第21話 ―蒼緒― The Mistress of Wolves

 蔵の扉を閉め、大きく息をつき、改めて二人を見て蒼緒は驚いた。

 

椎衣那しいなちゅうひゃ……!? みおしゃんも……!?」

 

 軍服の埃をはたいていたのは、椎衣那と澪だった。意味がわからない。上官である彼女らは内勤のはずた。どうして現場なんかにいるのか。

 

「いやぁ、たまたま出張先がこの近辺でさあ。そしたら紡績工場で〈狼餽〉を退治した軍人たちがいるって言うじゃん。おまけに怪我を負っているやら、今度は軍人が人さらいしただのの噂まであって。んで噂を追ってたら、ここが見つかったってわけ。いんや――、大変だったのよ。馴染みの情報屋には大金せびられるわ、なんやかんやで」

 

 椎衣那が飄々と言う。

 

「……ていうか自動車って、どういう……」

 

 庶民には手が出ない高価な代物だ。そもそもまだまだ馬や馬車での移動が主流だ。それを乗り回した上、〈狼餽〉にぶつけて燃やすなど、正気の沙汰でなはない。

 

「いやぁ、そこはホラ、華族の澪様々の……」

 

 椎衣那が人差し指と親指で丸を作る。金、の意味だ。

 

「『特別華族』、よ。自動車の一台や二台、大した事じゃないわ」

 

 さらりと澪が言う。

 ……いや、一台で庶民の家なら二、三軒立つ代物を大した事ないとは。それも一瞬でぶっ壊すとは。……金持ちつええ。

 

「特別華族も華族もおんなじっしょ?」

「……違うわよ。うちは所詮成金だもの。金で華族の地位を買っただけよ」

 

 澪が吐き捨てるように言う。

 

 正直、蒼緒や衣蕗にとっては雲の上の話なので、特別華族と華族の違いなどわからない。とは言え、澪が自分の出自を好いていないことはわかる。

 澪の実家であるつむぎ家は鉄鋼業から財を成した商家だ。今や造船業などで名を馳せ、その名を知らぬ者はない。蒼緒たちは預かり知らぬ話だが、造船業で軍と強いパイプがあるため、澪は〈花荊〉とは言え、未だに「戸籍」が残っているし、自由に動かせる金もたんまりある、というわけだった。

 それにしても、金持ちつええ。

 

「……は、いいとして、蒼緒ちゃん傷、見せて」

 

 椎衣那が手招きして、椅子に蒼緒を座らせる。

 

「ちょっと手当てするね。……ああ、いいよ。喋らないで。……衣蕗も、飼い主が怪我した飼い犬みたいな顔しないで」

 

 椎衣那の人間だった頃の職業は医者だ。手早く手当をして行く。

 見ると衣蕗が、瞳を潤ませながらオロオロとしている。先程の戦闘の時とは大違いだ。自分の怪我の方がよっぽど大怪我なのに、蒼緒の事が心配で仕方ないらしい。

 蒼緒は苦笑したが、椎衣那が見せてくれた鏡を見て、衣蕗の態度に納得した。ひどい有り様だった。

 顎も首も牙が当たって血だらけで、内出血で赤黒く腫れていた。通りで喋りづらかったわけだ。

 

「可愛い首がへし折られてなくて良かったよ。……恐らく、軍服が邪魔だから後でゆっくり食べるつもりで、離したんだね。首を折って殺しちゃうと鮮度が落ちるから」

 

 椎衣那がしれっと言うが、背筋が凍った。

 だが、それではっとした。

 

「し、椎衣那ちゅうひゃ、衣蕗ひゃん、あれは流唯るいさんにゃの。……っ、それに流歌るかひゃんは……。雪音ゆきねひゃんに紗凪さなひゃんは……!」

「ストーップ、蒼緒ちゃん。落ち着いて」

 

 椎衣那が止める。

 

「〈狼餽〉は火だるまで再生には時間がかかる。それにあの二人なら、なんとかする――と、信じよう。雪音だって、ウチのエースの一人だ。……まずは状況を整理しよう。いいね」

 

 椎衣那の力強い言葉に、蒼緒も衣蕗も頷く。混乱したままでは、判断を見誤る。

 

