1−24 『作る喜び』

 ご飯が炊き上がるまでの間、おにぎりの中に入れる具材を一つ一つ味見していくマーヤ。

 どれもこれまで食べてきた料理と違って味が濃い。健康に気を遣ってきた食事をしてきたマーヤにとって、それはとても刺激が強かったようだ。


「おにぎりの主体となるご飯自体の味付けは、少量の塩だけを使いますからね。中身の具材はどれも味が濃いんです。具材の味が濃いのでご飯がより進みます」


 そう説明しながら、諏訪部は心の中で「もっとも塩むすびがシンプルで一番美味しいんですけどね」と付け加えていた。もちろんポピュラーでシンプルな塩むすびも用意するつもりでいるのは言うまでもない。

 諏訪部はおにぎりの作り方をまず口説明していく。最初にイメージトレーニングをしておくことで、いざ作り出す時に熱々の米を手にしたまま戸惑うことがないようにする為だ。


「おにぎりのプロの作り方は、氷水で手を冷やしておいて、熱々の米を手にした瞬間に軽く成形するんです。そうすることでふんわりとしたホクホクのおにぎりが出来るんですけど。それはあくまでプロの作り方なので、マーヤさんはそこまで本格的にこだわる必要はありません」


 家庭で作るように、ほんの少しの水で手に米がこびりつかないようにする。手のひらに塩を振り、両手を軽く合わせて塩をまんべんなく広げる。米を手に乗せ平らにし、その真ん中に具材を乗せる。米で具材を包み込むようにして、軽く握って成形する。


「力を入れすぎないように、でも握ったおにぎりの形が崩れないように。力加減が命です。最初は力加減を気にせずに、成形することを重視したらいいですよ。初めてなんですから」

「だから『おにぎり』なんですね」

「そうそう」


 イメージトレーニングなので、手のひらには何もない。それでも米を握っているよう想像して、転がすようにぎゅっぎゅっとおにぎりを作る。

 究極シェフのギフテッドを持つプロの料理人でもあるコックでさえ、横で同じようにイメージしながらおにぎりを握る仕草をしていた。究極シェフといえど、それは調味工程などで遺憾無く発揮されるだけであり、技術面では長年の修行が当然必要となる。作ったことのない料理、したことのない動きは見よう見まねで学ぶ必要があるのだ。

 いくつか練習したところでピーッという機械音が鳴る。米が炊けたので、いよいよ本番だ。


「それじゃあ、さっき言ったようにやってみましょう。失敗しても取り返しがつかないことはありませんので、いくらでも練習してください」

「はい! 頑張ります!」

「ほんじゃやってくかー」


 まずは諏訪部が手本として、最初に一個目のおにぎりを作って見せた。多少は自炊もするので、おにぎり作りに失敗することはない諏訪部。米の熱さに慌てつつも、手際よく梅おにぎりを作り上げた。


「すごい。なんだかスワべさんの手の中でおにぎりが踊ってるみたい……!」

「へぇ、やるじゃん」

「まぁ……、私の故郷ではおにぎり作れない人なんて滅多にお目にかからないですけどね」


 それほど日本人にとって知らぬ者なしのお手軽料理なのだと、諏訪部は自慢することなく正直に述べた。

 続いてコックが挑戦する。これはさすがプロの料理人と言ったところだろう。熱さに対して戸惑うことなく、平然とした顔で難なくこなした。コックが選んだのは昆布の佃煮。


「まぁ確かにこれなら簡単だし、料理と言えなくもねぇかな」

「休日のお昼によく出てくる定番料理ですからね。あと運動会とかお弁当なんかにもよく入れますね」

「運動……会?」

「あぁ、私の故郷にある学校行事のことです。いわゆるスポーツ大会ですよ」


 そんな雑談も交えつつ、次はいよいよマーヤの出番だ。

 火傷をしないように氷水でしっかり手を冷やして、さらに米も少しだけ冷ましておく。手のひらに塩を付けて、次に両手のひらを合わせて水をすくう形にし、諏訪部に米を盛ってもらう。具材は諏訪部が乗せた。


