第19話 ―雪音― A Calm Day

 流唯るいが食事を作るのを蒼緒あお紗凪さなが手伝い、その間、力仕事ならと衣蕗いぶきが薪を割った。雪音ゆきねはというと、それを見ていただけだ。

 どちかと言うと怪我のない雪音がやるべきだが、一宿一飯の恩義のためと、衣蕗が譲らなかったので任せる事にした。

 この頑固親父め。言っても聞かないんだから。

 自分は川から水を汲んでかめに移した後は、のんびりと薪割りを見ていた。

 

 それにしても痛みはあるだろうに、お人好しが過ぎる。言っても聞かないから最早止めないけれど。……まあそういうところも、この同僚が嫌いではない。


 その後、皆で食事となったが、生憎と雪音と衣蕗は人の食事は受け付けない。昼餉ひるげを食べ過ぎたからと言い訳をして、ひと口ふた口摘んで水で流し込み、皆が食べるのを眺めていた。

 蒼緒と紗凪は美味しい美味しいとたくさん食べ、それを流歌と流唯が喜んだ。


 雪音は〈吸血餽〉となってから、皆で食卓を囲む事などなくなっていたから、なんだかあたたかく感じた。それにそもそも華族である花總の家はあたたかな食卓などとは無縁だった。食事など社交のための作業でしかなく、堅苦しく面倒なものだったから。

 それが、こんなにもあたたかい雰囲気なものだとは、驚いた。

 

 ……が。

 

「……って、蒼緒。貴女食べ過ぎじゃない?」

「ど、どれも美味しくてつい……ううっ」

 

 蒼緒の細かったお腹がぽっこり膨らんでいる。まるで子供のようだ。

 

「ちょっと……貴女、加減なさいな」

「わ、笑わないでくださいよ、雪音さん!」

「いや、食べ過ぎる蒼緒が悪い」

「……ちょっと食べ過ぎちゃったね、蒼緒ちゃん」

「蒼緒お姉ちゃん、お腹まんまる!」

「……っ、そうね、まんまるね」

 

 流歌も流唯も一緒になって皆で笑う。料理人シェフの作った少量ずつ運ばれて来る気取った料理ではなく、素朴な料理ばかりだったが、ずっと美味しそうで、そして楽しかった。それを紗凪も感じたのだろう。目が合うと自然と微笑みあった。

 

 紗凪は幼い頃に両親を亡くし、ずっと祖母と二人暮らしだったそうだが、話によるとこんなふうにあたたかい食卓を囲んでいたのだろう。紗凪が愛おしそうに蒼緒や姉妹を見つめていて、雪音も胸があたたかくなるのを感じた。

 雪音は《吸血餽》として発症してしばらくは自分の身を恨むばかりだったが、少女たちのささやかな幸せを守る役目も悪くない、そう思った。


 雪音は華族の出身だ。

 それも花總と言えば御三家に名を連ねる、知らぬ者のない名家であり、大富豪だ。

 だからこそ、蝶よ花よともてはやされた雪音が〈吸血餽〉に発症した時、一族は寄ってたかって雪音に罵詈雑言を浴びせかけ、あまつさえ無き者として軟禁した。彼女を居ぬ者とみなし、何もかもを奪った。それまでの生活も、地位も、人としての人権すらも。やがて地方での病気療養の言い訳すら難しくなった時、彼らはガリガリにやせ細った彼女を軍へ捨てたのだ。

 

 別れの日、父母でさえ涙を流す事はなかった。それが花總の家だった。

 

 だから、軍に払い下げられて、雪音はなにもかも、自らの命すら粗末にするほど、投げやりになった。

 それを救ってくれたのが、「お見合い」で知り合った紗凪だった。

 

 元来、人の世話を焼いてしまう気質の紗凪が見兼ねて、お嬢様で何も出来ない雪音の世話をした。それこそ、顔を洗うことや下着を着せることから何もかも。

 献身的――というか放ってけなくて世話をしていた紗凪にほだされて、雪音はようやく〈吸血餽〉である自分を受け入れる事が出来た。

 だから紗凪には頭が上がらない。そして、誰よりも愛している。〈吸血餽〉になって彼女に出会えた現実に感謝する程に。

 

 やがて、笑いの中、ささやかな宴はお開きになった。



          *

 


 田舎の夜は更けるのが早い。

 約束した通り、流歌は蒼緒とそれから紗凪と布団を並べ床に入った。

 流歌が寝入った頃を見計らって、紗凪と抜け出し、建物から離れた木立の間で、血を吸った。

 その後もしばらく二人で月を見ていた。紗凪が冷えると言うので、手を繋ぎつつ。


「……今日は楽しかったですね、先輩」

「ええ」


 紗凪は雪音を先輩、と呼ぶ。軍では雪音の方が上官だからと言う理由によるようだが、確かに花總大尉と畏まって呼ばれるよりはいいが、なんともおかしい。でも、その呼び方が嫌いではなかった。紗凪の呼ぶ、「先輩」の声音が好きだった。


「民間人との接触は重大な規定違反だけれどね」

「……もうきっとこんな日はないのかな」

「……かもね」

 

 雪音が停限年齢まで務め上げれば、恩給でそれなりにのんびり暮らせるはずだが、それでも軍の監視下に置かれるのは変わらないし、民間人との接触は禁止されている。

 今日のような日は二度と来ないのだ、きっと。

 ――でも。

 

「私は紗凪がいればそれでいいわよ?」

 

 そう言うと紗凪が笑った。本気で言ったのに。

 

「僕もそうだけど……」

「だけど、何?」

「出来ればお婆ちゃんになってからも、蒼緒ちゃんや衣蕗ちゃんと一緒にいられたら、楽しいかも」

 

 それはなんとも魅力的な提案だ。

 

 衣蕗たちとは、彼女が正式に配属された頃はなんて面倒な子だろうと思ったが、一緒に出撃するにつれ、二人の人となりを知り、すっかりほだされてしまった。

 お婆ちゃんになった蒼緒に相も変わらず甲斐甲斐しく面倒を見られるお婆ちゃん衣蕗を想像してしまい、微笑んだ。

 

「悪くないわね、それ。穏やかな老後じゃなくてだいぶ賑やかになりそうだけれど。……そう出来るよう、たくさん《狼餽》を倒して、たくさん昇級して、たくさん恩給貰わなくちゃね」

「僕は恩給たくさんじゃなくていいよ。先輩がいてくれればいいから」

 

 だから無茶はしないで、と言外に言われる。

 

「まあ、心配なのは私より衣蕗の方ね。無茶ばっかりするから」

「……二人とも、だよ」

「はーい」

 

 雪音は唯一、紗凪に対してだけは素直だ。可愛い〈花荊〉にメロメロなのだ。


「さ、そろそろ戻りましょうか。貴女の身体が冷え切っちゃう」

 

 ぎゅっと抱きしめてから、二人そろって母家の方へ足を向けた。


 ――その時だった。


 夜をつん裂くような悲鳴が聞こえた。

 咄嗟に母家に向けて駆け出す。嫌な予感がした。装備はお互いに常に携行しているハンドガンしかない。ライフルは母屋に置いて来てしまっている。

 

「紗凪は周囲に警戒して! 先に行くわ!」

「わかった! 先輩も気をつけて!」

 

 雪音は頷いた。母家を目指す。

 

 だが、雪音は一人紗凪を残した事を死ぬよりも後悔する事になった。

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