「……あの〈狼餽〉はここに住んでいた姉妹の、お姉さん、流唯さんなんです」

 蒼緒は聞き取りやすいよう注意しながら、夜中に一人で呼び出されて襲われた事、この村が流行り病に襲われ、今は姉妹二人で暮らしている事などを説明した。

 それを聞いた椎衣那が頷いた。

 

「……なるほど、〈イヌモドキ〉だったらいいなと思ってたけど……。状況はもっと厄介なようだね。恐らくは流行り病なんかじゃない」

 

 〈狗モドキ〉――の名に、蒼緒と衣蕗は息を飲んだ。軍から説明を受けたが、実際遭遇するのは初めてだった。


 ――〈狗モドキ〉。

 人を喰って、喰ったその人間に擬態している〈狼餽〉の事だ。


 だが、〈狗モドキ〉は姿は似せられても、芝居が下手なのが特徴だ。発語も動きも、おおよそ人間とは程遠い。その代わり姿だけは、よく似せる。狸よりよっぽど上手く人を化かすとは椎衣那の弁だ。見た目だけならほぼ人と変わらない。

 では人を化かした〈狗モドキ〉が何をするかと言うと――。

 

「……蒼緒ちゃんたちがすっかり騙されるくらいに、あの個体は上手く化けてたんだろう? なら、あれは間違いなく村人全部を喰った〈女王餽クイーン〉だろうね」

「――っ」

 

 ――〈狗モドキ〉は人を化かし、さらに人間を喰うのだ。喰うほどに擬態が上手くなって行くし、知能も上がる。〈狼餽〉としてのしぶとさも増す。それを〈女王餽〉と呼ぶ。

 そして、力をつけた個体は、やがて群れを作るのだ。他の〈狗モドキ〉やあるいは狼を呼び寄せ、化かした人間を家畜化して。化かされた人間は、自分が家畜となっている事にすら気づかないまま、喰われるしかない。


「流唯さんが……〈女王餽〉」

 

 この村には祖父母と伯父、両親と流唯と流歌、それからもうひと家族が暮らしていたと聞いた。それらを全員――喰い殺した、のだ。

 

「――いや、あれは正確には流唯という少女を喰った〈狼餽〉だ。流唯はもうこの世にはいない」

 

 椎衣那が敢えて正してくれるが、手と言わず全身が震えた。

 あの優しかった流唯が。流歌を優しく叱りつけた流唯が。……すべてただ怪物の擬態、だったと言うのか。

 優しかった流唯の笑顔が、瞼の裏にちらつく。

 

「蒼緒……」

 

 衣蕗が肩を抱いてくれる。だが震えは収まらない。

 椎衣那が続けた。

 

「……妹がいたと言うなら、その子は家畜として生かされているのだろうね。或いは新たなる獲物をおびき寄せるための、エサ――か」

 

 ドキリとした。

 衣蕗が苦々しく言う。

 

「……私たちはまんまとエサにつられて巣に呼び寄せられた獲物、というわけか」

「君らがここへ来たいきさつを聞くに、間違いないね。……なら、一つ安心材料が増えた。その流歌って妹は無事だろう。今までエサとして生かしておいたのなら、みすみす喰う事はない」

 

 それを聞いて安堵するが、頭では理解しても気持ちが追いつかない。姉だと思っていた人はもう姉ではなくて、姉を喰った《狼餽》が化けているだけなんて。流歌が可哀想だし、流唯だった人はもうこの世には居ない。

 

「……ごめんなさい。……私が、村にいたいって言ったから」

「言ってないだろ。許可したのは私だし、雪音だってそうだ」

「でも、衣蕗ちゃんは私を気遣って――」

「だから違うって――」

「はいはい。意味のないケンカしないの。……けどね、悪い話ばっかじゃないよ。これはチャンスだ」

 

 パンパンと手を叩き、椎衣那が諌める。蒼緒と衣蕗は口を揃えて復唱した。

 

「チャンス……?」

 

「そ。――巣ごと〈女王餽〉を退治する、ね。奴は獲物をおびき寄せたつもりが、まんまと桃太郎御一行様を鬼ヶ島内に引き入れちゃったんだ。おまけにこちらには二人も桃太郎がいる。……あ、私はもう隠居の身だから主戦力に入れないでね。雪音の事ね!」

 

 精々私はきじくらいに思ってよ。そう椎衣那が言う。

 衣蕗が息を飲んだ。

 

