第二章 「ようこそ、ボナペティ食堂へ!」

1 『オープン初日』

 幸いにもよく晴れた初日だった。

 準備まで想定より早く終わらせることが出来たのは、ひとえにレストラン経営のプロであるボナペティ夫妻の協力あってのことだろう。

 諏訪部の主な仕事は食材提供、そしてあくまでマーヤのサポート係。その諏訪部ですら飲食店の経営などしたことがない。地球、とりわけ日本に現存する飲食店に関する知識しかなかった。

 それはそれでイケるかもしれないという自信もあったが、奇をてらいすぎてこの世界の客層に合わなかった場合をどうしても考えてしまう。あくまでアイデアとして、ほんの少し提案する程度にとどめた。

 だが諏訪部のアイデアは思いのほかボナペティ一家に好評で、全てとは言わずともいくつか採用された。それでも最低限、この世界の在り方を第一として諏訪部のアイデアは取り込まれた。

 立地、建物の外観、お店の雰囲気を損なわないように。


「私、これ好きです」


 マーヤは嬉しそうに絶賛した。

 諏訪部のアイデアのひとつに、のれんがあった。ここアレバルニアは近世から現代のヨーロッパに近い世界様式で、当然日本にあるようなガラス戸や木戸といったスライド式のドアはほとんどみかけない。

 かといって開き戸式の洋式ドアにのれん、というのもおかしな話だ。諏訪部が参考にと持ってきた、日本の定食屋などの外観が掲載された雑誌をマーヤに見せたところ、その雰囲気がとても気に入ったらしい。


「特にこの、のれん……? そこにお店の名前が刺繍されてるのが、すごく良いなって」


 正確には刺繍ではなくプリント技術なのだが、そこはひとまず置いておく諏訪部。出来る限り店主兼、調理係となるマーヤの要望には応えたい……という気持ちが働いた。ボナペティ夫妻の出番となったわけだ。

 そうして出来上がったマーヤのお店は、さながら明るく可愛い定食屋……という雰囲気に仕上がる。


 店名もすでに決まっていた。

 マーヤと諏訪部、二人で考えた『ボナペティ食堂』がようやく開店する。

 初日、門出、ということもあり、ボナペティ食堂には臨時でもう一人店員がいた。

 大あくびしながら、肩ひじついて眠そうにしている。


「コックさん、あからさまに暇そうにしないでもらえますかね」

「実際ヒマじゃん?」


 即答したコックに、諏訪部はお店の入口で今か今かとお客を待っているマーヤを慌てて見る。それからキッチンの奥に引っ込んで、マーヤに聞こえない程度の小声で注意した。


「初日なんだから仕方ないでしょ! そういうこと大きい声で言わないでください!」

「いや、初日だからこそ客が押し寄せてくるもんだろフツー」


 ぐっと口ごもる諏訪部。コックが言うことはごもっともだ。

 ボナペティ食堂オープンの宣伝はしっかりしたはずだった。それはレストラン経営で大成功を収めているボナペティ夫妻の助力もあって、広告チラシなどを色んな場所にバラまいてる。

 もっと言うなら全国展開している夫妻のレストランにも告知を依頼して、立ち寄る余裕のある人はぜひとも……と触れ回ってさえいたのだ。

 それでこの閑古鳥状態では、コックが退屈するのも無理はない。


「なぜだ……? どうして初日でこんなにもお客様が来ないんだ!?」

「あんたがそれ言うのかよ」


 宣伝効果が現れていないのか、それとも異国の食材を扱った料理というものがこんなにも敬遠されるものなのか。諏訪部は頭を抱える。

 自分なら初めて見る食材、初めて見る料理を出しているお店があれば、それが一体どんなものなのか。美味しいのか、話題のタネとなるか、色々な期待をしながら足を運ぶだろう。

 それともこの世界の住民は、得体の知れない食材や料理に対して警戒心がとても高いのだろうか?

 いや、それはないだろうと首を振った。それならプロであるボナペティ夫妻が意見するはずだ。それがないということは、成功する糸口は必ずあるはずだ。失敗する理由や原因だってすぐにわかるはずである。

 とにかく初日からお客ゼロという状態は良くない。そう思いながら諏訪部は入口でずっと立って待ち続けているマーヤの背中を見つめる。もう何時間もあの状態だ。

 さすがに体に障ると思った諏訪部が丸椅子を持って行って声をかけた。


「マーヤさん、疲れませんか?」

「大丈夫です」

「ずっと立ちっぱなしじゃ、いざお客様が来店した時に美味しいお料理を作れなくなっちゃいますよ? ほら、せめて座りながら待ってもいいんじゃないですか」

「……作れなくなるのは、困ります。確かに」


 思い詰めた表情、疲れた顔色のマーヤに丸椅子を差し出して、そこにちょこんと座る。

 マーヤの体調は随分良くなった。激しい運動は未だに控えているが、一時間の散歩程度なら出来るようになるまでに回復している。

 それでも疲れは禁物だ。何より開店直後からお客ゼロという状態は、身体だけではなく心に相当の負担を強いるはず。

 諏訪部もまた小さくため息をつきながら、マーヤの隣で周囲を見渡す。

 街道の往来は珍しくゼロに等しい。諏訪部がお店の二階に住み着いてだいぶ経つが、往来がなかったのは思い返してみればここ数日前から突然のこと。特にそこに疑問視したことはなかったが。


(まさか街を出た先の街道で何かあったのか?)


 もしかしたら倒木などといった事故で、道が封鎖されている可能性も。


(さすがに事故までは想定出来ないぞ? どうする、様子を見に行った方がいいか? いや、オレが席を外した直後にお客様が来店したら?)


 マーヤは接客経験ゼロ、コックはグロモント伯爵の経営するレストランで働いてはいるが、こんな見た目が完全に反社のような男に接客を任せて良いのか。

 少しテンパってしまった諏訪部は無意識に、コックに対して失礼な想像をしていたことすら気付かない。

 そんな時だ。


「あっ! い、いらっしゃいませ!」


 マーヤの緊張マックスで上ずった声が聞こえた。

 諏訪部も反射的に「いらっしゃいませ!」と声を掛けるが、見ると目の前にはよぼよぼのおじいさんが震える手でボナペティ食堂の広告チラシを差し出している。

 初めてのお客に舞い上がったマーヤが、丁寧にお辞儀をしながら差し出されている告知に目を通す。その瞬間、マーヤが大声を上げた。


「大変です、スワベさん!」

「えっ? な、何がですか?」


 マーヤの大きな声は非情に珍しい。いつもウィスパーボイスで、耳をそばだてないとはっきりと聞こえないことが常だ。マーヤはおじいさんに「ちょっとすみません」と謝りながら広告チラシを受け取り、それを諏訪部に見せた。


「オープン日時、夜の九時になってます……っ!」

「ええええ!?」


 チラシを作った犯人はもちろん諏訪部だった。

 朝九時から営業開始としていたはずが、アレバルニアの時間表記を誤っていたということが今ここで判明する。

 これで全ての合点がいった。


「つまり店がすっからかんだったのは、ぜ~んぶスワベさんのせいだったってわけだな」

「す、すいません……。しっかり確認したはずだったんですが……」

「いえ! 私もチェックしたはずなのに見落としていたんです。スワベさんだけが悪いわけじゃ」

「ご飯はここで食えるんかのう……?」


 わちゃわちゃと言い合いをしている中、おじいさんのよれよれにしわがれた声はかき消される。

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