三十一、『仲間』と『味方』
ピイーと長い音で鳥が啼いた。
あばら屋の上空、高いところをぐるりと帆翔しているようだ。リッドは薄く開けた扉から友の顔を見た。その後方、ずっとずっと高いところに翼を大きく広げた鳥のシルエットが見えた。高く響き渡る鳴き声は、やがてヒョロロと震えるような音に変わる。
その音に気を取られて、彼が何と言ったか聞き逃した。
返事をできずにいると、友は呆れたような表情を見せる。
「呪いが解けたら仲間の顔を忘れてしまったか?」
皮肉交じりにそう言って中に入れろと求める。リッドは少し考えたが、結局彼を迎え入れるに至った。
何をしに来たかと問う前に、ドンと何かが床に置かれる。
「騒動を聞きつけてから慌てて用意させたんで足りるかはわからないがな」
それは荷物の詰め込まれた背嚢だった。リッドのものより一回り小さいくらいだが数日分の旅道具を入れるには十分だった。
「騒動を聞きつけてからだって?」
リッドは思わず口の端を上げた。
嫌な表情をしているなと自分でも感じた。
「君はあの場にいなかったのか?」
「業務が立て込んでいてな」
どうして嘘を吐くのか。
「その割にはずいぶんと動きが速いじゃないか」
「お前の窮地とあらば何を差し置いても駆けつけるさ。それに――」
ラパスはユイルに視線を向けた。「これが、」と噛みしめるようにユイルを眺める。その言葉のあとに何と続けようとしたのだろうか。
明らかにしないままラパスはユイルに会釈した。
ユイルもぎこちない挨拶を返す。そうしてからリッドとラパスの間で二度ほど視線を往復させた。
「彼と会うのは初めてだったね」
リッドは、彼こそが更新審査の調査を依頼した人間で、自分と同じ国の出身者だと言った。
「じゃあ、この人が」
「僕とは相容れない、ねっとり派の筆頭だ。ついでに言うと、君の着ているその服を貸してくれた人でもある」
ラパスが「どうも」と微笑む。
「あなたと同じ国の出身ということは、彼も……」
「俺は
軽い調子で言うラパス。
一方でリッドが警戒を解こうとしないのを見てユイルが眉をひそめた。
「味方、ではないの?」
言葉を選んだ結果そうなったらしい。
「さあ、どうだろう。なんたって、誰にも教えていないこの場所を嗅ぎつけてきたくらいだからね」
リッドは言ってラパスを見遣った。
「鼻が利くのはお前の一族だけじゃないだろ」
「他にも国の者がいるのか?」
「ウルソとジャバリーがいる」
耳馴染みのない、しかし聞き覚えのある響きを頼りにリッドは記憶をたどった。そういえば、ラパスと親しくしていた若者にそんな名前の男たちがいたような覚えがある。
「薄情なやつだな。俺たちとともにこっちの大陸に渡ってきたじゃないか」
「……ああ、彼らか。ようやく思い出したよ。外にいるのがそうかい?」
「そうだ。一応見張りと警護の役目をな。俺はお前たち一族と違って腕っ節が強いわけではないからな」
リッドは外にいるらしい二人の顔を思い浮かべて「なるほど」と頷いた。彼らは確かに腕っ節も強いし優れた嗅覚の持ち主でもある。
なるほどなるほどと頷いていたが、リッドは途中でそれをやめた。
「どうして教えてくれなかったんだろうか」
すぐには思い出せない関係だとしても、同郷の者がファブールにいるというのであれば、もっと早くに教えてくれてもいいものだ。先ほどの嘘のあとでは、何か良からぬ理由があるのではと勘ぐってしまう。
それすらも見越していたのだろう。
ラパスは顔色一つ変えず、あっという間に話をすり替えてしまった。
「そんなにゆっくり話している場合ではないぞ。迷いの森に焼討ち命令が出たとかでさっきの隊が準備を進めている」
不安を煽るような物言いをして、リッドに向けていた視線をユイルへと移す。
ラパスの言葉にリッドとユイルは顔を見合わせた。ユイルの口から「そんな」と悲痛な声が漏れる。
「それでその荷物か」
「お前の荷物もあるし、とりあえずこれだけあれば国を出るくらい何とかなるだろう」
「でも私はまだ街のみんなと話を――」