「どれにしますか」

「えっと……、それじゃこの……おかかを」

「はい、おかかですね」


 大さじ一杯程度を乗せ、ゆっくりと米でおかかを包み込む。

 ニチャ……。


「え……?」


 握り返す度に、ニチャニチャという音がした。明らかに諏訪部やコックが作った時と違うことに、マーヤは動揺して諏訪部の顔を覗き込んだ。説明通りにしたはずなのになぜ、といった風に顔色がみるみる青ざめていく。


「あぁ、水を払わずにやっちゃいましたか。すみません、よく見てなかった私のミスですね」

「お水……」


 逡巡して、マーヤはあっと声を上げた。そういえば氷水に両手を浸した後、シンクに水をパッと払うこともタオルで軽く拭き取ることもしていなかったことに気付く。

 ぐっしょりと濡れた手で米を握った為に、出来上がったおにぎりはヌメヌメとした状態で小皿に置かれた。


「まぁこういうこともよくあるんで、気にせず次行きましょう」

「……はい」


 思っていたより難しい、とマーヤは感じた。それまで諏訪部やコックから「とても簡単な料理」と聞かされていたので、マーヤはすぐに成功するものだと思っていたのだ。それ以上に、自分には究極シェフのギフテッドがあるから失敗することなんてないという自信が心のどこかであったのかもしれない。

 ギフテッドの上にあぐらをかいていたのかもしれないと思うと、自分の傲慢さに恥ずかしくなるマーヤ。


(こんなことで挫けちゃいけない。私は……、お父さんやお母さんから期待されてる。何も出来ない私に残されてるのは、きっとお料理だけ……。ギフテッド頼りだけど、技術は練習しないと身に付かないんだわ……)


 コックを見る。黙々と、次々とおにぎりを作り上げていく彼の姿を見て確信した。

 

(コックさんも、私と同じギフテッドだけど……これまで一生懸命、たくさん練習してきたから。だからこうやって美味しいお料理が作れるようになってるのよ。コックさんは私と違って、もっとたくさん努力してきたんだわ)


 究極シェフのギフテッドを持ち、さらにはプロの料理人として腕を磨いてきたコックでさえおにぎり作りにこれだけ真剣に練習している。その姿にマーヤは感銘を受けていた。

 そしてマーヤは自分に出来ること、自分にしか出来ないことを再確認する。

 同時にそれは、マーヤにとってこれから目指す目的として意思を固くするに至った。


(私には何もない、何の取り柄もない……。だけどこうして究極シェフというギフテッドを持って生まれて来たことには、きっと意味がある)


 もう一度おにぎり作りに挑戦する。

 今度は手をびしゃびしゃにしないように、工程をきちんと守る。


(ギフテッドをアテにするわけじゃない。自分の努力で、美味しいお料理を作れるようになりたい……!)


 米を盛ってもらい、ツナマヨを乗せてもらう。

 ゆっくりと米で包み込み、優しく握る。転がすように、踊らせるように。


(食べることが好き。美味しいお料理を食べると、とっても幸せな気持ちになれる。色んな食材の、調味料の味を味わって、食感を楽しんで、飲み込んだ時に胃袋が満たされると心まで満たされるような気持ちになる)


 今度はぐちゃっとした音はしない。程よく艶めいたおにぎりが出来上がる。

 そこへ海苔を巻き、お皿の上にちょこんと乗せると可愛らしいボールのようなおにぎりがにっこり笑っているように見えた。


(それはきっと、私だけじゃない。美味しいお料理を食べれば、みんな同じように幸せな気持ちになれると思う。だから……!)


 何度でも作る。何個でも作る。

 具材を変え、おにぎりの形を俵形や三角形に変えて作り続ける。

 形を変えるだけで、海苔の巻き方を変えるだけで、おにぎりという名の料理は色んな個性を持って生まれていく。

 それはまるで人のようでもあった。色んな顔、色んな髪、色んな体型。人という同じ名前の種族でも、全く別人としてそこに存在するように。

 作れば作るほど、また違う顔をしたおにぎりが出来ていく楽しさに気付いていく。


(この喜びを、みんなにも感じてもらいたい。私の作るお料理で、みんなの心を幸せにしたい……!)


 料理は、楽しい。

 作るって、こんなにも楽しいんだ!


