二十七、魔女と民衆
じりじりと兵らは間合いを詰める。
陣が描く円の径は次第に狭まる。
広場にいた観衆はその円の外に次々にはじき出され、ユイルを取り囲む列の最前列はやがて民衆から兵へと完全に入れ替わった。
近い距離に揃ってみれば、三十人ほどの兵の中に一人出で立ちの異なるものがあった。
豪華な鎧に飾りのついた細身の刀剣。実戦用というよりは儀礼用に見える。
その細剣を鞘から抜くなり、切っ先を真っ直ぐユイルに向けた。険しい表情。しかし笑みが漏れるのを堪えたように右の口角がぴくりとこわばった。
まさか本当に現れるとは――そんな独り言を漏らしたようにリッドには聞こえた。
「今日この場に魔女が現れるやもしれぬと情報があった。それで警備を強化してみれば、まさしくその通り。調合屋ユイル。そなたが迷いの森に棲む魔女だというのなら、我らはそなたを成敗せねばならぬ!」
兵隊長らしき男が声を張り上げた。
ラパスが何か仕掛けたか、とリッドは唇を噛んだ。
やはり彼は気づいていたのだろうか。しかしだとすれば、どうしてこのタイミングで仕掛けてきたのか。この場であることに何か意味があるのか。
何にせよ、この状況はまずい。
リッドが密告したのだと疑われてもおかしくない。むしろ他に誰を疑うと言うのか。リッドならば真っ先に友の顔を思い浮かべるが、ユイルにとっては、彼女とリッドの二人しか思いつく者がいないのだ。
ユイルがちらっと視線を向けた。
リッドは身振り手振りで「僕じゃない!」と訴える。伝わったのか、それとも信じてくれているのか、ユイルは睨むでもなく悲しむでもなく、ただ頷いて視線を戻した。
会場は混乱の渦に飲み込まれていた。
先程の兵隊長の演説はユイルに向けただけでなく、その場にいた民衆の不安を煽るためのものでもあったようだ。
迷いの森。魔女の生き残り。それを成敗しなければならないとは何故か。
「私も数日前に聞かされたばかりだが」
兵隊長はそう前置きした上で、この国の歴史から消された二百年前の悲劇を語った。
しかしそれはユイルに教えてもらったものとは異なる。
人々を先導し国の乗っ取りを企てた魔女たち。
その魔女らから国と国民を守るために戦ったファブールの王様。
多くの犠牲を出しながらも悪しき魔女を討ち果たしたが、魔女の呪いがかけられた迷いの森だけはどうにもならず残ってしまった。
森が残ったように、魔女への信仰も少なからず残った。
このままではまたいつかファブールに魔女が舞い戻り悲劇が繰り返される――と次代の王は恐れ、国中から魔女に関わるものを排除した。魔女との争いの記録すらもファブールの歴史から消し去られることとなった。
と、そのようなことが語られリッドは思わず嗤ってしまった。
「僕の知っているのとは違うみたいだけど」
もしかしたらユイルの方が嘘をついているのかもしれない。その可能性は排除しきれない。
「だけど、悲劇を繰り返したくないというのなら、僕なら消さずに語り継ぐけどね」
独り言のつもりだったのだが、まわりにいた数人がリッドの言葉を拾って「それもそうだ」と囁き出した。
「二百年前といえばどなたの代だ?」
「ロゥン王かアンテレ王か?」
「いや、二百年前なら確かマレーズ王――」
「それって『臆病マレーズ』のことか?」
「臆病マレーズ、かあ。だとすると魔女と戦ったという話は怪しくなってくるなあ」
腰の曲がった老人たちが言って首を傾げる。自分たちが伝え聞くマレーズ王の話と兵隊長の話とでは人物像が一致しないようだ。
老人たちと同じようににわかには信じがたいと思ったものが、他にどれくらいいただろう。ファブールの民の多くはどちらにもつかないというスタンスでその場に留まっていた。あまりに突然だったので困惑するしかなく、嘘か真か判断するまでには至らないようだった。
しかし兵隊長にとってはそれで十分なのだ。わずかでもそこに疑る心がありさえすれば、増幅させることは難しいことではない。
広場のあちこちに異様な興奮が起きていた。
兵隊長はそれを利用した。
「彼方の大陸では魔女の侵攻を受け幾つかの国が滅びたと聞く。魔女よ、長い年月を経て今またこのファブールに姿を現した理由は何か。そなたの目的は何か!」
不安を煽るような台詞。
兵隊長は細剣を降ろさぬままユイルを問い詰める。
「私は――!」
ユイルは言いかけてやめた。
かなり語気が強くなったその言葉をぐっと飲み込んで、深く息を吸い込む。
その途中、視線は手首にかけた花の輪をとらえる。感情的になってはいけないと自分に言い聞かせているようだ。
いいぞ、とリッドは心の内で頷いた。
しかしこの状況をどう挽回するか。
今ここでユイルが知る真実を述べたところで、いったいどれだけの人間が信じるか。どちらが真実であるかわからぬ場合、人はどちらを信じようとするものか。
肩書きのあるものと、得体の知れぬものと。
「まあ、分が悪いよなあ」
リッドは言って周囲を見渡した。
近くにはサージュ、少し離れたところにはマルシャンやオネットら商人たちがいた。
あの日シャルムの街中でユイルを歓迎した彼らでさえも、驚きに少しの恐怖が混じったような面持ちでユイルと兵らのやりとりに耳を澄ませているだけだ。
誰も明確には味方になってくれない。
そんなことはいくらでも想像できただろう。だというのにユイルは今日この日に自分が魔女であることを打ち明けた。
きっと、あの日みんなに会わせたせいだとリッドは思った。
