五、白と黒の夜
倉庫は店よりもさらに大通りから離れた通りにあった。
ここまで来ると家と家との間隔はそれほど混み合ってはいなくて、木箱や樽をその辺に積んでおけるような余裕も生まれる。
そこにはリッド一人が体を隠すのに申し分ないスペースがあった。
店主の話によると、倉庫に隠した売り上げは二、三日のうちに必ず回収されるのだという。
そうわかっていながら一度も待ち伏せしてみようとしなかったあたり、きっと店主はお人好しなのだろうと思う。
しかし店主はそうだとしても、どこからも目撃証言が出ないというのはおかしなことだ。
一度に納品される薬の量はけっして少なくないし、少女側からの注文で大量の木材なんかを用意したこともあるという。人の手で――ましてや少女の腕力だけで運ぶには無理がある。だとすれば荷車や役畜か。どちらにせよ、足もとの石畳を見れば車輪だろうが蹄だろうが、夜中にひっそりとというのは不可能に思えた。
「それでも納品は行われるっていうんだから、まあ、待ってみないといけないんだろうなあ」
リッドはひとり言って肩をすくめた。
夕焼けが落ち着き、夜の色がしっかりと濃くなってから夜が明けるまでが待ち伏せの時間だ。
一日目は来なかった。
二日目も、気配すらなく。
三日目に近所の人に不審者扱いされるという騒動があったので、待ち伏せしていることを少女に気づかれたのではないかと不安になった。
四日目。
向かいの家、二階の窓からもれていたランプの明かりがいつの間にか消えていた。それを見つけてリッドはあくびをかみ殺す。
目尻の涙を拭い、スンと鼻をすすると夜の空気と一緒におかしな匂いが鼻腔を通った。
まだ遠い。しかしこちらに近づいてくる気配がある。
覚えのある匂いだと思ったところでリッドは慌てて口もとを覆った。
くらっと眠気のようなものが襲い、気を失いそうになったのだ。
厚手の布を口に当て、耳を澄ます。
車輪の軋む音。石畳を蹴る音。リズムからして馬車のもので間違いない。郊外の悪路を進むようにゆっくりと近づいてくる。その音の主を先導するように、辺りには霧が流れ込んできた。
おかしな霧だった。
頬にあたる空気の湿り気は変わらないのに、通りを埋め尽くす白い色はたしかに広がっていった。
息を殺し、目を細め、霧の奥にあるものをじっと見つめた。
しばらくは音と霧しか見当たらなかった。
三度浅く息を吸ったところで、深い霧の中に黒い色が滲んだ。夜の黒よりずっとずっと暗い、影。
その影はやがて輪郭をあらわにする。
そこでようやく音と姿が一致したのだが、リッドはその姿に思わず声を上げそうになった。
馬車には違いない。しかし木箱を積んだ荷台を引く馬はどんなに近づいても真っ黒な影のままだった。全身を黒一色で塗りつぶされたような馬が慎重な足取りで通りを進んでいる。
馬車はリッドが隠れる木箱のすぐそばまで来て止まった。
御者台から、やはり真っ黒な影がのそっと降りる。
しかしこちらは『影』ではなさそうだ。
全身黒くはあるが、月の明かりがうっすら照らせば、ところどころに白くやわらかな肌が見え隠れする。
例の少女だろうとリッドは思った。
真っ黒な頭巾と外套でしっかりと身を包んだ少女は荷台に向かって何か声をかける。
すると台車からいくつかの小さな影がわらわらと飛び出してきた。人の形をした影だ。手に乗るほどの大きさの人型の影は何人かずつ協力しながら倉庫に木箱を運び入れる。
少女自身も小さな木箱をいくつか持っては運び、倉庫から出てくるたびに辺りを気にした。
真っ白な霧が立ちこめていた。
街は静まり返っているが、それはただ夜だからということではないらしい。この霧が彼女を隠すために街の人たちに悪さをしているのだろう。先ほどリッドを襲った眠気がきっとそうだ。
少女は街や人の気配を探るというよりは霧の深さを確認するような仕草を見せてふたたび倉庫の中に入った。
「よし。代金も回収したし、帰ろっか」
少女は小さな人型の影を一通り労い、最後に台車を引く馬の顔を撫でた。
しっかりと視線を合わせようとしたのだろう。
見上げたそのとき、頭巾がずれて白い肌がのぞいた。
その姿の怪しさとは裏腹な優しい笑顔に、リッドはついに声を発してしまった。
びくっと少女の体が動く。
それと同時に馬や小人の影がゆらりと揺らめいた。
「あなた……誰? どうして――」
少女は何が起きたかわからないといった様子でリッドを見ている。動揺してはいるが凜とした口ぶりで少年の気配を探っていた。
「僕は……僕はリッド。単なる調査員」
「調査? 何の?」
少女は身構える。
リッドが革の鞄の中を探る間も、じりじりと後退り間合いをとっていた。
「ああ、あったあった。これ。」
できるだけ友好的な表情をつくって、丸めてあった一枚の紙を見せる。といっても、霧から身を守るために口もとを覆っていたからどれだけ伝わったかわからない。
少女は距離を保ったまま書面を睨みつけた。
「ああ、細かいところまで読まなくていいよ。とりあえずここを見てくれればいいから」
指差したところ。上質な紙にしっかりと押された印影は勅令を表わすもので、国の者なら誰もが知っている。
「国の、役人?」
「いやいや。その役人に雇われた調査員。役人ほど偉くもないし偉そうでもない……と思っていたんだけど、もしかして偉そうに見える? そんなつもりはなかったんだけどなあ。参ったなあ」
リッドがおどけてみせると少女は身構えるのをやめた
「あ。信用してもらえた?」
「あなた自身はまったく。だけど、その紙を見せられたら、話を聞かないわけにはいかないから」
少女の目はまだ警戒の色を宿したままリッドを睨みつけていた。
リッドはまあいいやと言ってからあらためてその紙を少女に向けた。
「それじゃあ改めまして。僕はリッド。王室御用達の更新審査のため調査に参りました。ご協力よろしくお願いします」
「私は……調合屋」
「単なる、調合屋?」
言うと少女は厳しい視線をこちらに向けた。
ガリッと奥歯を噛んだ音が耳に届いた。
「調合屋のユイル。…………ファブールの魔女の生き残りよ」
そう名乗った少女は、頭巾を後方に払いしっかりと顔を見せると、これでもかと胸を張ってみせた。影よりも闇よりもなお深い黒を塗り重ねたような長い髪とそれとは正反対に儚く消えてしまいそうな白い肌、そして他者を圧するほどの強い眼差しが印象的な少女だった。
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