第9話


12月に入ると、ケンからの営業のようなメールも、忙しいのか、来なくなった。


雅史もあれから、連絡もない。


「まぁちゃん、忙しいんやろか?メールくらい欲しいなぁ…」



昼間、髪をセットしながら、ひかるは、ひとり呟いた。


「そうや!あたしは嫁になるんやから、もう、遠慮なんかはいらんよね。あたしからメールしよう」


ひかるは、またもや、ひとり呟き、雅史にメールを打つ。



“ダーリン、忙しいのかな?来年からの相談もあるから、時間作って、来てください”



返事を待つ。


しかし、返事は来なかった。


忙しいのだろうと、ひかるは仕事へ出た。



そして、店が終わり、自分の部屋への帰り道…。


店では閉じっぱなしにしていた携帯を開く。


雅史からのメールの受信が1件あった。


“ひかる…ごめん…いままで言えなかった。俺、離婚できなかった。妻と子供から離れられない。いままで、本当にごめん”



え?


なんで?


どうして?


もう、離婚したって言ったやん。


うそだったの?


違うよね?


冗談だよね?



ひかるは、その場に座り込む。


信じられないメールの内容を目にして、気が遠くなりそうだった。


涙も出ずに、ただ呆然と携帯の画面を見つめていた。



どのくらいの時が経ったのだろう?



シトシトと降りだした雨にも気付かず、座り込んで動けない。



雨は激しくなり、身体中に打ち付ける。


携帯の画面も、雨の水に濡れ、灯りも消え暗くなっているのに、まだ、見つめ続けている。



雨で冷やされた身体の限界が近づき、目の前に出来た水溜まりに倒れ込む寸前に、巡回中の警察官に抱き抱えられた。



「どうしましたか!?大丈夫ですか!?」


警察官に、身体を激しく揺さぶられ、声を掛けられ、うつろな瞳で、制服姿を見つめた。


「大丈夫ですか!?こんな雨の中、座り込んでたら、命にさわりますよ!」


「……すみません…大丈夫です…」


ひかるは、警察官に支えられて、ヨロヨロと立ち上がる。


「大丈夫ですか!?家はどこですか!?送りますよ!」



「…すぐそこです…大丈夫です…ひとりで帰れます…」



「本当に大丈夫ですか?ちゃんと帰って身体暖めるのですよ。今の時期は、寒さが身体を壊します。命取りになりますよ」


ひかるは、警察官に会釈をすると、重たい足を引き摺って、部屋に向かった。



もう…えぇんや…死んだって、どうなったって、もう…えぇんや…。


ひかるは、そう呟きながら歩いた。


このまま、死んでしまおうと…。



激しい雨の中、ひかるは絶望に蝕まれて歩き始めた。


ヨロヨロとした足取り。


ひかるを見送る警察官が不安に思い、駆け寄りながら叫んだ。


「待ちなさい!家まで同行します!」


ひかるは、遠くでその言葉を聴いているかのごとく、声のする方へ振り向いた。


また、あのポリさんや…。


そう呟き、また、元へ向きを変え、歩き始める。


警察官が、ひかるを抱き止め、支えようと手を伸ばす。


その時、引き摺りながら歩いていた、ひかるの足は小さな石につまづき、警察官の手から、逃れるように、その場に転んだ。


「大丈夫ですか!?」



大丈夫としか、言わんのか?


