第16話 ―衣蕗― How Far Is It?
町の中心部から離れるにつれ、建物は減り、自然が色濃くなって行く。いつしかすれ違う人もなくなっていた。衣蕗は少しほっとした。これで人間たちに警戒される事もない。
夕日が遠くに見える稜線を真っ赤に染めていた。人の生活音はなく、虫の声しか聞こえなかった。
「たそがれちゃって、どうかした?」
雪音がそう声をかけてきた。
彼女とは知り合ってまだ二ヶ月半ほどしか経っていないが、〈吸血餽〉の先輩として信頼がおけた。元お嬢様らしくプライドが高く高飛車なところはあるが、――ていうかめちゃくちゃ高飛車だが、言葉に嘘はなく、好感が持てた。
「……いや、さっき吸血した時さ。ていうか吸血した後。蒼緒の様子がなんか変じゃなかったか?」
「あ、ちゃんと気づいてたのね」
雪音がさらっと言う。という事はやっぱり変だったのか。
「ていうかちゃんとってなんだよ」
「いえ、衣蕗ってば鈍感だから絶対気づいていないだろうって思っていたけれど、気づいていて良かったわ」
「なんだよそれ。じゃあ、なんで蒼緒は変だったんだ?」
「それは自分で考えて」
「は? わからないから聞いてるんだが?」
そう言うと雪音がため息をつく。
「蒼緒ってばだいぶわかりやすい方だと思うんだけれどね」
「わかりやすいって何がだよ」
「はい、ちゃんと考えて」
「ケチ」
考えてもわからないから聞いているんだが?
結局、何が原因かわからずじまいだ。ただ、蒼緒に何かあるなら自分が力になってやりたい。そう思う。
幼馴染みだし、それに……。
……いや。上手く言葉に出来ない。
「……ていうか蒼緒の事ならいつだって考えてるよ。……私の〈
そう言うと雪音が、あらあら、と言った。茶化す素振りはあまりないから本当に感心しているんだと思う。
以前の自分なら、胸の内を吐露するなんて出来なかったが、特務機攻部隊にいるやつは皆、何かしら心に傷を負っている。雪音も然りだし、班を組むようになって、人柄も知った。
衣蕗は続けた。
「……あのさ、〈吸血餽〉ってさ、〈花荊〉の人生を奪ってるだろ? 〈花荊〉自身は私たちとは違って普通の人間なのに、もう普通の暮らしはさせてやれない」
「……そうね」
「……蒼緒は子供が好きなんだ。施設でもいっつも下の子たちの面倒みてたし。ちょうどあの子ぐらいの歳の子たちとか。……それなのに、もう二度とそういう『普通の暮らし』をさせてあげられないんだ。――私のせいで」
「……」
それを聞いて雪音がぼそりとつぶやいた。――普通の暮らしって何かしらね、と。
「……私も施設で育ったし親の顔も知らないし、普通ってよくわからないけどさ。たぶん、結婚して子供を産んで、子供に囲まれて、あったかい家庭を築いて……みたいなのかな? よくわかんないけど」
「あら? 衣蕗ったら子供が欲しくなっちゃった? 〈
「ばか。女同士で子供なんか出来るか!」
前言撤回。
すぐ茶化すんだから。
とは言え、雪音が〈花荊〉である紗凪を大事にしているのはわかる。
流歌と名乗った少女と先を行く蒼緒は、いつになく笑顔だった。一緒にいられて嬉しいんだろう。施設では子供をあやすのも上手かったっけ。なんだかもう遠い記憶みたいだけど。
「……そう言えば、衣蕗たちは〈お見合い〉じゃないんだっけ?」
「うん? ああ」
――〈お見合い〉とは、軍で〈花荊〉を支給される事を揶揄した言葉だ。狭い兵舎で規律を守るために、〈花荊〉は一人につき一人と定められている。
〈吸血餽〉は軍に収容されてまず、吸血のための〈花荊〉が貸与される。幾人かの候補がいて、面談して決まる。候補者も身寄りのない者などがほとんどだ。