 その通りだ。これはチャンスなのだ。幾人も喰った〈女王餽〉の強さは〈狼餽〉とは比ではないと言うが、その懐にエース級の〈吸血餽〉が二人いる。

 

「作戦を立てよう。二人いれば勝機はある。優先順位を確認するけれど、まずは雪音たちとの合流が最優先。それから六人で《女王餽》を斃す。人命救助はその次」

「っ、でも、流歌ちゃんは――」

「蒼緒ちゃん、君があの子を救いたいと思うのはよくわかる。でも私たちは、これ以上戦力を削がれるわけにはいかないんだ。衣蕗と雪音、どちらが欠けても戦力不足になる。そうなったらあっさり全滅だ。それに、さっきも言った通り、奴が妹を手にかける可能性はないはずだ。……当面はね」

 

 椎衣那が蒼緒の肩に手を置き、顔を覗き込む。

 目を逸らすように蒼緒はうつむいた。

 言っている事はわかる。相手は幾人もの人間を喰った〈女王餽〉だ。総力を上げてかかるしかない。

 

「…………わかり、ました。――でも、」

 

 蒼緒は顔を上げた。

 

「雪音さんたちと合流する合間に、流歌ちゃんを保護出来るタイミングがあれば、私に保護させてください。あの子はまだ十歳になったばかりなんです」

 

 それを聞いて椎衣那が口の端を上げた。

 

「……頑固だねえ。わかった。ただし飽くまでも、タイミングがあれば、だ。君の役目は衣蕗のバックアップ。優先順位は守ってもらう」

「了解しました」

「オッケー。じゃあ立案と行こう。雪音たちは今どこに?」

「流唯さん……からは二人は夜風にあたりに行ったと聞かされました。たぶん吸血しに外へ行ったんだと思います」

「場所の見当は……」

「私は母家から出て川側……東側にいました。その時に見かけていないので、通りを挟んだ西側かも……。木立とかあって母家から死角になりますし」

 

 そう言った蒼緒の言葉を、衣蕗が補完する。

 

「南も北も死角になるようなものはないしな。母家の北はこの蔵を改造した診療所で、私はここから蒼緒と流唯を見て、飛び出した。その時に二人は見ていない」

「となれば、南から西の間にいた可能性が高い――か」

「それに蒼緒の悲鳴を聞いたはずた。母家の南か西にいたとして、悲鳴の方を目指すとすれば、まず母家にぶち当たる。雪音は母家を越えて真っ直ぐ悲鳴が上がった場所を目指すはずだ。紗凪は周囲を警戒しつつ、母家にいる流歌の様子を確認したかも知れないな」

「つまり、紗凪ちゃんは母家、雪音は南東付近で〈狼餽〉を見たかも知れない。そこで警戒体制を取っているか、母家に戻ってるかも」

「あと……すみません」

 

 蒼緒が挙手して椎衣那を見上げる。

 

「ライフルもサブマシンガンも全員、母家です。起きた時に見ました。雪音さんたちの帯革は見てないので、装備してると思います。あと私は……丸腰です」

「なんと……」

 

 椎衣那が頭を抱えた。

 仕方あるまい。まさかこんなところで《狼餽》に遭遇するとは思ってもみなかったのだ。――完全なる油断だが。

 

「じゃあ、今ある装備は……」


 蒼緒、丸腰。

 衣蕗、日本刀と弾薬盒。外套なし。

 椎衣那、サブマシンガンとハンドガン、弾薬盒。

 澪、サブマシンガンとハンドガン、弾薬盒。


 雪音、ハンドガンと弾薬盒。

 紗凪、ハンドガンと弾薬盒。


「出来れば、母家のライフルは回収したいねえ」

 

 そう言いながら、椎衣那が自分のサブマシンガンを蒼緒に渡す。

 

「すみません……」

「いや、私だって命中率は君とどっこいどこいだ。何せこの眼だからね」

 

 と眼帯を指差す。


「じゃ、改めて。そろそろ奴が起き上がってこっちに来るだろうから、まずは蒼緒ちゃんと澪がサブマシンガンでガンガンに牽制して。奴が気を取られた所で、衣蕗が応戦。時間を稼いで。その間に私が母家に突入して、そこで紗凪と合流して武器の回収。雪音も私たちの動向に気づいて、合流を目指すはずだ。で――突入経路だけど……。ここの出入り口は正面の一つ……か。窓も通気用の小さいやつ……で通り抜けるのは無理だな。となるとやっぱり《女王餽てき》を牽制しつつの正面突破か……」

