1−18 『マーヤは友達が出来ない』

 マーヤは思い悩んでいた。

 今頃になって、自分が失った時間の重みがどれほどのものだったか痛感する。

 これまでただただ生きる為に、食事や運動に力を注いで来た。

 自分で体を起こせるようになり、座ることが出来るようになり、自分の足で立ち、歩くことが出来るようにまでなった。人として当たり前に出来ることがマーヤにも出来るようになると、それまで「娘の死」という恐怖と戦ってきた両親は手放しに喜んだ。

 マーヤも嬉しかった。

 それからというもの、食事療法と運動療法を欠かさない日々に加え、いよいよマーヤはもうひとつやらなければいけない問題に立ち向かうこととなる。


 六歳の頃に寝たきりとなってからおよそ十年間、当然学校に通うことなく、人との交流など出来るはずもなかったマーヤ。

 一般教養はこれから生きる為に必要となるので、マーヤはリハビリ生活をしながら少しずつ学校に通い始めていたのだ。特に内密にすることはなかったのだが、登校初日でマーヤは打ちのめされる。


「自分の名前も書けないの?」

「こんな簡単な本の朗読も出来ないんだぁ」

「え、この計算も出来ないの?」


 出来ないことの方が多かった。

 最初こそ名前を聞かれたり、好きな本やどんな動物が好きなのか、たくさん質問されて戸惑った。

 それにひとつひとつ丁寧に答えていくマーヤ。

 やがてボロが出てくる。


 マーヤは、嘘の必要性を知らなかった。

 言い繕うなんてことが、マーヤに出来るはずもない。 


 純粋なマーヤ。無垢なマーヤ。

 身体はこんなに大きくなっても、マーヤの心の中は六歳で時が止まったようなものだ。

 思考が六歳の少女が、十六歳、十七歳といった少年少女に囲まれて会話を成立させることは難しい。

 

 一人、また一人と、マーヤに話しかけてくる生徒は減って行く。

 一週間も経たない内に、マーヤは一人ぼっちになっていた。

 勉強にもついて行けない。

 家庭教師に初級コースの勉強を教わっていたが、到底間に合うはずもなかった。

 

(どうして、学校に行きたい……なんて言っちゃったんだろう)


 自室の机に突っ伏して、マーヤは自分があまりにも出来損ないであることに涙した。

 出来ないことが多すぎる。


 思うように文字を書けない。

 わからないスペルが多すぎて、本が読めない。

 同年代の子供達と、どんな話をしたらいいのかわからない。


 友達の作り方がわからない。


 思えば健康をある程度取り戻してから、新しく友達が出来たことはなかったことに気付く。

 見渡せばマーヤの周囲にいるのは家族だったり、自分のことを無下に扱うことなど決してしない使用人ばかり。

 ボナペティ家にゆかりのない者と言えば、コックと諏訪部くらいだ。


「コックさんは伯爵様に雇われて、私に食事を作ってくれる人。友達って言い方は、多分違う。ぶっきらぼうでそっけないけど、でもとっても優しい」


 けど、コックは友達とは言い難いとマーヤは思った。

 彼はあくまでグロモント伯爵に雇われ、両親に頼まれ、マーヤに地球産の料理を提供する料理人だ。

 誰にでも対等に接する彼のことだから時々勘違いしてしまいがちだが、彼は友達という間柄とは違う。


「諏訪部さんは……」


 諏訪部もまた、マーヤに食材を提供する仕事人だ。

 確かに彼も優しいが、友達と言ったら失礼な気がした。

 

「友達って、なんだろう……」


 家族とも違う。

 雇われて、義務で自分に優しくしてくれる人とも違う。

 マーヤの周りには、それらしい人物がいない。

 出会うには、外に出なければ。

 その方法に学校を選んだ。

 手っ取り早く探せると、安易に考えた結果がこれだ。


 友達は一人も出来なかった。

 会話が弾まず、気後れしてしまって話すタイミングを逃してしまった。

 あれよあれよという間に、マーヤは一人になっていたのだ。

 すでにグループが出来ていた、ということもあるだろう。

 女子グループがこんなにも頑なに一緒にいるものだとは思わなかった。


「どうやったら友達が出来るんだろう……」

「喋ったらいいじゃねぇか」

「ひゃっ!?」


 背後からした突然の声に、マーヤは飛び上がった。

 後ろを振り向くと、アフタヌーンティーを用意したコックが立っている。

 顔を真っ赤にしながらマーヤは慌てた。

 聞かれた! 今の言葉、絶対に聞こえてる!


