1−22 『これからの為に、今出来ることを』

 コックの部屋はボナペティ家の一階、東側の奥にある客室をあてがわれている。

 個室となってるその部屋は、ホテルの一室と遜色なかった。室内のインテリアに関しては簡素だが、トイレやシャワー室が完備されている。

 ワンルームとなる個室にはシングルベッド、カフェテーブル、そして質素に見えないように簡単な装飾品や観葉植物などが揃えられていた。カフェテーブルの大きさから、食事などは食堂で食べることが前提のようだ。


 コックと諏訪部はカフェテーブルで向き合い、互いに資料を見ながら打ち合わせをする。そして用意されたお茶は二種類。諏訪部には麦茶が、そしてコックは苦丁茶くうていちゃをぐびぐびと平気な顔で飲んでいる。

 苦丁茶は地球産のもので、世界一苦いお茶として有名だ。世界的には、数種類の植物の葉が苦丁茶として飲まれている。主なものは二種類あり、苦丁茶として飲んでいるのは中国と日本が中心だ。健康茶として有名ではあるが、その強い苦みから罰ゲームなどでよく使われたりする。

 諏訪部も一口だけ飲ませてもらったが、苦すぎてとても飲める気がしなかった。それでもコックは実に美味しそうに飲み干し、おかわりまでする始末。それを呆れた表情で眺めつつ、コックの了解の声で我に返った。


「ま、こんなもんだろ。そろそろ健康重視のメシばかりじゃなくて、美味さ全振りのメシを出してもいい頃合いじゃね?」

「一般的な美味しさのこと、言ってますよね?」

「たりめーだろ」


 ホッと胸を撫で下ろす。散々コックの異常なまでの味覚センスに、諏訪部はアレバルニアの人間全員がみんな同じなんじゃないだろうかと何度疑ったことか。

 安堵の表情をする諏訪部を横目に、コックはいつものむすっとした顔でぼやく。


「俺の場合は特殊なの。育ちがアレだからな、今さら味覚が正常に戻ることはねぇよ」


 諏訪部は目を丸くした。コックが自分のことを語るなんて、初めてのことだからだ。これまでもリピート商品のお得意様として長く接してきたが、ほとんどがタブレットを通してのやり取りだけだった。

 しかしこの世界に越してきて、コックと顔を合わせる機会も増え、会話も増えた今。友人関係とまではいかなくても、だいぶ打ち解けて話が出来るようになっていた。諏訪部の正体、事情を知っている身近な人間はコックとマーヤだけだ。そのせいもあるかもしれないが、諏訪部もまた自分の抱える悩み事などをいつの間にかコックに話すようになっていた。それだけお互い、距離が近付いている証拠なのかもしれない。


「……スラム街出身、でしたっけ」


 安易に触れていい話題かどうかわからない。だが諏訪部は上得意であるグロモント伯爵から聞いたことがある。

 彼の過去を、ほんの少しだけ。だがそれに関して本人と話したことは当然一度もない。他人のプライバシーに踏み込むなど、営業マンとしては御法度だ。

 だが今は……、諏訪部はコックのことを親しい者として話しているつもりだった。

 しかし目は合わせようとしてくれない。コックはいつもそうだ。いつも他人とは距離を置いている。フランクに、雑に、気軽にしゃべっているようで、実はしっかりと心に鍵をかけていた。踏み込むなと、彼の目が、表情がそれを語っていた。


「スワべさんが伯爵にどこまで聞いてんのか知らねぇけど、俺はスラムで残飯ばかり漁るような毎日を送ってた。この味オンチはそのせいだよ。不味いモン食ってる内に、体がそれを欲して生き延びようと……順応しちまったんだ」


 諏訪部は黙って聞く。恐らく彼がこんな風に自分の過去を語ることは、この先一生ない気がしたから。

 コックは自分の頭をわしわしと掻きむしり、バツの悪そうな顔をする。


「あーもう、俺の話はいいんだよ! マーヤの件だろうが!」

「あぁ、そのことなんですけど。さっきそこでマーヤさんのお姉さんに会いまして、少し話を」

「……時間に遅れたのはそのせいかよ。スワべさんが遅刻するなんて珍しいって思ってたんだ」

「時間厳守を心掛けて、早すぎる位の気持ちでいつも行動をしてたんですが……。すみません」


 平謝りする諏訪部に、コックは先を促した。

 話したい内容はそこじゃないだろ、と急かすように。


「複雑な家庭環境であることはわかりました。どんな事情があって、どんなもつれ方をしてるのかまでは。さすがに現状ではわかりかねますが」

「でもま、別に家族みんなが仲良しなとこの方が逆に珍しいだろ。マーヤに危害を加えるわけじゃねぇし」

「う〜ん……、だけどなんかちょっと引っ掛かるというか」


 本当にそうだろうか。それともただの杞憂だろうか、と諏訪部は自分の不安がどこから来るのかわからなかった。得体の知れない何かが、ずっと諏訪部の胸の奥を気持ち悪くさせている。カーラの暗い表情を思い出す度に、その不快感が増してくるのだ。