 

 そろそろ再生も完了するだろう。その前に武器回収と合流ができればいいが、それは楽天的すぎる。戦闘になると覚悟すべきだ。

 

「あの……万が一〈女王餽〉……が、こっちじゃなくて雪音さんや紗凪ちゃんの方に行ってたら……」

「あー、それは無いね。だいじょーぶ。真っ直ぐこっちに来るさ。奴だって美味いもんが食いたいだろうからさ」

「え? どういう――」

「ま、いずれわかるよ。とにかく作戦に集中して」

「は、はい」

「衣蕗、雪音と合流した後の連携は……」

「問題ありません。あいつの癖はよくわかってるし、あいつもそうだと思う」

「あら、すっかり仲が宜しいようで何より。じゃ、四人の一斉射撃で弱らせて、トドメは衣蕗と雪音で頼む」

「了解」


 ――その時、蔵を揺るがす大きな音がした。扉が揺れ、咆哮が上がる。

やっこさん、おいでなすったね」

 そう言って、椎衣那がハンドガンのスライドを引いた。

 蒼緒も渡されたサブマシンガンの残弾を確認し、ボルトを引いた。

 蒼緒と澪が扉の横に張り付く。衣蕗はその後ろに待機し、抜き身の日本刀を握り直した。

 

「じゃ、三、二――」

 

「待って。最後にひとつ確認なんだけれど。……その流歌って子も〈女王餽〉である可能性は?」

 

 冷静な目で澪が言う。蒼緒より歳下だが、焦っている様子はない。頭の良い子であり、状況判断も的確だ。蒼緒は雪音を思い出した。少し雰囲気が似ている。

 

「……あり得ない。群れに女王は一人だ。奴らは異常に縄張り意識が強いからね。二匹もいたら喰い殺し合うよ」

「妹は姉が〈狼餽〉だと気づいた上で敢えて従っているのかしら? それとも『化かされて』いる?」

「ふむ、後者だろうね。まだ幼いし、奴が蒼緒ちゃんを外に呼び出したように、妹の見ていないところで喰っていたんだろう」

「……了解」


「じゃ、三、二、一――」


 椎衣那が扉を蹴り開けた。〈女王餽〉は扉が開くのを待ち構えるようにして、そこにいた。巨大だ。

 蒼緒と澪がサブマシンガンで銃弾を撃ち込む。――が、手応えなどまるでなかった。

 元より銃弾など気にも留めていないのか、火だるまになった怒りで我を忘れているのか、抵抗もなく弾を喰らうもののすぐに傷が修復されていく。ガソリンと焼け焦げた肉の匂いに硝煙の匂いが混じる。

 

 蒼緒は恐怖を感じた。今までの〈狼餽〉とは比べ物にならない再生力と強烈な威圧感だった。これでは椎衣那を逃す事も出来ない。銃弾が通じないのだ。

 咆哮が空気を震わせた。

 恐怖が全身を満たす。

 その時だった。目の前に〈女王餽〉の爪が伸びていた。

 叫ぶ事も出来ずに恐怖で肩をすくませる。


「うおおおおおぉぉぉ!」


 目を開けると衣蕗が刀を斬り上げていた。膝を斬り上げ、鮮血が飛ぶ。

 ――が、刃こぼれを避けるため深くはない。続けて腕を斬りつけた。

 

「行け!」

 

 衣蕗の声に椎衣那が全力で飛び出す。蒼緒は銃を構え直すと、澪と共に脚を使いながら牽制射撃をし、椎衣那のルートを確保した。

「蒼緒も行け! 澪は私の援護!」

「っ、……了解」

「了解」

 澪が弾倉交換マグチェンジをして、撃ち込む。


 蒼緒は、衣蕗が自分を気遣ったのだとわかった。敵はかつて『流唯だと思わされていた』個体だ。だが蒼緒にとっては『流唯』そのものだった。

 本来ならバディである自分が援護すべきだが、邪念が入るのを考慮したのだと理解し、命令に従った。椎衣那を追う。


 衣蕗が日本刀を構え、言った。

 

「――さて、おに退治と行くか」

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