5 『伯爵の来訪と、本当の目的』

「いやぁ、驚いたよ。リトルレディの振る舞う手料理食べたさに再びやって来たわけだが、まさかこんなことになってるとは」


 てっきりボナペティ食堂初の客の話かと思いきや、グロモント伯爵は配られた食堂オープンのチラシを片手に開店時間の部分を指さしていた。

 時間帯の表記ミスに気付いた伯爵は、諏訪部たちがこのことに気付いているのか心配してわざわざ急いで駆けつけてくれたらしい。

 さらに伯爵は「有能な執事」を使って、少なくともここウィスタリス内だけでも正確な情報が伝わるように手配してくれたようだ。そのおかげで――。


「最近、胃の調子が悪くてね。できれば胃に優しくて、身体が温まるものが食べてみたいんだけど」

「優しい味のお食事を、ですね。かしこまりました!」


「とにかくがっつりと! 俺はこれでも大食いでね、美味くて腹に溜まるものが食べたいなぁ! 美味くて大盛りならなんでもいいよ!」

「お腹いっぱいになるような、美味しい料理ですね! 承知いたしました!」


「私、今ダイエット中なんだけど、でも味気ないものもちょっとね……。だから栄養バランスが良くて美味しそうな、見た目から満足できそうなものとかあれば嬉しいわ」

「そういった御膳ならございますよ。健康重視の、華やかな盛り付けをさせていただきます」


 開店直後からは考えられないくらい、時間も昼頃に差し掛かった辺りでこの盛況ぶりであった。お一人様から家族連れまで、今まで食べたことのないジパング料理がどんなものなのか。興味本位と、空腹を満たすための手頃な店舗という点で客たちは足を運んでくれたようである。


「街道沿いに設けたのが大正解だね。ここは人の出入りが激しいし、民家からも少し歩けば到着する距離だ。何より昼時、究極シェフのギフテッド持ちが二人いればさばけない数じゃないが……」


 マーヤは長い時間キッチンで料理を作り続けた経験がない。コックは激戦区の中で経験を積んで来た猛者であるが、病み上がりのマーヤにとっては大変な作業であることを伯爵は心配しているようだ。しかし今か今かと料理を待ちわびる姿は、とてもマーヤを心配しているようには見えない。

 注文の聞き取り、オーダー、配膳、会計などで超多忙の諏訪部。さすがに自分自身が忙し過ぎてマーヤの体調を気遣う余裕がなかった。

 しかしオーダーする際に顔を見合わせた時には、マーヤの顔は生き生きとして実に楽しそうに見えた。疲れは確かにあるだろうが、それでも客に喜んでもらうために、自分にできる唯一のことで誰かの心を満たすことができるなら、という気持ちであふれていた。

 この場合は心というより、腹と言った方が正しいが。


「鶏と野菜が入ったたまご雑炊です。胃に優しく身体も温まりますが、初めの内はとても熱いので気を付けてくださいね!」

「まぁ、美味しそう! ケイユ鍋に似てるけど、香りが全然違うのね」


 ケイユ鍋とはアレバルニアにある鍋料理で、肉と野菜をじっくり煮込んだポトフのような料理のことである。栄養価がとても高く、本来はパンに付けて食べるのだが、味付けがとても濃いので胃もたれしやすい年配には重たい料理となってしまう。

 しかし味付けは最小限、鶏と野菜本来の旨味が溶け出した雑炊は熱ささえなんとかなれば、食事の運びが非常に良い、体に優しい料理だ。


「お待たせしました、がっつり料理です!」

「うほー、こりゃ美味そうだ! 俺の大好きな肉がてんこ盛りじゃねぇか! いただきまーす!」


 がっつり料理を好んだ体格の良い男性客には、肉々しいどんぶりものにしてみた。鶏、豚、牛といった三種の肉をふんだんに焼き、揚げ、タワーのように盛り付けた。味付けの濃いソースに、口直しとなるもやしやたまねぎといった炒め野菜も、肉とご飯の間に挟む。ボリューム満点の肉料理だ。これが若い男性客、特に学生に人気のメニューとなり、どんどん売れていった。


「こちら、和の薬膳料理にございます。豆類、野菜、魚を中心に華やかな色どりも計算して盛り付けさせていただいております。どれも低カロリーかつ栄養バランスを損なわない食材、調味としています」

「へぇ、とても綺麗! まるで芸術作品みたいだわ! 花飾りみたいな野菜の切り方もプロのクリエイターが手掛けたみたい! とても素晴らしいわ!」


 包丁技術などを必要とする部分はコックが担当した。彼は外見だけでいえばただの不良か半グレにしか見えないが、料理の腕はさすがにプロ級。ギフテッドを持っていたとしても、手先の器用さだけは長年の努力がなければここまで上達することはないだろう。