大丈夫やあらへん…。


もう…大丈夫やあらへんのや…。



ひかるは警察官に支えられ、うつろな意識の中で、そう、呟いていた。




「あれ?あれ…ひかるちゃんじゃないか?」


偶然だった。


仕事を終え、彼氏と食事へ行った帰り道、車を運転していた、ひかると同じ店で働くお姉さんのあかねの彼氏が、警察官に支えられているひかるを発見した。



くるまをひかる達の脇へ停車し、あわてて2人は飛び出した。


「ひかる!!どうしたの?」


「知り合いか、身内の方ですか?」


警察官は現状の説明を簡単にした。


「ありがとうございました。ひかるはあたしが連れて帰ります」


警察官は、一応、ひかるとあかねの名前と連絡先を訊き、会釈をして立ち去った。


「ひかる、ひざから血がでてるじゃないの…とにかく、うちへ行こう」


あかねは、彼氏に手伝ってもらい、ひかるを車に押し込み、自分の部屋へとひかるを連れて帰った。


「今日はひかるを泊まらせるから…」


「うん、判った。いちお、俺は帰るけど大丈夫か?」


「大丈夫よ、ひかるはあたしが見てるから…」


あかねの彼氏に帰ってもらい、風呂へお湯を張り、ひかるの身体を暖めた。


風呂からあげると、着替えさせ、暖かいココアを淹れてくれる。


膝を消毒し、包帯を巻く。


あかねは微笑んだまま…。


ひかるは俯いたまま…。


それから2人は一緒の布団へ入った。


あかねはひかるに何も訊かなかった。


ただ、ひかるに寄り添い、ぽっりと言った。



「ひかるが傷ついたら、あたしも悲しいよ。ひかるがいなくなったら、あたしは悲しいよ…」


ひかるは、あかねの言葉で自分を取り戻し、あかねの胸で頷くと、声をあげて涙した…。



ひかるは、あかねの部屋で目覚めると、あかねは、すでに起きていて、ひかるに、淹れたてのコーヒーを運んできた。


「どうする?一度、部屋に戻る?それとも、このままここにいる?」


「おねえさん、ありがとう。部屋に帰ります。」


「そう?車で送るから、そのままで帰ればいいよ。今日は、お店、出れる?休むならあたしからママに言っとくよ」


「大丈夫です。もう、大丈夫ですから、店には出ます。服、借りときます」


「携帯…乾かしたら、また、使えるようになったみたいよ」


ひかるが寝ている間に、あかねは、ひかるの携帯を拭いて、ドライヤーで乾かしておいてくれた。


「何から何まで…すみません」


「何言ってんの?ひかるはあたしの妹みたいなもんだから、気にすること無いんだよ」


コーヒーを飲み終え、車でひかるの部屋まで送ってもらう。


その間、2人は黙ったままだった。



ひかるのマンションの入り口に車が着く。



「あかねおねぇさん…ホントにありがとう」


ドアを開こうとするひかるに、あかねは言った。


「今はまだ、自分でも考えがまとまらないみたいね…。何がどうなったか、あたしには判らないけど、話せるようになったら話してみて…。ひかるは、今まで、どんなことでも、ひとりで乗り越えて来た。ひかるの強さはあたしは知ってる。でも、あたしには、甘えてもいいんだからね…。大丈夫…。ひかるなら大丈夫だよ」


「うん…ホンマにありがとう…落ち着いたら、ねぇさんに聞いてもらいます」


「店…遅れんなよ。何かあったらすぐ連絡ちょうだいね」



部屋に入って、深呼吸をし、もう1度、雅史からのメールを読み返す。


そして、雅史の携帯に電話をする。


呼び出し音が聞こえる…。


呼び出し音が消え、電話に雅史が出たと思い、ひかるは口を開く。


『ひかるやけど…』


それと同時に受話口から、機械的な声が聞こえる。


『タダイマ電話ニ出ルコトガ出来マセン…ピーット鳴ッタラ…』


ひかるは電話を切り、メールを打つ。



“いきなり、メールであんなこと言われても、納得できません。会って話がしたいので、連絡下さい”


そう、メールを打つと、雅史からの連絡を待った。


1時間待っても、2時間待っても、雅史から電話もメールも来ない…。


スナックへの出勤時間が迫ってきた。


ひかるは、また、雅史に電話を掛けた。


受話口からは、話中のツーツーと言う音が聞こえるばかり…。


しばらく待って、また、掛け直す。


相変わらず話中…。


ひかるは気付いた…。


電話…拒否された…。


決定的な雅史の気持ちに、ひかるは、悲しみよりも、悔しさの涙を流したのだった…。

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