「マーヤのことを異様に可愛がってる親がいるし、それに使用人だってたくさんいる。人目を盗んで何かしでかすような度胸の座ったお嬢様とも思えねぇよ」

「はぁ……」


 この話はおしまいとでも言うように、コックはイタズラをする子供のような表情に早変わりして、前のめりに話し出す。コックは言ってもまだ十九歳の青年だ。まだ子供らしさが残っていても不思議じゃない。とはいえ、諏訪部との年齢に大差ないが。


「いいこと思いついたんだぜ」

「……?」

「マーヤに料理、やらせてみねぇか?」


 きょとんとする。

 しばしの沈黙の後、諏訪部は驚愕した。


「ええええ!? でもまだ体調とか、筋力とか、体力とか」

「別に本格的な料理をさせるわけじゃねぇって。簡単なもんでもいいじゃねぇか」

「しかしですね、ご両親が何と言うか」

「賛成するに決まってんだろ。究極シェフのギフテッドにあれだけ食い付くような親だぞ」


 混乱しつつも、悪くないかもしれない、とも思う。

 だけどなぜ急にこんな話をするのだろうと諏訪部は気になった。

 同じ屋敷に住んでいて、食事の度にマーヤと顔を合わせているコックとは違う。諏訪部は定期的にとはいえ、別に毎日顔を合わせているわけでも、会話をしているわけでもなかったから。

 言ってから、コックは両腕を組んでまたむすっとした表情に戻る。基本がこの表情なのだから仕方ない。


「あいつ、最近ちょ〜っと落ち込んでるんだよな」

「えっ、何かあったんですか!?」


 不意にカーラの顔が蘇る。また「うっ……」っと胸の奥が気持ち悪くなった。

 しかしコックは首を振る。


「上手くいってねぇみたいなんだよ」

「上手く、とは?」

「色々だよ。今まではただ健康になることだけを目標にやってきただろ? そんでやっと人並みに動き回れるようになって、今度は普通の生活をしようとしてんだ。今時の十六歳の女の子として、だ」


 そう言われて諏訪部はハッとする。

 諏訪部もまた、マーヤが健康になることだけを考えて行動してきた。食材提供者の諏訪部としては、それだけでいいのかもしれない。しかしマーヤにとっては、これからが人生の本番なのだ。健康的な身体を取り戻してからの、この先が。


「出来るわけねぇんだよ。マーヤが何年眠ってたと思ってんだ。十年だぞ? 普通に育ってきた奴らと、同じスピードで生きてきたわけじゃねぇんだ」


 コックの言うことはもっともだった。

 生きてきた年数が十六年だと言っても、マーヤの精神年齢は当時の六歳から止まった状態。そこからいきなり色々な、様々な情報を取り込まれて適応出来るはずがない。

 初めて料理をする人間が、いきなりプロ級の腕前を必要とする料理が出来るわけがないのだ。

 しかしその無茶を、マーヤはしていかなければいけない。特に期限があるわけではないが、そのまままたズルズルと時間を無為に過ごしていけば、その分マーヤは世間に取り残されてしまう。追いつかなければいけない。

 非常に酷だが、一人の人間として生きて行く為にはどうしても必要なことだ。


「だから、料理を?」

「経験は必要だ。なんでもいい。小さなガキでも作れるような、簡単なモンでいいんだよ。マーヤは食べるのが好きだからな。スワべさんも見ただろ? マーヤが美味そうにメシ食ってる時の顔」


 幸せそうに、満足そうに、とろけるような表情で食事するマーヤの顔を、諏訪部は思い出す。

 あんな風に美味しそうに食べる姿、そうそうない。見ている側まで幸せな気持ちになるような、そんな顔を。


「あぁ、本当に美味しそうに食べる子だよ」

「これがさ、自分が作った料理を食べてみろよ。これ以上ない自信につながると思わねぇか?」


 そう言うことか、と合点がいった。

 マーヤにはコックと同じギフテッド、究極シェフを持っている。聞けばこのギフテッドは、作る料理を全て美味にしてしまうという魔法のような効果を表すという。

 そう考えると、少しズルをしているような気もするが。しかしこれでマーヤに成功体験をさせることが出来れば、と考えると諏訪部まで子供のような表情になってくる。


「いいですね、それ」

「だからマーヤが作る料理、スワべさん考えといてくれよな」

「えぇっ!? 俺がですか!?」

「当たり前だろ。マーヤが食べれるのはチキュウ産の食材しかねぇんだから。俺はチキュウの料理なんて、スワベさんに教えてもらうレシピがないとわかんねぇんだからさ」


 まぁ、それはそうだ。ここまでコックに筋の通った切り返しをされるとは思っていなかった。


「なんか今日のコックさん、冴えてますね」

「だろ?」


 得意気な顔で調子づくコックに、諏訪部の胸の奥に巣食っていた不安が取り払われるようだった。

 マーヤを支えなければいけない自分が、正体のわからない不安に怯えている場合じゃない。それにコックがこれほどまでマーヤを支えてくれているのだ。

 自分にも、食材を提供するだけじゃなくマーヤの為に出来ることを。


「わかりました。マーヤさんにも出来る簡単な料理、考えておきますよ」


 そう言いつつも、諏訪部の中にはすでにその料理が浮かんでいた。

 考えるまでもない。

 マーヤに日本の伝統を、日本人の心を知ってもらう為に……。

 あれしかない、と諏訪部は確信していた。

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