第20話 ―蒼緒― A Werewolf

 蒼緒あおははっとして目を覚ました。


「起こしてしまってすみません。……少し、お話ししたい事がありまして……」

 

 身体を揺すられた気配に目を開けると、ランタンを持った流唯るいがこちらを見下ろしていた。

 眠い頭で周囲を見回すと、隣で流歌るかがお腹を出して寝ているだけで、誰もいない。

 

「あれ……?」

衣蕗いぶきさんは痛み止めを飲んで来ると診療所に行かれました。雪音ゆきねさんと紗凪さなさんは夜風に当たって来るとおっしゃって……」

 

 ああ、恐らく吸血しに行ったのだ、と理解する。

 流唯が流歌に布団をかけ直してやるのを見守りながら、あくびを噛み殺しつつ彼女に向き直る。

 

「えっと、お話って……」

「流歌には聞かせられませんので、こちらへ……」


 なんだろうと思い、立ち上がる。

 枕元に置いた短機関銃サブマシンガン、それから弾薬盒アモケース自動拳銃ハンドガンを収めた帯革ベルトはしなくてもいいやと、そのままに立ち上がる。寒そうなので外套だけ手に取って羽織った。

 

「こちらへ……」

 

 と言う流歌について行く。身体が丈夫でないと言っていたが、足元が覚束ないようで、蒼緒はその手を取った。

 古びた家屋は不思議な匂いがした。けれどなんの匂いかはわからない。


 母家を正面口から出、イチジクなどか植えられた小さな畑の脇を抜けて少し母家が遠くなった頃、あれ? と思った。話をするにしてもどこへ行くんだろう? この先は川だ。それにこんなに母家から離れる理由があるのかな、と。

 流歌は寝ているし、母家を出れば声は聞こえないはずだ。そもそも流歌に聞かせられない話とはなんだ。

 

「……あの、流唯さん」

「すみません、こんな所までお連れしてしまって」

 

 そう言った流唯が足下の少し離れたところにランタンを置いた。それからくるりと振り向く。銀糸の髪が月明かりに翻る。

 青白い顔が月明かりと灯火に照らし出された。

 長い手脚、たおやかな仕種、凹凸のはっきりとした身体つき――場違いな程、彼女は美しかった。

 

「流唯さ――」

 

 その時、不意に月が陰った。

 彼女の輪郭が闇に溶ける。

 一瞬遅れて、強い衝撃が走った。


「っ!?」

 

 ――喉元に食いつかれていた。

 考えられないほどの圧力が首にかかる。

 なんの冗談かと思ったが、一瞬で首が締まる。喉仏が軋んだ。息苦しさと恐怖が同時に込み上げる。

 殺される。本能による恐怖で身がすくんだ。

 ――が、外套は防刃仕様なので、切り裂かれはしない。それでも牙が首にめり込んで行く。気道が潰される。へし折られる。流唯を叩くがびくともしない。怖い怖い怖い。

 

 そう思った瞬間、ふっと力が抜けた。

 食い千切れないのを察して、口を離したのだ。

 その時、咳き込みながら蒼緒が目にしたのは鼻先が犬のように伸び、口が耳まで裂けた怪物だった。目はかろうじて人の形容を保っていたが、泥のように濁っている。その眼を知っていた。

 

 ――〈狼餽〉だ。

 

 流唯だったものを突き飛ばし、力の限り悲鳴を上げた。

 

「いやあぁぁぁぁ!」

 

 咄嗟に駆け出すが、腰に手をやったものの、あるはずのハンドガンがない。ベルトごと置いてきてしまったのだと思い出し、青ざめたまま走り出した。

 ――が、背後から襟首を掴まれ引き倒された。そのまま横からのしかかられる。その時見た、流唯だったものは最早ヒトの形をしていなかった。

 蠢くようにして、第三、第四の目が頬から現れた。それがギョロリと蒼緒を捉える。美しかった銀糸は土色の針毛に変わり、艶かしい女体は獣の躰に変わっていた。

 

 口が大きく開いた。その目は首ではなく顔を見ていた。

 首が噛み切れないなら顔から喰えばいい、そういう目をしていた。

 