「も、もう! ノックしてから入ってくださいって、いつも言ってるじゃないですか!」

「ノックならしたわ。返事がねぇから入ってきたんだろうが」

「普通は返事がなかったら、誰もいないと思って部屋に入ったりしません!」


 そう言ってから気付く。

 コックに強く反論したの、これが初めてだ……と。ちょっとだけ感動してる自分がいた。

 それでもコックには何のダメージもないのか、ひょいひょいと慣れた手つきでテーブルにティーセットやお菓子を置いていく。

 むすっとしたままマーヤは、焼きたてクッキーの匂いにつられてススス……と席に着いた。


「今日はローズマリーのハーブティーだ。血液循環を促してー、疲労回復とか冷え、むくみ、肩こりに効くっぽい。脳を活性化させる働きがあるから、これ飲んでクッキー食ったら勉強頑張りな」


 コックはよく食事などに入っている食材に、どういった効能や効果があるか教えてくれる。

 そのほとんどは、諏訪部が渡したレシピや魔術書風タブレットに記載されているものを読んでいるだけだが。

 マーヤは、何気にそれが有り難かった。

 自分がこれから食べる食材がどんなものなのか、それらが自分の中でどういう役割を果してくれるのか。

 明日の体を作る為の食事を知れる喜びのように感じていた。


「あとは、心身を活性化させる効果もあるみたいだぜ? うつ気分とか、やる気が起きない時にも効果があるんだと。だから小難しく悩んでねぇで、たらふく食ったら気持ちを切り替えてけ」

「……やっぱり、全部聞いてたりした?」


 どこから?

 いつから背後にいたの?

 とにかくそれが気がかりだった。

 しかしコックはいつもの不貞腐れた顔で、何も気にしていない様子。

 いっそ素直に感情を表に出してくれればもっとわかりやすかったのに、と思った。


「ま、俺があんたの友達って言い方はなんかちょっと違うかもな」


 割と最初から聞いてる!?

 恥ずかしさで、思わず両手で顔を覆ってしまうマーヤ。

 

「もういいです! もうわかりましたから! おしまいにして!」

「諏訪部さんもあんたのこと、友達って感じでは見てないだろうなぁ」

「あー! あー!」


 そんなこと聞きたくない!

 なんだか悲しくなってくるから、それは言わないで!

 自分の声で遮ろうとしても、声量がそれほど無いマーヤには無意味な行為だった。


「だから友達になりてぇんなら、友達になってくれって言ったらいいんじゃね?」

「……え?」

「友達になりたいんだろ? だったらそう言わなきゃ、相手はわかんねぇじゃん」

「あ……」


 手の隙間からコックの顔を覗き見る。

 ふんわりと、柔らかく微笑む表情でマーヤを見つめていた。

 コックがこんな風に、笑顔になっているところを初めて見た。

 そうやって優しくしてくれるから、マーヤは心を許してしまう。

 言っても大丈夫かな、と思ってしまう。


「それじゃあ、あの……。お友達に、なってくれますか?」

「やだ」

「えええええ!? 言ってることが違うじゃないですかあああ!?」


 心が折れそうになった。

 今のマーヤは、きっと何をされても大ダメージが入ってしまう。

 ボロボロと幼い子供のように大粒の涙を流して、ガクガクと震えながら泣きじゃくるマーヤに、さすがのコックも慌てた。思っていたリアクションと違ったようだ。


「じゃなくてぇ! あんたが一番最初に友達になりたい奴、他にいるだろうがって話だよ!」

「わ、わ、私がぁ……、最初にお友達にぃ、なりたい人ぉ……?」

「俺みたいなクズ人間じゃなくてだな、ほら……いるだろ。なんで俺が言うんだろうなぁ、この鈍チンが!」


 それってもしかして、諏訪部さん?

 

 コックが言いたいことはもっと他にあったのだろうが、当たって砕けた今のマーヤがそれに気付くことはなかった。

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