 今まで食べるばかりだったマーヤは、作る喜びを、楽しさを感じていた。

 これまで難解な問題を解くように引きつった表情を浮かべていたマーヤの顔は、だんだんと晴れやかな笑顔となって無我夢中におにぎりを握り続ける。

 一升という大量の米があっという間に消費されていった。


 数十分後……。


「で?」

「はい……?」


 調理台の上に置かれた複数の大きな皿に、大量のおにぎり。それらを呆然と眺める男二人。


「練習したのはいいとして、これどうすんのか考えてたか?」

「……いえ、練習することで頭一杯で……その……何も考えてませんでした……」


 ひょいと自分で作ったおにぎりを口に運ぶコック。含んだ瞬間、青い顔に。急いでコップに水を注ぎ、口に含んだおにぎりごと丸呑みした。ふぅと息を吐いて、この大量のおにぎりを食べて消費するのは無理だと両手をクロスさせバツマークを作るコック。

 ですよね……と言わんばかりに諏訪部もまた、もしゃもしゃとマーヤが作ったおにぎりを食べ始めた。

 途端だ。


「!?」


 まるで雷でも直撃したような衝撃を受けた。


「美味ああああああ!!」


 奇声を発するように諏訪部が叫んだ。

 ギョッとしたコックとマーヤをよそに、諏訪部は自分でも信じられないといった風に次々とおにぎりを口の中に放り込んで行く。


「美味っ! 美味っ! 何ですかこれ!? これ本当に俺が知ってるおにぎりですか!? こんな美味しいおにぎり生まれて初めてかもしれません! 美味しすぎて食べる手が止まらないいい!!」

「お、おい……。スワべさん、どしたん?」


 さすがのコックもドン引きして眺める。

 しかし暴食の魔人と化した諏訪部は、どれもこれも、主にマーヤが作ったおにぎりを貪り続けた。


「マーヤさん! これ本っ当に美味しいですよ! 同じ食材を使ったとは思えません!」

「えっ、そう……なんですか? 私が作ったおにぎり、美味しいですかスワべさん?」

「美味しいなんてもんじゃないですよ! この絶妙な塩加減、握り具合、大きさ! 初めてとは思えない出来栄えです!」


 キラキラとした笑顔で褒めてくれる諏訪部の言葉に、マーヤは胸が熱くなった。

 自分の作った料理で誰かを幸せにしたいという思いが、今目の前で叶っている。そう思うと嬉しくてたまらなかった。そして何より、ずっとお世話になっていた恩人である諏訪部に笑顔で食べてもらっている。

 そのことがマーヤにとって非常に大きな出来事だった。


「よかった……。美味しいって言ってもらえて、本当に……」


 嬉しいはずなのに涙が出てくる。

 出来ることなら諏訪部やコックの前で涙なんて見せたくなかったマーヤだったが、嬉しくて涙が止まらなかった。しゃくり上げながら、自分もおにぎりをパクリと口にする。


「……美味しい、けど。スワべさん、大袈裟ですよ」


 マーヤにとって諏訪部やコックが作ったおにぎりも、自分が作ったものとあまり差はないと感じている。

 それでも今だけは別にいいと思えた。初めて作った料理が、こんなにも人を感動させることが出来ている。

 その事実だけで、今はそれだけで胸が一杯になる。

 

 自分が掲げた目標は、間違いじゃなかったと確信出来た。

 

「私、もっとたくさん練習します。そしてみんなが笑顔になれるような、とっても美味しいお料理を作って喜んでもらえるように!」


 そしていつか、子供の時の夢を叶えたい。

 

 自分の手作り料理を家族に食べてもらうこと。

 みんなに美味しいって言ってもらえるように。


 カーラやニアが自分のことを嫌っていても、自分の手作り料理は好きになってもらいたい。

 食べることは美味しい。食べることは楽しい。

 料理を作るって、とっても楽しくてわくわくする。

 食べてもらう時のドキドキ、美味しいって言ってもらえた時の喜び。

 こぼれる笑顔、あふれる食欲。

 この手で全部叶えられるようにーー!


 そう、落ち込んでなんかいられない。

 悔しくて悲しくて泣いている場合じゃない。

 

 私は私の好きで、みんなに好きになってもらいたい!

 私の作るお料理を、みんなに届けたい!

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