を開けてゴドリックが頬杖をつく。クラリスも「楽しみですね」とクールな表情を崩さないながらも決して吝かでない様子である。


「はい、この魔人、悪い人では無さそうですが、人の道理を解していない。何よりも、お父様を悪魔と呼んだのです。これは良くない、ですよね?」

「ああ良くないとも。全くの心外だ」

「……はぁ…」


父娘のやり取りに際して、クラリスはそっとため息をついた。どちらかというとその目はゴドリックに向けられている。親バカも大概にしろという雰囲気だ。俺はもう、何も言わずに黙って彼女の判決を待つことにした。反論しても「アナタは何もわかってない!!」と反論を食らいそうである。


「なのでお返しに悪魔の名前をつけてあげます。“ドルマ”それが今からの、貴方の名前です。光栄に思ってください」

「ドルマ…そうかドルマか…アハハハハハハハ!!ドルマか!!」

ついに悪魔の名前をつけられてしまった。そして何だ?このゴドリックの、ひっくり返らんばかりの爆笑は。


「ええ、傲慢です。傲慢の悪魔です。父に悪魔と言い放つその傲慢を悔い改めて、日々を生きてください」

「…マジかよよりにもよって傲慢かよ…」

俺が謙虚であると主張するつもりもないが、まさか傲慢であるという評価を下されるとは思っていなかった。

そして、何よりもこれは俺の名前である。これから俺は『傲慢!』『おい傲慢!』と呼ばれながら生きていくのだ。心はそれなりに重くなる。バンバンバンと机を叩きながら響くゴドリックの爆笑がやけに、頭の中でエコーした。

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