1−23 『初めてのお料理』

 その日、ボナペティ家はそわそわとした空気に包まれていた。

 いつも経営しているレストランへ足繁く通い、オーナーとしての業務で多忙だった両親が、珍しく今日だけは休暇を取っている。それほど「この日」を楽しみにしていたという証だ。

 屋敷で働いている使用人の中にも、定休となっていた者がわざわざ顔を出しているほど。


「だって、こんな素敵な企画。参加しない方が無理ってもんですよ!」


 そう言って、まるで何かのお祭りのようにはしゃいでいる。仮にも主人の屋敷、礼節をわきまえよとメイド長が注意しようとするも、それをロイド・ボナペティが制する。


「構わんよ。今日は記念すべき日となるんだ。皆も仕事のことは忘れ、大いに楽しんで欲しい」

「そうね。その方がマーヤも安心出来るかもしれませんもの」


 にこやかな夫妻に対し、居心地悪そうに座している姉カーラと弟ニア。

 二人は特別仲が良いわけではないが、マーヤに対して毛嫌いしているという一点においてのみ、いつの間にか結託していることになっている。言葉を交わさなくても、自然と態度が、空気が、二人の距離をわずかに縮めていた。


「全く……。なんで私まで参加しなくちゃいけないのよ」


 心底嫌がるような表情で、カーラは隣に座っているニアにだけ聞こえるように呟いた。嫌でも耳に届くので、ニアはうんざりとした顔になる。なぜいちいち口にするんだろうと、どうせ共感を得たくてわざわざ口に出しているだけなのだとわかるからこそ、カーラのことが少々面倒に感じるニア。

 だがここで無視すると余計に絡んでくることは、これまでの経験で十分に理解していた。だからニアは、嫌でもカーラに答えなければいけない。下に生まれたせいだ、とニアは心の中で叫ぶ。愚姉のように、口になんて決して出さないが……。


「アレが家族に手料理を振る舞う、って企画なんだから。僕達が参加しなきゃおかしいでしょ」

「健康になったかと思えば今度は手料理ですって? ギフテッド様々ね、はいはい」


 小声で嫌味ったらしく吐き捨てるカーラ。このような態度はニアの前でしかしない。両親にも、そして屋敷で働く者にもこのような態度は決して見せない。自分は常に清楚可憐なレディとして、皆の目に映っていなければいけないのだ。


「時間まであと少しだな」と、ロイド。

「スワべさんの故郷、ジパングの郷土料理ですって。楽しみよね、あなた」


 伯爵から念押しされていたが、それでも食材や料理への探究心が人一倍強いボナペティ夫妻。ここぞとばかりに、地球産の食材を口に出来る絶好の機会ということで、逸る気持ちが抑えられないといった風だ。

 もちろん愛娘であるマーヤが、目覚めてから初めて作る手料理なのだ。それが楽しみだというのも本音であることは間違いない。

 一人の親としてか、レストランオーナーとしてか。

 どちらの気持ちが勝っていようと、マーヤ達には関係ないところだ。


 マーヤは自分で料理を作れる喜び、そして家族に手作り料理を振る舞える喜び。

 その両方を今日実現出来ることが、何より嬉しくて仕方がなかった。


 諏訪部とコックは、マーヤに成功体験をさせることで自信を持って欲しいという目的。

 それさえ達成出来ればそれでいいのだ。


 この企画が実現するまで、少しばかりの一悶着があったことはーー今ではいい思い出となっている。


 ***


 数日前。


「はぁ? これをマーヤに作らせるつもりなのか?」


 自信満々に出したのは、諏訪部作のレシピ本。それを見るや否や、コックは開いた口が塞がらなかった。

 今回マーヤに作ってもらおうとしている日本料理。材料はコックが思っていたより多く感じられるが、それはあくまで「材料が多いだけ」で「それらを使って料理する」という意味とはまた少し違っていた。少なくともコックの認識としては、だが。


「いや、これ……料理って言えねぇだろ」

「れっきとした料理ですよ。少しでも手を加えれば、それは立派な料理なんです」


 キッパリと言い張る。諏訪部もこればかりは断固として引かなかった。何よりもう材料は揃えている。ここで料理を変更したら、揃えた食材が勿体ない。だが本当に引かない理由は、この料理に対する諏訪部の強いこだわりにあった。


