1−21 『カーラとのお茶会』

「粗茶ですがどうぞ」

「あ、どうもお気遣いなく」


 すっきりとした香りを漂わせて出て来たのは、愛らしい花柄のティーカップに淹れられたハーブティー。

 相変わらずこういったお洒落な飲み物の知識に明るくない諏訪部は、赤褐色の液体からシャキッとするような香りを嗅いでから一口含む。


「ボナペティ家が自家栽培しているハーブを、独自にブレンドしたものです」


 色合いからもっと甘いのかと思ったが、ほんのりとした甘さの中にミント系のスッキリとした味がして、なんだか頭の中が冴え渡るような気分になる。


「これからマーヤの為に、食事内容の打ち合わせをなさるんでしょう? 疲れが吹き飛ぶようにと、マイントをベースにしてみました。どうです?」

「マ……、マイント?」


 聞き慣れない名称に、マイントというものが何なのか記憶の中の引き出しを必死に漁る。

 マイントとは自分に出されたハーブティーの名前なのか、それとも使用されたハーブのことなのかわからなかった。

 戸惑う諏訪部に、カーラは上品に微笑んで話しかける。


「失礼しました。スワベ様は遠い異国からいらっしゃったんですよね。両親から聞きました。こちらの食材や文化にあまり馴染みがないご様子ですけど」

「あ、はぁ……すみません。私の故郷ジパングは、少々閉鎖的なところがありまして。食文化もこちらとは大きな違いがあるので、今後も色々とご迷惑をおかけすると思います」


 都合が良すぎる弁明だな、ということは諏訪部自身がよくわかっていた。

 それでもこういった場面をやり過ごすには、架空の国の設定は便利だと思う。誰にも認知されていない国……という言い訳で、いくらでも取り繕うことが出来るのだから。

 それでも無理があるものはどうしても無理という場合もあるので、それを踏まえつつなんとか言い訳を考えなくてはならないが……。

 言わずもがな、その最たる例が賢明なボナペティ夫妻だった。

 夫妻は榊原や諏訪部の説明に疑わしそうな様子を見せていたが、幸いにもグロモント伯爵のおかげで深く追求されることはなかった。

 果たして彼らの娘であるカーラはどうなのだろうかと、ハーブティーを飲みながら彼女の表情を盗み見る。

 にこにこと実に愛想の良い笑顔でハーブティーを飲んでいる様子だ。柔らかい微笑みを浮かべるままで、諏訪部の言葉を信じているのか疑っているのか判別がつかない。


 ことりとカップをソーサーに置くと、不意にカーラが口を開く。

 いよいよここからが本題らしい。諏訪部は時間を確認したいところだったが、あいにくとこの部屋に壁掛け時計などはなく、自身も腕時計は外してきていた。そわそわする。


「マーヤの体調はもう随分と安定しているみたいで、安心しているんです。スワベ様とコックさんのおかげで、三食きちんと食事を摂れていることに両親を始め、家族みんな大変喜んでおりますの」

「それは本当に良かったです。私としても、マーヤさんには健康第一にと考えておりますので。あ、それと私に様付けは不要ですよ。お気軽に諏訪部とお呼びください」


 諏訪部様と呼ばれることなんて、これまでの人生に一度もなかったからむず痒かった。

 自分はあくまで食材提供者であって、丁重にもてなしてもらうような客人などではない。その辺の線引きはちゃんとしておかねばと、カーラにやんわりと指摘しておいた。

 だがそれでも柔和な笑みは崩れず、口元に手のひらを当ててころころと笑った。外見だけでいうならマーヤと区別がつかない程にそっくりなのに、その所作は全くの別人だと再認識させられる。

 カーラは令嬢としての淑やかさが、そしてマーヤは純真無垢な少女といった風だ。


「では、スワベさん……と呼ばせてもらいますね」


 それからカーラは膝の上で両手の指を絡ませながら、マーヤについて語り出す。


「すでに両親からお聞きになられていると思いますが。妹のマーヤは十歳頃に突然、ありとあらゆる食材を口に出来なくなるという病に冒されて……。六年もの間、マーヤはもちろん……私達家族も辛い日々を過ごして来ました」


 微笑みが途絶えて、悲しみに打ちひしがれたような表情となったカーラ。クラシカルなスカートのポケットからハンカチを取り出し、そっと自分の目元に当てる。神妙な面持ちで、諏訪部は黙って聞いた。


