第二章 ファブールの魔女
六、迷いの森の魔女、と肉
少女の身長よりも遙か高くそびえる本棚には、上から下まで、右の端から左の端まで、びっしりと本が詰め込まれていた。
感心しながら見回すリッドは体勢を変えたところで「あいたたた」と腰やら尻やらをさすった。
「情けない」
ユイルがぼそっと言う。冷たい視線のおまけ付だ。
「あの揺れを吸収できるほど僕は肉付きがよくないんだよ」
乗用ではない馬車の乗り心地というものは最悪だった。御者台に余裕があったのだからそちらに乗せてくれればいいのに、ユイルはそれを許してはくれなかった。
影の小人たちと馬車に揺られ連れてこられたのは、王都シャルムから少し離れた森の中。迷いの森と呼ばれている場所だった。
その森の奥深くにユイルの住処はある。
家の中に通された時には全身が軋み悲鳴を上げていた。
「それは、私にはその肉が充分付いていると言いたいのかしら?」
「そんなつもりは……。第一、充分なんて言葉は使っていないし、充分っていうのがどれくらいかも見当がつかないし。まあ、それくらいついていたら少しは楽だったのかなとは思ったりもするけれど」
ついついとあるところに視線を向けてしまうと、ユイルの顔は怒りを通り越して哀れむような表情になった。
「申し訳ない」
「オンボロなんだもの、御者席だって大差ないわ。私はこの子たちに守ってもらっただけよ」
そう言って手の上に乗せていた小人たちをそっとテーブルの上に移した。
『この子たち』は同じ方向へ向かって駆けていく。壁をよじ登り棚から棚へと跳び移り、戸棚の上にたどり着いた。そこには何体もの木彫りの人形が並んでいた。
『この子たち』はその人形の前でそれぞれ立ち止まると、時間を早めたろうそくのようにどろりと溶け落ち足もとに溜まった。それは棚の天板の木目に染みて、そのまま人形の影となる。それが小人たちのもとの姿なのだとユイルは教えてくれた。
その様子に感心しながら、しかしリッドは眉をしかめた。
「守ってもらったっていうのはお尻をということ? それは役得――」
「お尻の話はもういいから」
少女はふうっとため息をこぼした。あきれ返っているようだった。
しかしその顔の奥に潜んでいるのは、不信感と警戒心。ぴりぴりとした空気は凜とした立ち姿には似合っているが、綺麗な顔立ちの魅力を半減させている。
そんなことを伝えたら余計に怒らせるだろうかと考えていると、ユイルはぐっと眉間の皺を深くした。
「あなたは何者なの?」
静かな声でそう尋ねた。
「だから王室御用達の更新審査のための調査を任されているしがない調査員ですって」
おどけて見せるがユイルの表情は変わらない。
「どうして平気なの?」
「くたくただよ」
あらためて腰をさすりあくびもつけ加えた。
「あくまでとぼけるというのね」
「とぼけるも何も」
「誰から私の情報を?」
「雑貨屋のマルシャンだよ。君が薬を卸している」
「そうじゃない。私が魔女だということをあなたは知っていたのでしょ」
「まさか。君の姿を見るまで考えもしなかった」
「私が名乗るまでとは言わないのね」
キッと、目つきがより厳しくなった。
リッドはまいったなと頭をかく。
部屋の中に張りめぐらされたロープにぶら下げた花束や小枝の束を興味深そうに眺めながら口もとを緩ませた。
「僕はたくさんの国をまわっていろんなものを見聞きしてきたから、この国の人よりは少しだけ物知りなんだ」
他の場所で魔女を見かけることもあったし、魔女を国の象徴として崇めている国に行ったこともあった。
「そういうわけだから、あの不思議な霧や影を『魔女』と結びつけるのは、そんなにおかしなことでもないと思うけど?」
「それでも普通は『魔女』だとは思わないはずよ」
「そうだね。あんなにコソコソしている魔女は見たことがないから疑いはしたよ」
冗談っぽく続けてみせたが、どうにも反応は芳しくない。険しい表情は変えず、さあ白状しろと言わんばかりに迫るユイル。
リッドは観念して真面目な態度に切り替える。
「それはつまり、ここがファブールだから、ということを言っているのかな?」
リッドが言うと少女はふうっと息を吐いた。
なんとも複雑な表情を浮かべている。ようやくその一言を言わせたという満足と、はぐらかされていたことをあらためて認識しての、不機嫌。「なんだ、やっぱりわかっているじゃない」と言ってからふいと視線をそらした。
「私だけよ」
味気なく、さらっと言った。
あえて感情らしい感情を込めなかったようにも聞こえた。
「生き残りが、ということ?」
彼女が名乗ったときのことを思い出し、その台詞をなぞった。
「そう。今もこの国で生きている魔女は私だけ。みんな、いなくなっちゃった」
ユイルは壁に飾られた絵を見つめた。
大小様々な額縁に納められた人々の肖像。かつてこの国にあった魔女たちの姿だという。
リッドはそれを一つずつ、数えながら順に眺めてみたが途中でやめてしまった。いなくなってしまったという魔女の肖像は、部屋の南側の壁一面をびっしり埋めるほどだった。
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