 これらのレシピは諏訪部によるレシピ検索頼みではあるが、コックだけでなくマーヤも和・洋・中の料理に関して勉強していたらしい。諏訪部が検索するより先にレシピを提案することがあった。

 あくまで定番料理でしかまだ勉強しきれていないようだが、初めて見る食材や調味料から勉強を始めているのだ。それだけでも熱心さがとても伝わる。しかも今日は初日ということもあり、これまでずっと努力してきたのだということがよくわかった。


 大盛況の中、何度も言うが今日は初日。マーヤの体調を見て、営業時間は夕方までとさせてもらった。夕食ともなればさらに人が増える可能性の方が高い。ましてや夜、酒を求める客だって増えるだろう。安全面も考慮して、ボナペティ食堂は午後三時に閉店となった。


 ***


 諏訪部はできる限り長引かないよう、食堂前に並ぶ客の人数を調整し、ほどよいところで閉店の看板を掲げる。そうすることでこれ以上延々と行列ができないように、そして並ぼうとしている客に対して「お断り」とわざわざ告げて気分を害さないように、店側ができる最低限の配慮とした。


「お疲れ様でした」

「おつかれ~」

「お疲れ様です」


 それぞれに労いの言葉をかける。初日としては上々の客入りだった。これはひとえに訂正の情報を伝えてくれた伯爵のおかげといえる。


「伯爵もありがとうございました」

「いやいや、こうしてボーイ以外の手料理を食すことができたんだ。ミーにしっかりリターンしてるからね、気にすることないよ」


 伯爵はアレバルニア屈指の美食家。美味い料理、珍しい料理があると聞けば何が何でも食べに行く。食べるためにはなんでもする。それがグロモント伯爵である。

 しっかり仕事を全うしたマーヤに対して特に褒めちぎり、また食べにくると告げた。気に入ってもらえてマーヤも喜びを隠せない。

 初めて多数の人におにぎりを提供した時のような、満足感と達成感に満たされた。

 そんなマーヤに温かい笑みを向けながら、ふと諏訪部はキッチンを見る。大量に出た食器類や調理器具の後片付けを一人でしているコックに気付き、慌てて駆け寄った。

 しかしコックは何食わぬ顔でそれを制止。でも、と食い下がる諏訪部だったが、コックはさも当たり前のことのように手を止めることなく続けた。


「スワベさんも疲れてんだろ? こっちはいいから、二人はそっちでメシ食っとけよ。俺はこういうの慣れてるから気にすんな」


 コックの言うことはもっともだった。確かに諏訪部も初めての接客にてんてこまいで、正直今すぐにでもベッドに横になりたいくらいにへとへとだ。だがそれはコックも同じはず、そう思ってもきっと彼は場を譲ったりしないだろう。

 コックへの感謝の言葉を述べようとした矢先、コックは真顔で告げる。


「あのさ、明日から二人で食堂経営なんだぞ。嫌でもこれからは二人で後片付けしなくちゃなんねぇんだから、今日くらいは俺が肩代わりしてやるって言ってんの。恩着せがましい気持ちでやってんじゃねぇから安心しろ」


 コックの宣言に諏訪部は一瞬どういうことなのか思考が追い付かなかった。間の抜けた顔をしている年上男の顔に呆れながら、コックはあごで伯爵の方を指す。


「お迎えだよ。マーヤのメシ狙いなのは事実だろうが、あの人がここまで来たのは俺を連れ戻しに来たからだ」

「えつ、そんな急に!? あ、いやでもしかし、そうだよな。いつまでもコックさんに頼り切りなのは、こっちもさすがに甘えすぎだとは思ってたけど……」

「そんなわけだから、さっさと俺の賄いメシでも食って休んでな」

「……コックさん」


 これが彼なりの気遣いなのだ。口にする言葉はつっけんどんでぶっきらぼうで、粗野な部分が目立つが言っていることは相手への思いやりであふれている。少なくとも諏訪部はコックとの長い付き合いの上で、そういう風に解釈するようになっていた。


「これが終わったら俺も好きにさせてもらうぜぇ。伯爵も今夜中に連行しようだなんて野暮なことはしねぇと思うけどな」

「……本当に今まで、ありがとうございました」

「やめろや、今すぐ出ていけって言われてるみたいで胸くそ悪いわ」


 これもコック流の照れ隠しである。彼は素直じゃない性格なので誤解を招きやすいが、それでもコックの性分を心得ている諏訪部にはきちんと伝わっていた。


「でもたまにはまた伯爵と一緒に食べに来てくださいね。特別客として歓迎しますよ」

「特別扱いか、それもまぁ悪くねぇかな」


 へへっと笑ったコックの顔は、年齢よりずっとあどけなく見えた。

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