「いつか夢を叶えたいとは言ったけれど、ちょっと急すぎやしないか」
あまりにも無謀な行動に自棄にでもなったかと心配したが、思えばユイルはいつだって本気だった。
彼女は信念に従って動いている。
だからこそ、ひどい作り話で自分が悪者に仕立て上げられそうになっても堂々と胸を張り立っていられるのだろう。
「あなたの話したことは真実でないと、ここで言ったところで誰も耳を傾けてはくれないでしょう。あの日のことを見聞きして今もしかと覚えているのは、もう私だけなのだから」
ユイルは強く言った。言葉の強さとは裏腹に、瞳の奥には悲しげな気配があった。
「だけど、これだけは言わなければいけない。私はこの国で生まれ、この国で育った。あなた方はすっかり忘れてしまったけれど、私だけじゃなく大勢の魔女がこの国にいて、あなたたちファブールの民とともに生きていた」
ユイルの声に次第に力がこもる。
「私の目的? そんなのただひとつよ。私はただファブールの魔女として、生まれ育ったこの国で、この街で、以前のように暮らしたい。あなたたちと生きていきたい。……それだけよ」
ユイルの声が、しんと静まり返った広場に響いた。
人々は隣同士で顔を見合わせ、互いの腹の内を探り合う。
正解はどこにあるか。自分たちはどう声を上げるべきか。どうすればあとあと困らないだろうか――そういうことを考えている顔に見えた。
そんな大人たちの中で、幼い子どもの声が広場のどこかで弾けた。
「おくすりつくるおねえさん、どうしていじめられてるの? なにかわるいことしたの?」
聞き覚えのある声と話し方。きっと花冠をくれたあの女の子だろう。
声量の加減も場の空気も知らない幼子は、そばにいた母親に問いかけるには少々大きすぎるくらいの声を発した。
その問いかけは広場にいたすべての大人たちへの問いかけのようだった。
ざわっと広場が騒がしくなった。
ただ困惑していただけの者たちが、どちらかに傾こうとする。
それを阻むべく、兵らが動く。
「今また魔女が人心をたぶらかそうとしているぞ!」
兵の一人が叫ぶと陣のうちの何人かがユイルではなく民衆へと武器を向けた。ギャアっと悲鳴が上がる。実際に誰かが傷ついたわけではない。しかし民衆はすっかり怯え、兵の前に沈黙する。
ユイルに助け船を出す者はいなくなった。
「観念しろ、悪しき魔女の生き残りめ!」
兵隊長が細剣を持つ手を振るった。
その動きと言葉を合図に、兵の多くがいっそう間合いを詰める。
ユイルは腰にくくりつけた採霊管の表面を指でコツンと弾いた。中の精霊石が淡く光を放ったように見えた。朝露の滴のように、青い精霊石がきらめいた。
ユイルの体を支えていた風の束は、水流へと変化した。螺旋を描きユイルの体の縁を撫でるように駆け上がった水の流れは、高く昇るとあるところで天井を迎えたかのように向きを変え、一気に兵たちの頭上へと降り注ぐ。水圧で手に持つ武器を打ち落とし足を払い平伏させた。
水量と勢いは荒れ狂う大河のようであった。
飲まれまいと藻掻く兵。巻き込まれまいと逃げだそうとする民衆。
誰彼構わず攻撃するなんてやっぱり悪者じゃないか、と誰かが言った。
賛同する声が少なからず聞こえた。
その中でリッドは白々しく声をあげた。
「あれえ? 兵は怪我をしていないみたいだし、僕らのところまで水は来ないようだぞー」
自分でもひどい棒読みだと思った。
しかしそれでも効果はあったようだ。
たしかにたしかにと、次々に声が上がる。
「悪しき魔女ではないのか?」
誰かが言ったその言葉にユイルは答えた。
「この国の魔女は誰も傷つけようとしていないわ。今も、二百年前もずっと!」
それでも疑る声が聞こえる。
ユイルはなおも続けて、その場にいた一人一人の顔を順に見つめた。
「この場で魔法を使ったのは、魔女の力が国のためになると証明するためよ。水を操り風を生み、時には火を熾し災いからあなたたちを守ってみせると。二百年前の悲しいできごとが起きる前、魔女とあなたたちの祖先がそうしていたように、今また互いに手を取り合いともに生きていくことはできませんか!」
「黙れ!」
兵が槍を突き出した。
避けきれず、一線の傷がユイルの頬に走る。浅い傷。しかし血の気の多いものたちが「やれ!」と拳を突き上げる。
別の兵士が剣を振りかざす。
ユイルは風で払い、水で武器を絡め取る。
奪い取った武器で次の攻撃を受け、躱し、次の攻撃へと備え構える。
演舞のように繰り広げられる攻防に、人々の興奮が増した。こうなってしまっては、どちらかが屈するまでおさまらないだろう。
「仕方ないな」
リッドは言ってサージュを探した。動いたのはリッドの方でサージュはいわば置いてきぼりを食ったようなものだったから、元いた場所に戻ってみれば当たり前のようにそこにいて立ちつくしていた。
「リッド、いったいどうなってんだい。あんたは全部知って――」
「話はあと……いや、機会があれば、かな。今はとりあえずこれを持っていてくれないか?」
背負っていた大荷物をどさりと下ろす。
「どこに行くんだい? いったい何をする気だい?」
「ちょっと答え合わせをしに行ってくるよ」
騒々しく声が飛び交う中、サージュに届いたかどうかなど確かめなかった。
言い終える前に背中を向け、リッドはユイルのもとへと向かった。
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