4 『忘れられない味~さばの味噌煮定食~後編』

 諏訪部がタブレットを使ってレシピを調べ、それをマーヤに伝えて調理していく。新鮮なさばを初めて目にしたマーヤは、魚独特のギョロ目と見つめ合う。


「こ、こっち見てます……」

「見てねー。貸せ」


 なかなか捌こうとしないマーヤに、コックが手本を見せる。ここアレバルニアにも魚は普通に存在していた。幸いにもここは地球とよく似た食材が多くあるようだ。

 コックは慣れた手つきで魚を捌いていく。食堂オープン一食目がまさか魚料理だとは思ってもいなかったので、魚のおろし方をまだマーヤに教えていなかった。

 ポイントポイントで調理スピードを落とし、注意点やコツなどをマーヤに伝授していく。その様子を隣で見ていた諏訪部は、見よう見まねでそんなにすぐできるようになるものかねと思っていたものだ。

 開店するまでの期間、簡単な料理を事前に猛特訓していたマーヤ。今やってるように目の前でコックがやって見せ、その後にマーヤが同じ動きをする。驚くことにマーヤはそれを完璧にこなしたのだ。


(これが究極シェフというギフテッドの力ってやつか……)


 手際よく、まるで長年修行してきたプロの料理人のような動きで完成に近づいていく。諏訪部はあくまで補助係なので、汚れた調理器具や包丁を洗ったりお皿を用意したりと意外に多忙だった。

 ボナペティ食堂で出す料理は、お米を炊くところから全てマーヤがやっている。まだ体力に不安があるので、食べるものに関してはコックも多少手伝ったりしていたが、諏訪部は一切手出ししなかった。

 究極シェフが作るものは全て美味となる。それを一般人である諏訪部が手出ししてしまっては、味に支障が出るかもしれない。だから諏訪部は料理以外のことで大活躍するしかなかった。


「できたぁっ!」

「ま、いいんじゃね?」


 キラキラと満面の笑みを浮かべるマーヤに対し、コックは味噌煮の香りを鼻にしてしまって今にも吐きそうなくらい顔色が悪い。料理の師匠に「やりましたね!」と言わんばかりの眼差しを向けるマーヤ、コックは脂汗をかきながら親指を立ててサムズアップ。

 限界が近いかも、と察した諏訪部が仕上がった料理を皿に移しトレイに乗せていく。


「食堂オープン、記念すべき一人目のお客様にはマーヤさんがお出しするべきですよ」

「私が……」

「そりゃそうです。この食堂はマーヤさんのお店なんですから」


 頬を赤らめ、緊張と喜びの入り混じった表情でトレイを掴む。ゆっくりと、みそ汁がこぼれないように。老人が待つテーブルへと運んで行った。それを見送って、諏訪部はコックに囁く。


「吐くならちゃんとトイレで吐いてくださいね」

「わぁってら……おうふっ」


 両手で口を押さえてコックが退場。諏訪部はやれやれと肩を竦めながら、料理を提供するマーヤの背中を見守る。

 軽くやり取りして、それまでまぶたの肉でふさがっていた両目がカッと見開く。長年待ち望んだ料理が出たのだと、見た目と香りで感じ取ったらしい。

 ナイフとフォークでさばの味噌煮を食べる光景は諏訪部も初めて見るが、器用に切り取り口へと運ぶ。すっかりぼけてしまった老人かと思われたが、その食事する姿勢や所作は完璧で、料理に対する感謝の気持ちがこちらにも伝わるようだった。


「これじゃ……、サナがくれた……わしの命を救ってくれた缶詰と同じじゃ……」


 泣きながら、ゆっくりと咀嚼して食べ進める。合間にご飯やみそ汁、小鉢に入ったほうれん草のごま和え、漬け物を時間をかけてじっくり味わう。

 うんうんと頷きながら、最後まで綺麗に完食した老人は両手を合わせて「ごちそうさまでした」と頭を下げた。これはサナに教えてもらった作法なのだと、マーヤに教える。


「お客様にとって、本当に忘れられない味なんですね」


 店内が和やかになった、その直後だった。バーンと開かれたドア、飛び上がるほどびっくりしたマーヤは慌てて入り口の方へ向く。諏訪部も何事かと厨房から出て来た。


「こんなところにいたのね、あなた」


 そこには真っ白な髪をぴっちりとまとめてお団子にした、厳しそうな老婦人が仁王立ちしていた。つかつかと入って来るなり、食後のお茶をすする老人に向かって金切り声を上げる。