衣蕗の場合は蒼緒が同行していたため、お見合いはなかった。
「……発症して、その日の夜にはもう軍の人たちが施設に来てさ。あれこれ〈花荊〉の事とか説明受けてたら、そしたら蒼緒が、私が〈花荊〉になるって……言ってくれたんだ」
その時は、とても驚いた。もう施設での暮らしは捨てなければならない。蒼緒とも今生の別れになる。――そう思ったのに。
人払いをされた施設の談話室で強面の軍人から説明を受けていたら、それを側耳立てて聞いていた蒼緒が、言ったのだ。
『私が衣蕗ちゃんのはなよめさんになる』――と。
とても驚いたし、一時の気の迷いだろうと思ったが、彼女の意志は固かった。
「……そう言えば軍でもちょっとした騒ぎだったわね。
「……やめてくれ」
今思い出しても恥ずかしい。古株と思われる〈吸血餽〉と〈花荊〉が、次から次へと来ては、品定めするように顔を見て行く。蒼緒と二人して見せ物のようだった。
……まあお陰様で(?)二人とも評判は悪くなかったが。
とは言え、身も知らぬ輩が蒼緒に対し、「へー、顔は悪くないじゃん」とか「可愛い子ね」だとか言ってくるのには、なんだかムカムカしたが。
「……普通の生活の全てを捨てて一緒に来てくれる子なんて、普通いないわよ」
そう言って雪音が少し遠い目をする。
「……わかってる。私だってすごく悩んだよ、来てくれるって言われた時も、」
――初めて吸血した日も。
悩んで悩んで、何度も確認をしてそれでも蒼緒の意志は変わらなくて、〈花荊〉になってもらった。
だからこそ心に誓ったのだ。――蒼緒は私が守る、と。
特務機攻部隊は危険が伴う。〈花荊〉は
それに普通の暮らしはもうさせてあげられない。
だから毎日のように自問している。
――これで良かったのか? と。
誰かを犠牲にする事でしか生きられないのに、蒼緒以外の誰かを〈花荊〉にする想像すら出来なくて。でも正しい答えがわからない。どうすればいいのか。どうすればよかったのか。
……蒼緒は幸せなのか。
「……幸せ、ねえ。じゃあ、普通の幸せをあげられないなら、貴女が幸せにしてあげれば?」
「え?」
雪音がさも当たり前のように言った。
「家族を作れないなら家族になればいい、でしょ?」
――家族。
「いや、蒼緒とは同じ施設で育ったし、もう家族みたいなもんだし」
「そういう家族じゃなくてね」
「うん?」
言ってる意味がわからない。そういう顔をすると、雪音が呆れた顔をする。
「……ほんとに鈍いんだから」
「ん? なんか言ったか?」
「別にぃ?」
しらばっくれる雪音。だが、不意に真面目な顔で言った。
「……幸せの定義って人それぞれだけれど、私は幸せよ?」
そう言った横顔は、迷いすらなく綺麗だった。――こいつは元々綺麗な顔をしているけど。
「〈吸血餽〉なのにか?」
ええ、と頷く。
「私は〈お見合い〉で紗凪と出会ったけれど、〈吸血餽〉になったからこそ紗凪と出会えた、――と今は思えるわね。紗凪もそう思ってくれている。……どんな人生だろうと、紗凪と生きられて私は幸せだわ」
〈吸血餽〉は皆少なからず心に傷を負っている。それでも――いや、だからこそ、そう言い切る雪音の横顔は綺麗だと、衣蕗は思った。
その時だった。
「衣蕗ちゃ――ん、雪音さ――ん。もうすぐ村に着くって――!」
そう言って大きく手を振り、屈託なく笑う蒼緒。
その笑顔を自分に守れるのか。今はまだわからない。
あと、もっとスムーズに吸血出来るようになりたい。
衣蕗は大きく踏み出した。
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