ユイルが二人の間に割って入る。
ラパスは彼女の顔をちらりと見たあと、困ったような顔をしてため息をこぼした。言いづらいことをこれから言うぞと、わざとためをつくったように見えた。
「ファブールの民に共存できないかと呼びかけたそうだな」
ええ、とユイルは返す。
「彼らは君を受け入れたか?」
「それは……」
ユイルは答えに詰まって表情を濁らす。
「でもまだしっかりと話をできていないだけよ。ちゃんと話せばきっとみんなわかってくれるわ」
ユイルが詰め寄るように言う。
しかしラパスはその熱量には応えず、極めて冷静にユイルの言葉を否定した。
「彼らはもう答えを出したよ」
その言葉の意味を、リッドもユイルもすぐには飲み込めなかった。
わずかに続いた沈黙。
呼吸まで止まってしまったかのように、ユイルの体はぴたりと静止した。
「答え、って?」
そう発したことをきっかけに、彼女は動きを取り戻す。どういうことかと問いながら、リッドとラパスの間を行き来した。
ちょうどユイルとリッドが向き合ったときだった。
「その荷物で察してくれよ。俺だってこんな悲しいことは皆まで言いたくはないものさ」
ラパスが言うのが早かったか。それともリッドの視線が動くのが先だったか。
図らずも二人がともに示す形となった旅の荷物を見つめてユイルは顔を歪めた。
魔女討伐と森の焼討ち命令が出たという情報が民衆の耳に入ると、彼らは間もなくして動いたそうだ。
ファブールの王都シャルムに住む者の多くが荒々しく声を上げながら魔女の森に向かった。手には松明と武器を持っていたという。
「まさか森を焼く気か」
なんて馬鹿なことをとリッドは言った。
その隣りでユイルの顔が青ざめる。
「……私、行かなくちゃ」
リッドの腕を掴み言う。
しかし、
「やがて軍が追いついて加勢する。二百年前とは火力が違うぞ。魔女だろうが迷いの森だろうが、どうにもならないだろう」
ラパスが言い聞かせる。
「何と言われようと私は行くわ」
ユイルはきゅっと唇を結んでラパスを睨みつけた。
ラパスはリッドの顔色をうかがう。視線がこちらを向いたその隙に、ユイルはラパスの脇をすっとすり抜けた。ラパスの手がのびはしたが彼女を捕らえようとはしない。
ユイルは事もなく脱出に成功した。
「ユイル!」
慌ててあとを追い外に出る。
すぐ近くに繋いであった三頭の馬がリッドの姿を見て暴れ出す。二人の青年が手綱を強引に引いた。馬の様子を確かめながらも、飛び出して来たユイルが何をしようとしているのか目を凝らし見張っている。
先に手の空いた青年が身構えた。
何かの体術の構えだろうか。
捕まえるためのものなのか、傷をつけるためのものなか。いずれにせよ、身構えこそすれ手を出す気配はない。
「やあ、元気だったかい」
底の見えぬ泉に石を投げ込む感覚でリッドは声をかけた。
彼らはどうするべきかと戸惑ったようだ。律儀に一礼したあと、それぞれの動作に戻る。頬のこけた神経質そうな男は馬もリッドも相棒に任せユイルだけに注意を向けていた。
「ユイル、どうするつもりだい」
リッドは呼びかけた。
男たちに動きはない。
「言ったでしょ。私は森に向かうわ。あなたは来ても来なくても構わない」
「構わないって、君一人でどうやって行くつもり――」
「借りるわ!」
リッドが言い終えるより先にユイルが魔法陣を描く。
二人の見張りとリッドは何が起きるのかと、ユイルと辺りとを看視するしかなかった。
ユイルが使ったのは影を借りる魔法だった。初めて会ったあの夜、彼女が連れていた影の色をした馬と小人。それを生成する魔法を今使ったのだ。
鼻息を荒くしていた一頭がぴたりと動きを止めた。
その馬の足もとにある真っ黒な影が
それは二・三度瞬きをする間の出来事だった。
馬の形となって現れた影は、脚の先が地面から分離するや否や、軽快な歩みでユイルのまわりを一周した。
いい子ねとユイルが黒い影の頸を撫でる。間を開けず、腰に付けていた採霊管を手に取った。緑色の石。風の精霊石だ。
