第15話 ―蒼緒― A Little Girl
背後から声がかかる。
「そっちのお姉ちゃん、おけが、してるの?」
いつの間に戻って来たのか、
「ど、どうしたの? 早く帰らないとお姉ちゃんが心配するよ?」
「あ、あのね、流歌の村、おいしゃ様……はいないけど、おじいちゃんがしんじゃう前はおいしゃ様してたから、しょうどく……? とかのおくすりはあるの! あのね、だからね、」
一生懸命に説明する。どうやら衣蕗の腕を心配して戻って来てくれたらしい。早く姉の元に帰らなければと思うものの、見過ごせなかったのだろう。
蒼緒たちは顔を見合わせた。医者に診てもらうのが最善だが、この際仕方がない。消毒と止血くらいはしたかった。
「じゃあ、お家にお邪魔していいか――」
「駄目だ」
蒼緒の言葉に被せるようにして、衣蕗が言った。
ああもう頑固親父め!
「でも――」
「民間人との接触は軍務規定違反だ。駄目なものは駄目だ」
言って鼻をふんっと鳴らせる。相手は子供とは言え人間だ、頼りたくない――と言いたいのだろう。人間嫌いもここまでとは筋金入りだ。……さっきは助けてくれたくせに。
「行くぞ――」
と踵を返しかけた時、流歌の声がした。
「お姉ちゃん、流歌のおうちこないの?」
流歌が大きな目を潤ませて衣蕗を見上げる。衣蕗がひるむのがわかった。そう言えば養護施設にいた頃から、彼女は小さい子が苦手だった。
「う……っ」
「あー! 先生、衣蕗ちゃんが小さい子を泣かせましたー!」
「おや、蒼緒ちゃん、それはいけませんねぇ! 衣蕗ちゃん、こういう時はどうするのかなー?」
「うぐぐ……っ」
蒼緒と紗凪の〈花荊〉コンビが囃し立てる。それに流歌もさらに目を潤ませた。
衣蕗が頭を掻く。
「あーもー! 蒼緒! 紗凪! ふざけるな! ……わかったよ、消毒させてもらう! それだけだからな!」
「じゃ、行きましょうか。いーぶーきーちゃん」
雪音の声に、全員が歩き出した。
「ったく」
衣蕗はもう一度、頭を掻いた。
蒼緒は衣蕗の隣に並ぶと、外套の裾を引いた。
振り向いた衣蕗に、心の中でごめんねと言ってから、改めてお礼を言う。
「あ、あのね、た、助けてくれてありがとう」
すると衣蕗もどこかぎこちなく頷く。
「あ、ああ。……あまり無茶するなよ。……し、心配になるから」
その言葉にドキリとした。――心配、だって。
顔が熱くなる。
けれど素直になれなくて、つい可愛げのない事を言ってしまう。
「い、衣蕗ちゃんだって無茶ばっかりするじゃない?」
「私はいいんだよ! 丈夫だし!」
「でも、私も……! 心配だよ……」
思い切ってそう言うと衣蕗が頬を掻いた。
「じゃあまあ、お互いに無茶するのはなしって事で」
「じゃあ約束」
「ん」
蒼緒が小指を差し出すと、衣蕗もそれに小指を絡める。子供の時から幾度となくしてきた仕種だ。
お互いにふっと笑みがこぼれた。
衣蕗の鈍感さにもやもやして勝手に気まずくなっていたが、彼女の不器用な優しさに胸があたたかくなる。心の中でもう一度、ごめんねと謝った。それから、心配させてごめんなさい。あと、
……やっぱり好き。
そう思った。
「ありがと、衣蕗ちゃん」
――が。衣蕗が怪我をしていない方の手で、蒼緒のおでこにデコピンを食らわせた。
「いった!」
「……言っとくけど、わがまま聞くのは今回だけだからな」
ぶすっとした顔をしているが、結局は放っておけないのだ。
それに夕闇が迫っている。子供一人で帰らせるには心配だった。それは衣蕗も同じなのだろう。素直じゃないし、やっぱり不器用だ。
蒼緒はおでこを撫でて駆け出すと、前を歩いていた流歌の手を取った。その手を嬉しそうに流歌が握り返した。
それを見て衣蕗が小さく笑った。
*
「あのね、流唯お姉ちゃんはね、おさいほーもおりょーりもじょうずなの! 流唯お姉ちゃんのごはんね、おいしいんだよ!」
「そうなんだ? すごいね」
「うん!」
流歌が、蒼緒と紗凪と繋いだ手を嬉しそうにブンブン振る。
大好きなお姉ちゃんを自慢出来て嬉しそうだ。犬なら手の代わりに尻尾を振っているに違いない。
蒼緒は紗凪と目を合わせて微笑んだ。
それに子供だからか、軍服にも警戒しない。先程の大人たちの冷ややかな態度からすると、少し救われた気がした。
とは言え、衣蕗と雪音が〈吸血餽〉と知ったら怯えさせてしまうだろうか。それだけは心苦しかったが、傷の応急処置はしたかった。
――と、
「ねぇねぇ、あのお姉ちゃん、かっこよかったねぇ!」
不意に流歌が言った。衣蕗の事を言われ蒼緒の心臓がひょこりと跳ねる。確かにさっきの彼女は格好よかった。めちゃくちゃ格好よかった! ありえんくらい格好よかった……! しゅき! 無茶はして欲しくないけれど、やっぱり格好いい衣蕗ちゃん、しゅき!!