「地球には数多くの国が存在します。その中で日本という国が、俺の生まれ育った場所。日本料理の伝統でもあり、日本人の心を体現するには、この料理以外に有り得ないんですよ。俺は、ですけど……」

「……いや、でもこれ……握るだけじゃん」

「手順が簡単とはいえ、実はとても奥が深い料理なんです」


 いつも腰が低く、媚びるような笑顔を浮かべてばかりだった諏訪部。それがことこの料理に関しては、自信たっぷりに、実に堂々としていた。それだけ故郷の料理を誇っているのだろうと、コックは怪訝な顔になりながらも納得する。

 そこへ遅れてマーヤがキッチンに入って来た。


「遅くなってすみません! お母さんの手作りエプロンが、ついさっき仕上がったばかりで」

「お母様の手作りですか。それは嬉しいプレゼントですね」


 貴族と大差ない裕福な家柄なので、てっきり華美なエプロンでも仕立てたのかと思っていた諏訪部。しかし見てみると、それはさすが料理研究家と名乗るだけある。女の子に着せるエプロンということで、様々な箇所にフリルなどが大量に付いているのかと思いきや、ごくシンプルなエプロンを着ていて目を瞠る。

 油汚れや調味料が誤ってエプロンに付いても、目立たないよう紺色の生地が使われていた。利便性を重視しているのか、用途によって使い分けられるよう大小サイズのポケットがたくさん付いている。


「お母さん、服を作ったりするのは苦手なのに。コックさんやスワべさんから話を聞いて、すぐにエプロンを作ろうって思ったみたいで」

「普段からお忙しいのに、マーヤさんの為に時間を作って仕上げてくれたんですね。だったらそのエプロンのお礼に、マーヤさんが手作り料理をご家族に振舞って喜んでもらわないと」

「……はい! 頑張ります!」


 いい笑顔だ、と諏訪部はそれだけで満足になりそうだった。

 少し前まで顔色が悪く、何をするにもゆっくりとした動作でなければ危なっかしかったあの少女が。今では血色の良い顔色になって、元気に声を出せるまでになっている。


(そうだった。初めて会った頃なんて、超ウィスパーボイスで聞き取るだけで精一杯だったんだよな……)


 なんて感慨深いんだろう、と胸が一杯になっているところでコックが足蹴りを食らわせる。


「いつまで感傷に浸ってんだよ。さっさと始めるぞ」

「……はい」


 コックはレシピを見ながら、諏訪部は記憶のままにマーヤに今回作る料理の説明を始めた。


「今回マーヤさんに作ってもらうお料理は、私の生まれ故郷の伝統料理でもある『おにぎり』というお料理です」

「おに……ぎり……?」


 諏訪部が本社から取り寄せた一升炊き用の炊飯器、そして各種取り寄せたおにぎりの中に入れる具材、海苔、調味料など。

 マーヤには白米を炊くところからやってもらうつもりだった。


「私の故郷の主食であるお米は、もうすっかりお馴染みですよね」

「はい。もっちりしていて、ほかほかにあったかいご飯はとっても美味しいです」


 元々お米は精米された米を水洗いして、米の分量に見合った水を入れ、炊飯器で炊き上げて……。そうして初めて、いつも食べているご飯になっていることを説明した。さすがに諏訪部自身、炊飯器以外で作る方法でもある土鍋や、アレバルニアにある鍋で出来る気がしない。何より今回はボナペティ一家だけのつもりが、いつの間にか屋敷で働いている使用人のほぼ全員に作ることになってしまっている。

 それでは鍋がいくつ必要になってくることやら。火加減や炊き加減も気を付けなければいけないので、初心者である諏訪部やマーヤには荷が重いと判断した結果が、本社から取り寄せた一升炊きの炊飯器なのだ。

 これなら大人数に対処出来るし、炊飯している間に他の準備もこなせる。場合によってはすぐに第二弾を炊くことも可能というわけだ。


「お米を研ぐ時は、力を入れ過ぎずに。冷たい水でさっと下から上へ、円を描くようにかき上げてください」


 大きなボウルにまずは一升の半分、五合分の精米を入れる。そこに水も入れて一生懸命かき混ぜるマーヤ。

 細く白い腕が、頼りなく円を描く。水の浮力でなんとかお米をかき混ぜられているが、水の量が少なかったらお米の塊でマーヤの細腕が折れてしまわないか、少し不安になってしまう。