「スワベさんとコックさんは、私達に奇跡を起こしてくださいました」


 そう讃えられ、諏訪部は謙遜しようかと思ったが口をつぐんだ。

 自分はあくまで部外者だ。マーヤが食事を摂れなくなり、死の寸前にまで追いやられていく姿を目の当たりにしてきた家族の心境を、長く苦しんできたその辛さを……。

 へりくだった態度なんかで受け流したら、かえって失礼だ。


「今では食事を摂るばかりでなく、屋敷の中を歩き回れる位に回復してくれた……。元気だった頃のマーヤが帰ってきたみたいで、みんな本当に感謝しているんです」

「それは、本当に良かったです。ですがマーヤさんがこれ程までに回復出来たのは、一重にご家族の方々の愛情あってのものだと私は思いますよ」


 ぴくりと、目元にハンカチを押し当てている手が止まる。

 気のせいかカーラの口の端が僅かに歪んだようにさえ見えた。一瞬のことだったが、それを見逃さなかった諏訪部内心ドキリとした。

 しかしここで言葉を止めるわけにもいかず、カーラに悟られないよう態度と口調に気を付けて続けた。


「いつだったか、マーヤさんが話してくれました。早く元気になって、ご両親に……お姉さんや弟さんにその姿を見せて安心させてあげたいって。そして家族みんなでお出かけしたいんだって、嬉しそうに教えてくれたんですよ」


 最後まで言い切って、カーラの様子を窺う。

 諏訪部は空になったカップをソーサーに置いて、手を組んだ。合わさった手のひらからじんわりと汗が滲む。

 いつもの営業スマイルを保ちつつ、諏訪部の心中は穏やかではなかった。

 どうか気のせいであって欲しい。


「へぇ……、マーヤがそんなことを」


 初めて会って、会話をしてきて、これまでになかった冷ややかなトーン。

 ハンカチを手に持ったまま膝の上に置く。カーラの瞳も頬も、全く濡れてなどいなかった。

 遠くを見つめるような目線、その氷のような瞳は全く笑っていない。

 ぞくりと、諏訪部は背中に何か冷たいものが走ったような悪寒がした。思わず営業スマイルが崩れる。ピリッと空気が張り詰めたようにさえ感じた。


「スワべさんはベッドに臥せった大人しいマーヤばかり見てきたから、ご存知ないかもしれませんね」

「え……?」

「あの子ね、本当はとても活発で……。家の中にいるより、外で走り回っている方が活き活きとしてるような子だったの」

「それは……、確かにこれまでのお姿からはあまり想像出来ない、ですね。でも、元気があっていいことじゃないですか」


 そういえば、と今さら気付く。

 これまで顔に貼り付けているのかと思うほどずっと笑顔だったカーラの表情から、微笑みは消え去っていた。

 何かに取り憑かれたように、淡々と語っている。


「でもね、マーヤはダメなんです。そうやって遊んでる暇なんてないんですよ」

「どういうことですか?」

「両親から聞きました? マーヤには稀有な才能があるんです。そう……、最高に恵まれた才能が」


 また空気が冷たくなる。

 カーラの冷たい表情が、寒々しく感じる声のトーンが、まるで室内の温度をどんどん下げているかのようだ。


「料理界では誰もが欲するギフテッド、世界最高峰と言われる『究極シェフ』のギフテッド。マーヤは世界から選ばれた子なんです。だから両親はマーヤに全てを注ごうとしました。大した才能のない私みたいな平凡な子供のように、一緒に泥だらけになって遊んでいいような身分ではないんですよ」