「また食べ歩き? いい加減にしてちょうだい! 一体いつまでこんなことを続けるおつもりなのかしら!」

「ネビュラか」

「お客様、お知り合い……ですか?」


 迫力ある老婦人相手にどうにかされるとは思っていないが、まだまだ虚弱なマーヤだ。相手が老婦人であろうと突き飛ばされかねないと思った諏訪部が、小走りで間に割って入る。


「失礼ですが、どういった御用ですか? こちらのお客様の関係者かなにかで」

「関係者もなにも私は彼の妻です! 彼はアダマンタイトグループの現会長、そして私はグループ取締役! これでいいかしら!?」


 そう大々的に紹介されるも、この世界の知識に乏しい諏訪部とマーヤは二人そろって首を横に傾げた。至極真面目な顔で「なにそれ?」という態度をされれば、かえって煽っているように見えてしまうのも仕方ない。

 終始イライラしている様子の夫人だったが、再びドアが開いてのそりと入って来る一人の紳士。横に広い体型をした紳士が「やっ」と親し気に挨拶をした後、夫人の肩に手をかけて「まぁまぁ」と宥める。


「食事をする場所は神聖なものだよ、ミセス」

「……そうは言ってもっ! ……はぁ、グロモント伯爵がそうおっしゃるなら」


 温厚な語り口調、ゆったりと構えたその紳士こそコックの恩人であり、マーヤに食堂経営を促した張本人。グロモント伯爵その人だった。


 ***


 忘れられない味を求めて方々グルメツアーと称して食べ歩いてきた、世界的偉業を成し遂げたアダマンタイトグループ現会長ことユアン・アダマンタイト。

 彼の開発したものは世界に驚きと快適さを与えた。それを夫人であるネビュラにいくつか紹介され、そのどれもが先ほどの思い出話に出て来たサナの持ち物と酷似していることに諏訪部は気付く。

 それらの開発品で財を築いたユアンであったがどうしても、もう一度あの味を口にしたいという願望は抑えられなかったそうだ。仕事中だろうがふらりとどこかへ出かけては、いくつもの料理店を訪れて魚料理を注文する。

 その度に肩を落とし帰って来ては仕事に差し支えが出る。元々やり手だったネビュラを妻として娶ったのも、彼の今後を支えられるのは並大抵な女性では務まらない。

 ユアンの将来を案じた両親による政略結婚のようなものだった。敏腕だった彼女は見事にユアンを支えたが、食べ歩きをやめない夫に対してついに堪忍袋の緒が切れたらしい。


「それは……、ユ……ユアン様に非があっても……」


 お客様第一号への擁護の言葉が見つからない諏訪部は、ぐぬぬと言わんばかりにネビュラに同調した。マーヤも乾いた笑いを漏らしながら、これまでの夫人の苦労に同情する。


「そんなわけだから、今日絶対につかまる場所をミーが提案したんだよ。オープン初日の食堂なら、世にも珍しい料理が食べられるから行ってみるがいいってね。そして夫人をここへ連れて来た、というわけさ」

(嘘だ……、絶対にマーヤさんの手料理を自分が食べたかっただけなんだ……)


 などと口が裂けても言えない諏訪部が「そうだったんですか~」と、白々しい声を出す。


「もうこれで諦めがついたというものでしょう? さ、早く帰りますよ」

「いや、違うんです! 待ってください!」

「なんですの?」


 急いで帰ろうとする夫人を引き留めるマーヤ。未だに感動に浸っているユアンを見て、彼が心から感動していた姿を思い出す。それが自分にほんの少しだけ勇気がもらえるようだった。


「ユアンさんは見つけたんです。命を救った、あの時の料理を!」


 にわかには信じられないといった風のネビュラが眉を顰める。それでもマーヤは諦めず、がんばって言葉を続けた。


「さばの味噌煮定食、この食堂のメニューに加えます! なので、お二人もぜひ食べていってください!」

「は? 私は別に食事をしになんて」

「それは楽しみだ。ネビュラ夫人、せっかくだからご馳走してあげよう」と、伯爵が乗る。

「え? いや、あのでも……?」

「二名様ご案内ですね! 今、和食に合うお茶を淹れてきますので、料理ができるまで少々お時間いただきます!」


 諏訪部もこの流れに乗って、無理やり二人を引き留めた。

 不承不承といった様子の夫人だが、向かいに座っている夫ユアンと目が合うと彼はにっこりと微笑んだように見えた。何年振りかの対面だろう、と。その時一瞬だけネビュラの心が揺らいだ。