「っ!」

 

 今度こそ悲鳴も出なかった。銃を持たなかった自分を呪った。後の祭りだ。生温かい息がかかる。獣のそれだった。

 食われる。

 両目をつぶった――その時だった。


 獣の唸り声が聞こえたかと思うと、血飛沫が飛び躯体がよろめいた。

 

「蒼緒――――――――っ!」

 

 聞き慣れた声だった。銃声が聞こえ、咄嗟にそちらを向くと髪の長い少女がハンドガンを撃ち込んでいた。発火炎マズルフラッシュだけが月明かりに浮かび上がる。

 

「衣蕗ちゃん!」

 

 〈狼餽〉はしかし、最初の数発のみまともに喰らったものの、肩の筋肉で残りの弾丸を防ぐと、すぐに体勢を立て直す。みるみる傷口が塞がって行く。

 

 衣蕗は弾切れしたハンドガンを捨て、腰から日本刀を引き抜いてこちらに駆け出して来る。

 

「うおぉぉぉぉ!」

 

 右薙ぎに刀を構え、迫る。

 〈狼餽〉は立ち上がり、吼えた。巨大な咆哮に蒼緒の身体が震える。目眩を感じたが必死で距離を取る。

 

「衣蕗ちゃん、だめ……っ!」

 

 絞り出した声はしかし、興奮状態の衣蕗には届かない。

 蒼緒は〈狼餽〉の前に飛び出すと両手を広げた。

 

「流唯さんなの!」

 

「!」

 

 飛び出した蒼緒に驚いた衣蕗の剣筋は乱れ、体勢を崩しながらも蒼緒を抱えるようにして転がった。

 回転が止まっても、蒼緒には天地すらどちらかわからない。でも衣蕗が蒼緒を庇うように抱き締めるのがわかった。

 

 日本刀はどこだろう。まだ手にしているのか。それにさっき見えた彼女は、よく見えなかったが外套を着ていなかった。〈狼餽〉の一撃をまともに喰らったらおしまいだ。

 なんて真似をしてしまったのか。〈狼餽〉の前に飛び出すなんて。でもあれは紛れもなく流唯なのだ。けれど、これでは衣蕗まで攻撃されてしまう。


 怖い。


 ――でも。

 蒼緒は、せめて自分が犠牲になって離脱する時間が稼げればと必死で腕を伸ばした。


 再び咆哮が轟く。ビリビリと身体が震える。

 〈狼餽〉の足音が迫り、恐怖が押し寄せる。


 ――が、攻撃が届く事はなかった。


 そのかわり、耳慣れぬ爆音が轟いた。つられるようにしてそちらを見ると――


 馬ほどもある大きな何かが、〈狼餽〉に体当たりするのが見えた。

 巨大な衝撃音と共に、〈狼餽〉がまともに吹き飛ぶ。

 蒼緒も衣蕗もあんぐりと口を開けた。

 

「じ、自動車……!?」

 

 衣蕗がつぶやく。

 新聞でしか見たことのない二人乗りのガソリン自動車が〈狼餽〉を薙ぎ倒していた。低く唸るが、すぐには立ち上がれないようだ。

 その自動車に銃弾が撃ち込まれる。嫌な匂いがした。

 

「衣蕗! 蒼緒! 走って!」

 

 後方を見ると、誰か二人が「走れ」と腕を振っている。

 先に立ち上がった衣蕗が、蒼緒を抱え、日本刀を拾うと駆け出した。

 それを見計らい、一人が落ちていたランタンを拾い上げ、自動車に投げた。被弾した燃料タンクからガソリンがこぼれ、引火し爆発する。たちまち〈狼餽〉が炎に包まれ、咆哮を上げた。巨大な炎の塊から上がる咆哮はおぞましかった。

 

 遅れて二人も駆けて来た。

 

「いやあ、さすがにガソリンは派手に燃えるねえ! まあ時間稼ぎにしかならんけど!」

「蔵が診療所になってる! ひとまずそこで体制を立て直します!」

「了解!」

 

 衣蕗の声に、二人が頷いた。

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