「カ、カーラさん?」


 冷たい表情から、怒りと……自分自身への失望に満ちた表情に変化していった時。

 諏訪部は、つい声を上げた。これ以上はいけないと思った。

 見れば手に持っていたハンカチは強く握り締められ、諏訪部の声と共に離したが……すっかりしわくちゃになって丸まっている。

 諏訪部に名前を呼ばれ、我に返ったカーラは顔色を悪くした。

 引きつった顔を上げ、オロオロしている様子だ。

 まるでさっきまで何か悪いものが乗り移っていたのかと思うほど、カーラは狼狽えていた。


「あの、ごめんなさい」

「いいえ、その……私の方こそ差し出がましいこと……」


 カーラの震える手が湯気の立っていないカップを持ち上げ口元へと運ぶ。

 諏訪部もすっかり顔から笑顔が剥がれ落ち、カーラを心配するような警戒するような、そんな心の内がダダ漏れな表情になっていた。

 一気にハーブティーを流し込んだのか。ゴクリと音を立てて飲み込んだかと思ったら、これでもかというほど深く深く深呼吸をしている。

 少しでも早く気を落ち着けるようにと慌てているのだろう。出会った当初の落ち着き払ったご令嬢の姿とは思えないほどに、彼女の動揺がこちらにも伝わってくるようだ。


「ごめんなさい。マーヤのことを思うあまり、つい……。感情が爆発してしまいました」

「大丈夫、ですか?」


 カーラは両目を細め、口角を上げ、最初に見た時以上の笑顔を見せつけた。

 諏訪部を心配させないように? 迷惑をかけたことを取り繕うように?

 いや、諏訪部にはわかっていた。


 ふと、カーラは襟口がレースになっている愛らしい白シャツの胸ポケットから、小さな懐中時計を取り出した。

 蓋を開け、中を確認するや目をパッと見開かせて口を開く。


「まぁ、大変。随分と長く引き止めてしまったようですわね!」

(そんなところに時計があったのかーーっ!)


 カーラが立ち上がり、お茶会の終わりを告げる。

 そそくさとお辞儀と謝罪の言葉を口にし、ドアを開いて「さぁ」と促した。


「またスワべさんから色々とお話を窺いたいです。機会がありましたら、お付き合いしてもらってもよろしいかしら?」

「え、えぇ。喜んで」


 嬉しいとばかりに両手を組んで頬側に添える。

 小首を傾げ、可愛らしいでしょうと言わんばかりの仕草を披露した。

 そしていつの間にか表情も、初対面の時の満面な笑みへと戻っている。諏訪部は戸惑っている心情を悟られないように、得意の営業スマイルを浮かべて立ち去る。


 カーラに背を向けた瞬間に、その営業スマイルは崩れた。

 まるでさっきまで得体の知れない生物と対面していたかのような、緊張の糸が切れた直後のような……。

 冷や汗が伝う。拭うのはすっかり姿を消してからだ。慌てるな、と自分に言い聞かせる。

 ホールを抜けて奥の廊下へと入っていった瞬間に、安堵のせいか背中にまでどっと汗が流れた。


(あれが、マーヤさんの双子の姉の……カーラ・ボナペティか)


 カーラの姿、表情、言葉、仕草、その全てを想起させた。

 神妙な面持ちになった諏訪部。


「顧客や上司相手に心にもない笑顔を作ってきたから、すぐにわかった……」


 彼女のあの笑顔は、全て嘘だーー。


 諏訪部を出迎えた時の、あの笑顔も。

 遠い異国から来たという諏訪部に理解を示した時の、あの笑顔も。

 カーラの微笑みにずっと違和感があったのは、全てが嘘の……作られた笑顔だったから。

 

 そして恐らく、マーヤに関して話していた時のが、きっと彼女の本性なのだ。

 稀有な才能を持つマーヤへの羨望、それに比べ自身を平凡だと語る劣等感や失望感、絶望感。

 そんな負の感情がないまぜになったような、あの時のカーラの暗い表情を諏訪部は思い出す。

 瞬間、コックのセリフが再び蘇った。


『多分あれ、マーヤのことを何とも思ってない』

 

「コックさんが言ってたのは、こういうことだったのか……」


 そして理解した。

 カーラの本性を引き出したトリガーが、何だったのかを。


「営業マンとして大失態だな。これからは言葉に気をつけよう」


 同時に思う。

 マーヤの周囲にいる人物のことを、もっと知っておく必要があるのかもしれないと。

 家族だから仲が良い、だなんて。子供じみたお花畑な発想だったと反省する。

 マーヤの健康を取り戻させる為に、気を遣わなければいけないのは食事内容だけではなかった。

 身体だけじゃない。少女の心にもダメージを与えてはいけないのだ。

 

「はぁ……、ハードルたっか」


 改めて自分の課題を再認識した諏訪部は足取り重く、しかし可能な限り早足でコックの元へと急いだ。

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