 ***


「美味い! これは美味だ、さすが究極シェフのギフテッドだ」

「これが……、探していた味……?」


 確かに美味しい。濃い味付けの魚と、白いもちもちとした食感の穀物と相性は抜群だった。

 気が進まないといったネビュラであったが、彼女もまた食に対して不敬なことをしたりしない。あれだけ文句を言っていたにも関わらず、米粒一つ残さず綺麗に完食していた。


「確かに美味しかったけれど……。でも、こんなものを何十年もかけて探すほどかしら? ……私のことをずっとほったらかしにしてまで」


 後半の言葉は思わず出た言葉のようだが、あまりに声が小さすぎて誰にも聞き取られることはなかった。悔しい。ただその一言がネビュラの心をずっと支配していた。

 わかって結婚したとはいえ、多少の愛着は持っていた。口喧嘩は夫人が一方的に責め立てるだけで、彼から反論してきたことは一度もない。

 いつも穏やかに受け止め謝るだけで、言葉の一つでも本当に彼に響いていたのかどうか怪しいものだった。だから夫人はやり場のない怒りを仕事に当てた。キビキビと働き続け、この地位にまで上り詰めた。それでも夫人の心が達成感を得ることはない。

 行き詰っていたところに、伯爵から連絡が届いた。これを最後にしよう、と思った。

 ここで思い出の味とやらを見つけられないようなら、もう一緒にやっていくことは不可能だと。そう見切りをつけてやるところだった。帰ってすぐさま離婚届にサインしてもらうつもりで、ここまで押し掛けたのに。


「美味しいだろう? これがなかったら、わしはネビュラと出会うことも結婚することもなかった……」

「……そう」


 事実、そうなのだろう。それでもネビュラの心に響くまで、あと一歩といったところだった。空虚な気持ちでお茶をすする。彼はこれで満足したのかもしれないけれど、何十年と放置された夫人の心は愛情に飢え過ぎてすっかり干からびていた。

 そんなことも知らず、考えようともせず、彼は純粋に喜びを夫人に伝えることで夢中らしい。感動をどうしても伝えたいようだ。


「やっと、ネビュラに食べさせることができた……。わしはそれがなにより嬉しいよ」

「……!」


 一言一句聞き逃すことなく、彼の言葉の一つ一つを咀嚼する。

 私に食べさせたかった?

 それが一番の目的だった?

 あの時の味を再現させるなんて、何の情報もない状態で。唯一残された空っぽの缶詰を持ってあらゆる所で見せて探しても、決して発見に至ることなどなかったのに。


「私に……、食べさせるためだったの?」


 ぽたりと、夫人の頬が濡れた。乾いた心がほんの少し、わずかに潤う。

 こくりと頷く夫の顔はとても優し気で、いや……彼はずっと優しく笑んでいた。


「あなたの命を救った女のことが、ずっと好きだったんでしょう……? いつもイライラしてる私なんかじゃなくて……っ」

「……命の恩人ではあるが、わしはもうあの娘の顔すら思い出せん。じゃが、あの味だけは一生忘れない自信があるよ。あの娘には悪いがな、わしが一緒に美味しい料理を食べたいと思うのは……ネビュラ、お前だけじゃよ」

「……ばかね、その言葉をもっと早く言ってくれさえすれば……こんな風に思うことなんてなかったのに」

「すまんのう、わしはいつも言葉が足りんのじゃ……」


 泣き崩れる夫人の方へ歩み寄り、よしよしと背中をさすってなだめる。

 長年連れ添った夫婦のすれ違った数十年が、この瞬間をもって埋められたような。

 そんな感動的な場面に二人……いや、三人は立ち会うこととなった。


「よかったよかった。いやはや、料理万歳ですな」

「本当によかったです。私のお料理でお二人が仲良くなれて……」

「うん、まぁ……これはこれでいいのかな?」


 温かな空気に包まれている中、トイレから舞い戻ったコックが異様な光景を目の当たりにした。


「うおっ、なんじゃこりゃ!? ジジイとババアが泣いてるっ!?」


 その直後、恩人である伯爵の存在に気付いたコックはさらに場の雰囲気を壊す奇声を上げることとなる。

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