「わわっ、お水が真っ白になってきてますけど! これ、全部汚れなんですか?」

「この濁りは米粒同士が擦れて、水に溶け出したでんぷんと気泡によるもの……だとよ」


 コックが諏訪部に渡されていたレシピ本を見ながら答えた。

 諏訪部も白く濁っているものが具体的に何なのか。そこまで詳しく知っているわけじゃなかったので、事前に調べて書き起こしておいて良かったとホッとしている。レシピには作り方だけではなく、コックやマーヤが疑問に思いそうなことを補足として書き加えていた。

 教える立場となるからには、出来る限り答えられるようにしておかなければ。そういった思いで色々と書き加えていく内に、おにぎりのレシピは小冊子レベルにまで分厚くなってしまっていた。


「一回目に研いだ水はすぐに捨てろってさ」

「私、かき混ぜ過ぎましたか!?」

「大丈夫ですよ。さ、私が持ってきたボウルには水切り穴がありますから。ボウルを傾けて、ゆっくりと水を切ってください」

「お、重たい……」

「大丈夫ですか?」


 マーヤの細腕でも持ち運び出来るよう、半量にしておいたが。それでも腕の筋力がまだか弱いマーヤには重たかったのだろう。水も入っていればなおさらだ。諏訪部は反射的にマーヤに寄り添ってボウルを持ち、二人で一緒にゆっくりと水切りしていく。


(ち、近い……)


 諏訪部との距離が近くなったことに戸惑うマーヤ。

 せっかくお米の研ぎ方を教えてもらっているのに、変なことを考えてはダメだと自分に鞭打つ。首を左右にぶんぶんと振って、変な気持ちを取り払おうとする。そんなマーヤの仕草を見て、諏訪部はちょっと馴れ馴れし過ぎたのかもしれないと反省しながら、ゆっくりと距離を離していく。


「えっと、この調子で米研ぎ……していきましょうか」

「は、はい……っ!」

「顔が赤いぞー」

「コックさん! やめてくださいっ!」


 もう半分は隣でコックが一人で米研ぎをし、二人分合わせたお米と適量の水を一升釜に入れて、炊飯器にセットする。使い方もマーヤに説明して、本人にスイッチを押してもらう。半分手伝ったとはいえ、一通りの工程はマーヤ一人で出来るように。


「早炊き設定にしておいたので、三十分あれば炊飯完了です。その間に、おにぎりの具材の説明とその他の準備をしておきましょう」


 諏訪部の好みは、おにぎりの具材は中に入れること。その前提で具材を揃えた。

 梅干し、ほぐし鮭、ツナマヨ、昆布の佃煮、おかか、焼きたらこ。

 アレバルニア人の食の好みに関してはまだ勉強中なので、念のためいくらやネギトロといった生の食材は避けておいた。その中でもおにぎりの定番具材、火の通ったものを中心に。

 ほぼ諏訪部の好きなおにぎりの具材ランキングに近いところではあるが、それは今ここで明かす内容ではない。

 あとはおにぎりを食べる当人達の好みにもよる。このどれかは必ず気に入ってもらえるに違いない……と、諏訪部は祈る気持ちだった。

 人の好みは千差万別。コックのような人間がいるのだから、万人受けするだなんて思わない。

 ただこれは、全てマーヤの為に準備したものだ。作る料理がおにぎりであることも、きちんと理由がある。


「マーヤさんが、日本のお米が大好きって……言ってくれましたから」

「? スワべさん、何か言いました?」

「いいえ、こっちの話です。それではおにぎりの中に閉じ込めてしまう前に、まずは使われるそれぞれの具材の味見をしていきましょうか」

「食べていいんですか!?」

「当たり前です。お米と一緒に食べた方が美味しいですが、それぞれ単体でどんな味がするのか。きちんと知っておきましょう」

「わかりました!」


 諏訪部もコックも知らなかった。

 マーヤがここ数日の間、心から笑えていなかったことを……。

 そして今日久しぶりに……。

 マーヤは日々の辛いことを心の奥底にしまい込んで、やっと心から笑顔になれたことを……。

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