風の力を借りてふわりと体を浮かせる。
魔法で起こした風を鐙の代わりにして体を持ち上げるとユイルは馬の背にしっかり跨がった。
「走って!」
ユイルのかけ声が響く。
真っ黒な影は高く鳴いた。
鳴き声に、大地を蹴る音が重なった。ユイルを乗せた黒い馬は颯爽と駆け出した。
「追いますか?」
馬を押さえていた男がリッドの後方に向かって声を投げる。
「いや、いい」
遅れて外に出たラパスが二人にとどまるように命じた。何にも動じないその冷静さが今はやけに鼻につく。
「どこまでが君の思惑通りだ? このあとどうなるのが君の願いだ?」
リッドは友に視線をぶつけた。
何のことだと、予想通りの答えが返ってくる。彼にとってはこのやりとりさえも事前に思い描いていたものなのかもしれない。
しかし彼でも読み違えることがあるようだ。
「それよりも後を追わなくていいのか? 彼女の大事な森を守るのに手助けが必要だろ」
その発言を聞いてリッドは自分の口の端がにぃと上がったように感じた。実際上がっていたのだと思う。その顔の動きがラパスに与えた印象は、リッドの心の動きとはまったく異なるものだった。
上がった口角。そのせいで鋭い牙がわずかにのぞく。彼はそれを敵意を剥き出しにした顔だと見たようだ。
しかしリッドは笑んだのだった。
「彼女が飛び出した理由は森を守るためじゃないよ。……それもあるだろうけど、それ以上に大きな理由が彼女にはあるんだ」
「どういうことだ」
「ユイルはファブールの魔女だということさ」
リッドは言って駆け出した。
「やはりもとの姿だと速いな」
すっかり遠くなったリッドの姿を眺め目を細めた。
「我々はどうしますか?」
「予定通りに?」
ウルソとジャバリーが立て続けに尋ねる。
ラパスは無言のまま頷いた。
「馬はどうします? 魔女のせいで一頭が使い物にならなくなりました」
そう言って影を失った一頭を指す。鼓動は感じるが、その場に土に縫い付けられたかのように微動だにしない。
「俺はお前たちと違ってこれがあるから構わない。さあ、行ってくれ」
ラパスは自分の背中を指した。そこには何もなかったが、三人には同じものが見えていた。大きく長く広げられた裂翼。彼の本来の姿にはそれがある。
二人は頷いて馬に跨がった。
それでは、と断り駆け出す。
「さて」
ラパスは空を見上げた。
西日へと変わりつつある頃合いだが、空の青はまだ力強く青い。その青の上に美しい円
を描く猛禽がいる。
高らかに啼き声を響かせて、風に乗る。
その体が一瞬ふわっと、止まったように見えた。
かと思うとその大きな鳥は、急降下してラパスの目前へと迫り来る。すぐ横をすり抜けて背後に降り立ったようだ。バサッと大きな翼を羽ばたかせる音がした。
「さすがだな」
声をかけられてラパスはうしろを振り返った。両腕が大きな翼になっている
「閣下のお力だよ」
「だけど仕組んだのはお前だろ」
「まあな。偉大な王になってもらうんだ。これくらいの逸話はいつか必要になるだろ」
ラパスは口もとを緩ませた。獣人からも笑い声のような息が漏れたようだが、ギョロリとした眼と大きな嘴ではいまいち表情が読み取れない。
しかしそれはこの場合においては有り難いことでもあった。
「それじゃあこちらも予定通りに」
獣人はそう言ってふたたび空に飛び立とうと翼を広げた。
「頼んだぞ。……お前の命、我らが王のために捧げてくれ」
言葉に詰まった一瞬を彼は見逃さなかった。今度ははっきり笑っているとわかる息づかいでラパスをからかう。
「おいおい、なんて顔してやがる。間違っても『悪いな』なんて言ってくれるなよ。俺たちはそのためにいるのだから」
言ってラパスの肩をトンと叩いた。
「ああ。わかっている」
ラパスは微笑んだ。
それじゃあと別れの挨拶を交し、彼は空へと戻った。
彼が去った青い空をラパスはしばらく見上げていた。
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