――とは思うが、しかし子供相手だからと、しれっと返す。
「え? あ、やっぱりそう思う? そう思っちゃった? まあ格好いいっていうか、格好いいんだよね……!」
「うん! とりゃーって、わるいおじさんやっつけてくれて、かっこよかった!」
「だ――よ――ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「お姉ちゃんもそう思う?」
「お――も――う――ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「蒼緒ちゃん、本音がダダ漏れだねぇ」
あああ、しれっと返すつもりが全然しれっと出来ていない。いやいやだってめっちゃ格好よかったし! 流歌ちゃんいい子っ!
見ると流歌の空色の目がキラキラと輝いている。
うう〜ん、美少女。最初見た時から思ってたけど、美少女。ぷにぷに美少女!
「――ね?」
そう思って紗凪に笑顔を向けると、紗凪がちょっと困った顔をした。
「いや突然、ねって言われてもさっぱりだよ……。まあ蒼緒ちゃんの事だから大体想像つくけど……」
蒼緒は可愛い生き物が大好きだった。可愛い仔犬、可愛い兎、可愛い女の子……。中でも可愛い女の子の笑顔など見ると心が尊さで溢れた。良き。最高。マーヴェラス。
なので正直、〈吸血餽〉に囲まれた生活は目の保養だった。出撃でくたくたに疲れた時も、彼女らの美しさに触れると生命力が回復した。
ていうか衣蕗や雪音は言わずもがなだが、目の前も紗凪も可愛かった。黒髪ロングヘアお姫様系美少女。おまけに僕っ娘と来た。完璧である。
正直雪音が羨ましい。こんな可愛い子とイチャイチャ吸血出来るなんて。
「蒼緒ちゃん、目が怖いよ……」
紗凪が何かを察して苦笑する。とは言え朗らかな笑顔だ。それに互いに親友と言って憚らない。不慣れな軍隊生活も彼女がいてくれて、本当に良かった。……可愛いし。
「あはは。蒼緒ちゃんは相変わらずだなあ。でもね、実はあの時、本当は先輩が助けに入ろうとしたんだよ。でもね、衣蕗ちゃんが言ったの」
「え? なんてなんて?」
なんだろう? また人間ディスかな? と言っても衣蕗ちゃんのディスりはただのツンデレだけど……。
そう思っていると、紗凪が珍しくにやりと笑った。
「『私が行く。蒼緒は私の〈花荊〉だから』って」
「っ、」
それを聞いて、蒼緒の心臓が跳ねる。
自分でも耳まで真っ赤になるのがわかった。蒼緒は私の〈花荊〉だから蒼緒は私の〈花荊〉だから蒼緒は私の〈花荊〉だから……。
「……なにそれ生で聞きたかったぁぁぁ……」
だよね、と紗凪が笑う。
「そう言った時の衣蕗ちゃん、格好よかったよ」
で――す――よ――ね――!!
「? お姉ちゃんはお姉ちゃんのはなよめさんなの?」
「あわわわわわ!」
きょとんとする流歌にあたふたする。特機内の事は機密情報だ。蒼緒は唇に人差し指を当て、真っ赤になって首を振った。
だが、ふと思い、流歌に言った。
「……いつか本当にそうなれたら嬉しいなって」
やっぱり流歌がきょとんとする。
再びその手を取った。ちっちゃな手だった。養護施設での皆を思い出す。……もうあの日には戻れないけれど。
この小さな手を守って行こう。
そう思った。
夕闇には藍色が混じり始め、夜が迫っていた。
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